▼ 芹沢と弾
「弾くんは、サックス以外でやってみたい楽器ってある?」
弾は、小学生の時からサックス一筋で、それを誇りに思っているらしかったが、時々芹沢が昼休みにクラリネットを借りて吹いていると羨ましそうな顔でこちらを見てくるので、きっとサックス以外の楽器をやってみたいと心の中では思っているに違いない。数ヶ月前から芹沢はずっとそうにらんでいた。
弾は一瞬だけペンを動かしていた手を止めると、なんでもなかったかのようにまた手を動かし始める。芹沢のほうへは視線をちらりとも向けずに口を開いた。
「オーボエ」
「弾くんらしいね」
「それどういう意味」
「そのままの意味だけど」
オーボエは世界で一番難しい木管楽器だとギネスに認定されていて、基準の音となるのも基本的にはオーボエだ。ちなみにここ、調辺高にもオーボエはいるが、カノンは一年生ということで三年のクラリネットの千鳥が務めている。
「理由は?」
そんな理由で弾がオーボエに憧れるのも納得したが、もしかしたら違うかもしれないし、どちらにしろ弾の口から直接聞いてみたかった。
今度はぴたりと動きを止めてペンを置くと、芹沢をじろりと睨んでなぜかため息をひとつ。
「野球の応援に駆り出されないから」
「……え? そんな理由?」
「だって、同じ木管だけどサックスは木じゃなくて金属だからって行かなきゃならないじゃん」
思いもよらない理由に芹沢は笑いがこみあげてくるのを感じたが、ここで吹き出そうものなら弾の機嫌を損ねてしまうと必死に耐える。だって、あの弾だから立派な理由があるに違いないと思っていたら、まさかそんな理由だなんて。
「まあ確かに野球の応援ってめんどうくさいよね。暑いし、コンクールとかぶってるし」
「有亜くんは中学はクラだったから楽できてよかったね」
「うん。木管とコントラバスは自由参加だったよ。だからお言葉に甘えて休んでた」
本当は応援のみ打楽器をまかされたか、そうじゃない人はメガホンを持って結局応援しなければいけなかったことは、内緒にしておいた。
(なんでもないような顔してるけど、心の中では悔しいんだろうなぁ)