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 コンサートマスターの苦悩

指揮とクラリネット、もしどちらか一本に絞るとしたら答えが出ないくらいには、千鳥はどちらも好きだった。千鳥は学指揮ではなくコンマスことコンサートマスターなのだが、時には先生の代わりに指揮を振ることもある。

「この曲はみんな知ってると思うけど……知らない人いる?」

今練習している曲は、今年大ヒットした映画の主題歌。流行に疎い千鳥でも耳にする機会は多く、知っていた。だからみんな知っているだろうなと思っていたら、千鳥の予想通り全員知っているらしく手を上げる者はいなかった。

「というか、歌える奴いるか?」

この質問にも誰も手を上げなかった。曲を知っているといっても、サビだけ、曲は知ってるけど歌詞は知らない、二番以降はよく分からないなど様々だろう。中にはフルで歌える人もきっといるのだろうが、みな隣同士で顔を見合わせて恥ずかしがって、困ったように笑うだけだった。歌える、と言ったら、これからみんなの前で歌わせられるのだろう、と予想していたから。

「誰も手上げないだろうなとは予想はしてたけど……。それなら俺がサビの部分を歌うから、あまり歌に自信はないが少しだけ我慢して聞いててほしい」

みんなの予想通り、もし歌える人がいたらサビだけ歌ってもらおうと思っていたのだが、誰も手を上げなかったら仕方ない。千鳥は印刷してきた歌詞を取り出し、のどの調子を整えるために何度か咳払いをする。金管の一部とパーカスに指笛やドラム、小物で囃し立てられ、じんわりと顔が熱くなるのを感じた。

あらかじめ予防線として自己申告したように、千鳥は歌はあまり得意ではなかった。兄さんは全然音痴じゃないよ、とカノンが前に言ってくれたから、千鳥が自分で想像しているよりはひどくないのだろう。

歌詞のない曲や前奏、間奏部分でここはこう演奏してほしい、という細かいニュアンスを奏者に伝えたい場合に、フレーズを歌うのは先生や指揮者もやっている指導だし恥ずかしくないのだが、歌詞のある歌、しかもほとんどの人が知っている歌を歌うのは、みんなの頭の中に手本があるわけで、音を外したり、リズムが狂うとすぐに分かってしまうから尚更恥ずかしいし緊張する。

「と、まあ……サビに入ってすぐにタイトル、主題があるからここで盛り上がってほしいわけだ。言わなくても音が上がっていくから自然とそうなるだろうけど、少し意識してほしい」

それならなぜわざわざ歌ったかといえば、そのほうが分かりやすいと思ったからだ。
条件反射だとしても、歌い終わった後に拍手が沸き起こったのを聞いて、千鳥はほっとした。

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