次の作戦開始まであと数日の間がある魔導院。
緊張感に張り詰められつつも、授業と試験はみっちりとスケジュールに組まれた、元通りの日常が、緩く、半端に戻りつつある日々。
そんな奇妙な気配で満ちた雰囲気の中、クリスタリウムに入ってみると、予想通り、いつもの場所に彼はいた。
「ねえねえクオン」
声をかけると、クオンは手元の本からちらりと目線をこちらに向けた。
やれやれと盛大な溜息をしつつ、
「何ですか、また君ですか。私は忙しいのです」
「この本なんだけどね」
昨日から時間をかけて選別した一冊の本を見せる。
クオンはまた溜息を零した。
「その本がどうしたのですか。もう四回も読んだのでその本の内容には飽きているのですが」
似たような言葉は何度も聞いた。似たような反応も、だ。
だから返しの言葉も用意している。
「この本の要約、大まかに、でいいから教えて欲しいんだけど」
クオンの眉がぴくりと動く。
やれやれ、と再びお決まりの口癖を零して、
「……仕方ありませんね」
クオンが読んでいた本を閉じて本棚に戻した。
リカの持つ本を取り上げ、パラパラと頁を捲る。
秀麗な光を宿した目がさっと内容を把握する。
「まずですね――」
クオンの艶のある声が紡ぎ出す要約に、リカは一つも零すまいと耳を傾けた。
*
クオンは覚えているだろうか。
最初の出会いを。
「何をうろうろしているのですか、先程から」
「え? あ、ええと、どの本がいいのか分からなくて」
筆記試験と実技試験が予想以上に振るい、訓練生から候補生に昇格できて、6組に所属と通達が来た。
そこまでは良かったものの、初日に出された課題の参考資料が見つからず、そもそもどうやって探せばいいのかも分からず、困り果てて本棚の前に立ち尽くしていた時。
3組の特徴である紫色のマントを着けた、長身の少年に声をかけられた。
「課題ですか?」
「う、うん。――について、なんだけど」
「ではこれにしなさい。分かりやすく纏まっています」
言って本棚から取り出した本をポンと押しつけると、少年は一つに纏めた髪を揺らしながら悠々とした足取りで去って行った。
いきなり押し付けられた本がずり落ちそうになる。それを慌てて腕に抱え直す頃には、もう少年の姿は見えなくなっていた。
ほんの十数秒間の出来事。
最初こそ唖然としたものの、腕の中のずしりとした重みを感じて、その時になってようやく分かった。
困惑しきっていた時に声をかけてもらい、親切にしてもらえたという事。
その優しさ、気遣いが、身に心にゆっくりと染みついてきた。
「……有り難う、3組の人」
探して直に言わないと、と思いながら本の頁を開くと、確かに本の内容は課題を解決するのにぴったりの内容だった。
*
覚えているかどうかは分からない。聞き出すタイミングが無いからだ。
彼と接する機会は多い。喋る事も。
だが、今は彼と過ごす時間を優先したいから、どうしても問う事を忘れてしまう。
いずれ、彼を見かける度にいちいち高鳴ってしまう心臓に慣れた頃、思い切って尋ねてみようと思う。
「あ、クオン。これ、先日のお礼なんだけど」
「何ですか。……何やら香ばしい匂いがしますが」
「マフィンだよ。あと、紅茶、ポットに淹れてきたの。サロンで一緒にどうかな?」
「……まあ、持ってきてもらった物を無碍にするのも失礼ですからね。頂きましょう」
「ん。じゃ、行こうか」
昨日の内に、彼が読んでいそうな本は読了しておいた。
マフィンも紅茶も、幾度か食事やお茶を共にする内に覚えた彼の好みに合わせてある。
今日はきっと、楽しい時間を過ごせるだろう。