ルルサス、という敵との戦いで、あの0組がレムとマキナという人を除いて全滅したらしい。
せっかくルルサスに勝ったのに、生き残ったその二人は悲痛そうな表情を浮かべて復旧活動に当たっている。
そんなに辛いんだったらいっそ休めばいいのに、とは思いつつも言いはしない。
心の傷は他人がとやかく言えるものじゃない。放っておくのが一番だ。
けど、今回のルルサスとの戦いでは、本当にたくさんの殉職者が出た。
私のクラスでも、生き残ったのは、ナギと私と少数だけ。
その人数で今、復旧活動に、魔法陣が途切れた場所への捜索と、いろんな任務をこなしている。
なかなか大変だ。
けど、あのクオンも文句一つ言わずに魔法陣の修理っていう徹夜作業を続けているんだから、弱音は吐いていられない。
「はー……」
取り敢えず今日の分は終わった。
実質的に9組のリーダーを務めているナギに報告書を渡して、自室に戻る。
今日はチョコボ牧場の人達と合流できた。私としても大好きなチョコボと再会できて、大変に御満悦な一日になった。
餌の流通ルートも確保できたし、もう大丈夫だろう。
「……あれ?」
そんな事をつらつら考えながら寝間着に着替えるためにマントの結び目を解いていると、ふと机の上にある一冊のノートが目についた。
見た目は普通のノート。だけどタイトルが書かれていない。
おかしいな。私はルーズリーフ派だからノートはあまり使わないし、使ったとしても必ずタイトルは書く。
なら、これは一体何なのだろう。
手に取ってパラパラと捲ると、割と最後の方まで使われていた。
ちょっと癖がある、お世辞にも綺麗とは言えない私の字が並んでいる。
【ルーズリーフもいいけど、最初から綴じられたノートもいいよな、と思わず新品を買った。何を書こうかな】
【日記はどうせ三日坊主で終わるから、雑記帳という事にしよう】
【また殉職者が増えた。この戦争はいつまで続くのかな】
【最近、チョコボ牧場で頻繁に金髪の男の子を見かける。とても綺麗な人だった。また会えるかな】
【0組の中に、例のあの人がいた。少し驚いた。私と同い年だった。あんなに綺麗なのに同い年で、更には人間みたいに呼吸をして歩いていた。お人形さんじゃなかったんだ】
【件の人はエースさんと言うらしい。凛々しくて素敵な名前だ】
【遠くから眺めているだけでお腹一杯。0組は問題児って言われているけど、任務の時はちゃんと仕事をしてくれている。周りが騒いでいるだけだ、きっと】
【今日、エースさんと話せた。エースさん達、0組もミッションクリムゾンに参加するらしい。心強い】
【エースさん凄い綺麗、凄い格好良い、凄い強い】
【候補生としても見習うべきで】
【男性としても、とても素敵だと思う】
そんな言葉がつらつらづらづらと書き連ねられていた。
これを書いたのは過去の自分だろうけど、今の自分から見ると物凄く恥ずかしく思える。何これポエム?
しかしエースさんって誰だろ。
忘れてたって事は、0組の人かね。
「……ん」
COMMの呼び出し音が響く。スイッチを入れた。
『よう』
「あ、アイドルのナギさんだ」
『アイドルのナギさんだぜー。今、大丈夫か?』
「大丈夫だよ?」
『0組のレムがお前と話したいって言ってるんだが』
「レム……さん?」
あの人かな。0組で、元7組のあの美少女。
噂には聞いているけど、確かにあの子のCOMMと私のCOMMは直接回線では繋がらない。
0組のサポートはほぼナギがやっていたし、0組は本当に特別な存在だったから。
それで9組のナギに頼んだってところだろう。
『あの、……レムです』
「ん、どうも」
聞こえてきたレムさんの声は重く沈んでいた。まあ、そりゃそうだろう。あれだけの事があったんだから。
『0組の事、覚えていますか?』
「え?」
おいおい、何て質問するの。
「いや、殉職したって事は知ってるけど……ほら、クリスタルの加護で」
『あ……そう、ですよね』
力無い気配が伝わってくる。
私なんかに連絡してないで、本当に休んだ方がいいんじゃないだろうか。
「あの、何かあったんですか?」
『……今から0組の教室に、来て欲しいの』
「0組の教室に……ですか?」
確かあそこは0組の亡骸が発見された場所だ。
何でそんな所に、わざわざ?
「……分かりました。今すぐ向かいます」
けど、傷心で、疲れ切っているはずのレムさんに面と向かって「何で?」とは言えない。
きっと亡くなった0組に関連する事なんだろう。
私は緩めたばかりのマントを結び直して、部屋を出た。
*
0組の教室に入ると、ムッとした血の臭いが漂ってきた。
ここもルルサス襲撃の被害を受けたんだろう。
窓は割れ、天井には大きな穴が空いていて、壁も崩れていた。
魔導院だから相当に頑丈にできているはずなのに、まるで粘土か泥で作られた家のような無残な姿を晒していた。
教室の中央で手を繋ぎ合っていたという0組の遺体は無い。もう埋葬されたんだろう。
けれど彼らが残した物は残っている。
重なり組み合って天へと伸びた武器による柄と、そこから伸びる、幾枚ものマントが結んで繋ぎ合った巨大な旗。
何だか見ているだけで0組の思いが伝わってくる。
確かに、無粋に触れて壊そうという気にはなれない。
「リカさん」
レムさんが歩み寄ってきた。その斜め後ろには、確か元2組のマキナさんもいる。
ナギはいない。まだ仕事なんだろう。あいつは9組の中でも優秀だから、仕事は尽きない。
「これ」
レムさんがすっと腕を差し伸べる。
何? と思って見下ろすと、白魚のように白くてほっそりとした指先に、一通の封筒があった。
表には、リカへ、って書かれている。
紛れもない、間違えようもない。私の名前だ。
「……私宛て、ですか?」
レムさんはこくりと頷いた。
私に宛てられた物なら、確かに私が受け取るべきだろう。
私は封筒を受け取った。
封筒自体は何の変哲もない、ごく普通の物だった。隅っこにちょんちょんと小さな花のイラストがある。
それだけだけど、むしろシンプルなのが好きな私は素直に好感を抱いた。
封筒は綺麗に糊付けされていた。だから慎重に、丁寧に端の方を破いていく。
中に手を突っ込むと、かさりと紙の感触があった。指先で摘んで引き抜く。
三つ折りになった便箋があった。
折り目を伸ばすように便箋を開く。
罫線の中に、形の整った綺麗な文字が行儀良く収まっていた。
*
リカへ
突然の手紙で驚いていると思う。
最初に書いておくが、これは候補生としての連絡事項などではないから一人でいる時に読んでくれ。
あと、いつも君の傍にいるナギが盗み見しているとも限らないから、背後には気を付けておく事。
あまり他人には知られたくないから。
君にだけ伝えたい事がある。
俺は君が好きだ。
楽しい時は明るく笑い、悲しい時は思い切り泣いて。
常に周りに気を配り、困っている人を見かけたら声をかけて、寂しそうにしている誰かがいたらそっと傍に寄り添って。
訓練生に手合わせを頼まれたら、たとえ厳しいって疎まれても、それこそ疎まれるのを覚悟の上で厳しく行く。
そんな風にいつも素直で、いつも優しくて、いつも全力で頑張る、君の事が好きだ。
本当は呼び出して直接言おうかとも思ったけど、どうやって呼び出してもナギ辺りがついてきそうだから、文字で伝える事にした。
臆病者とか根性無しと笑ってくれても、……いや、君はそんな事はしないよな。
返事はいつでも構わない。
P.S.素直に動揺してナギにバレてしまう君の姿が浮かんだ。そういう所も俺は素敵だと思う。
*
最後に、やはり流麗な文字で、恐らくはこれを書いたのであろう人の名前が書かれていた。エース、と。
エース。……エース?
まさか、あの恥ずかしいポエムに書いてあった、エースさん?
「……あれ」
何か頬が熱い。もう戦争は無いはずなのに、熱風を浴びた時のような痛みが走る。
目尻から零れ落ちた何かが頬を伝い落ちる。
あれ? もしかしてこれ血? 嘘。もう戦争は無いはずなのに、いつの間に怪我したの?
いや違う。これは、血じゃない。
涙だ。
「あれ……?」
ぽろぽろと粒のような塊が転がり落ちる。瞼が火傷したように熱い。
涙を流しているって事は、私、泣いているのか。
そっか。
――泣くのなんて何年振りだっけ。
親しい誰かが死んでも泣く事なんて無かった。クリスタルの加護で、そもそも存在している事すら忘れ切っていた。だから泣く機会なんて無かった。
けど、今は泣いている。
まるで今まで溜めていた分が外に出ているようだ。
「……エース、さん」
呟くと、胸の奥が熱くなった。
水をぶっかけられ、踏み躙られていた焚火に、温かい火が付いて、もう一度燃え始めたような感覚。
――ああ、私、この人の事、好きだったんだ……。
でも、この人はもうここにはいない。思い出す事もできない。
でも、その人は私に手紙を残していってくれた。
ああ、けど、できるなら会いたかったな。
忘れたくなかった。忘れたくなかったよ……。
*
「エース、何を書いているのですか?」
「――っ、……クイーンか」
「すみません、驚かせてしまいましたね」
「いや」
「エース、それ何〜? 手紙? 誰へ……って、リカっちだよね、勿論」
「な、何で……」
「だってエースすんごい幸せそうな顔してるもん。そりゃリカっち絡みだって分かるよ」
「手紙に想いをしたため渡すつもりなのですね。ロマンチックです」
「直接言ったりとかしないの?」
「……今、手紙にも書いたんだが、どうやってもナギ辺りが潜んで見ていそうで……」
「……彼は9組ですからね。確かに隠密行動はお手の物でしょう。リカの事も気に入っているようですし」
「どうしたの、三人とも?」
「あ、レムっち。実はね、今、エースが――――」
*
ふ、と。
過去の記憶が走馬灯のように流れる。
その温かさに浸れたのは、しかし一瞬だった。
「……く」
夢から放り出され、その冷たさで一気に意識が覚める。
まず全身に痛みを感じた。どこもかしこも軋んだように痛い。
そして身体の端々が、理不尽なまでにキンと冴え切った冷たさに蝕まれつつある。
子供の手で掬い取られ齧り取られた菓子の家のように中途半端に崩壊した教室には、皮肉なほどに温かい日の光が降り注いでいた。
首を傾けると、周りに0組の仲間達がいた。
自分も含めて、寄り添い合うように一箇所に固まっている。
だが、皆、顔色が酷く悪い。出血は緩くなっているようだが、気力も体力も尽きたのか、誰もケアルを使った形跡が無い。
何人かはまだ目を開けている。が、それも焦点が定まっておらず、ぼんやりとしていて、ただただ浅い呼吸を繰り返していた。
エースもようやく、自分が息をしなければ生きていけない動物だと気づく。そして意識して呼吸をしてみるが、酸素はほんの少しだけしか吸い込めなかった。
力が入らない。
少ししか息ができないのに、あまり苦しいと感じない。
身体の端をゆっくりと食っていた冷たさが、恐ろしいほどの滑らかさで全身へと走っていく。
蝕まれていく。
――リカ……。
エースは祈るように呟き、ほんの一週間前に書いた手紙の事を思い出した。
恋愛感情なんて危ういものを伝えるのは戦争が全て終わってからにしよう、と、そう判断して、だから、あの手紙はまだリカに渡せていない。
寮の自室の引出の中だ。
レム辺りが見つけてリカに渡してくれる事を願うしかない。
あれを読んだら、リカは何と思うのだろうか。
もしかしたら。ひょっとしたら。なんて。考えても仕方ないのに。
――リカ……。
人生で初めての恋を教えてくれた少女の事を思い出しながら、エースは目を閉じた。
思い出の中。
初めて会った時、ナギの隣にいる彼女は、0組の面々を前に、しかし臆する事無く笑っていた。
「初めまして。9組のリカです。まあ程々に宜しく!」
あの時の眩しい笑顔に、そういえば一目惚れだったんだな、と。
今更のように、そんな事を思った。