トレイはいつも小さい事で悩む。
頭が良くて成績も良くて物覚えも良くて、勉強面では褒められるトレイだけど、たまに物凄く些細な事に悩んでいる時がある。
前にも何か悩んでいたからどうしたのって声をかけたら、すっごく小さい事で長い事ずーっと考えてた。
もう、たまにはバーッと、こう、何て言うんだろ?
仕方ないって切り捨てたりとか、敢えて悩まないとか、そーいうやり方もあるのに。
トレイは下手に頭が良いから、そういうのが苦手なんだよね。
ま、そういうところもシンクちゃん大好きなんだけど。
繊細でナイーブでデリケートで。でも悩んでいるって自分からじゃ言えない。
そんなトレイが好き。
トレイだから好きなんだよ?
ほら、理屈無しで言えた。
トレイとシンクちゃん、足して二で割ったらちょうどいいかもしれないな、なんて。
……そんな事を呑気に考えていたから気づけなかった。
トレイがずっと喋っていないって事。
ずっとぼうっとしているって事。
最初に気づいたのはクイーンだった。
「トレイの様子が少し変ではありませんか?」
「変って、どこが?」
ケイトが訊き返す。
休み時間にデュースとケイトと三人で喋っていたら、ちょっと不安そうな顔をしたクイーンが声をかけてきた。
するとたまたま近くにいたセブンが、
「授業中に挙手をしない。机の方を向いているから板書をしているのかと思っていたが、目が少し虚ろだ。教科書の文字を追っているというよりも、ただ眺めているだけのようだった気もする」
「眠かったんじゃねーの? そーいう気分の時もあるんじゃねーの?」
ナインの言う通り。トレイだって毎日優等生でいられるわけじゃない。たまたま寝不足とか、そういうのもあり得る。
ほんとに。ああ見えてトレイ、読書に熱中すると徹夜しちゃうから。クイーンなら栞を挟んで次の日に回すとかやるのにね。ほんと変なところで抜けているから。
「だが、俺が話しかけてみると反応が異様に遅かった。声は出すんだが生返事という感じでな」
「あ……うん、私も思った。何だか顔色が悪いような気がする」
むむ、キングとレムっちまで。
トレイ、いろんな人に心配されてるよ〜。でも心配されているって事、気づけてないんだろうな。
「俺、今朝、クリスタリウムでトレイに会ったんだけど」
今度はマキナっち。もしかして最近0組に入ったばかりのマキナっちでも分かるくらい、トレイ、ヤバいのかな?
「トレイと仲良くなりたくて、薀蓄に付き合わされるのを覚悟で『今、どんな本を読んでいるんだい?』って聞いた。そしたら」
「そしたら? どうしたの、マキナ?」
「……何だかちょっとぼんやりした感じで、『お勧めですよ。読んでみて下さい』としか言われなかった」
「おいおいそれヤバくねェか!?」
ナインが騒ぎ出す。本当だよ、それちょっとヤバい。まるでトレイじゃないみたい!
「皆の意見を聞いてみると、やはりトレイの様子はおかしいのですね」
「やっぱり具合が悪いのかな? だったら医務室に行かせてあげないと」
「けどさー、さっきリフレで御昼御飯を食べてたよ? けろっとした様子で」
「トレイが食べていたのはうどんだ。しかも量は少なめの」
「……いや、どういう事? エイト」
「トレイは昼食にはカレーか定食くらいの量を食べる。頭を使うから腹が減るみたいだし、あいつ自身、そんなに少食の方でもないしな。だがさっき食べていたのは手近に済ませられるうどん。トッピング無しで量も少なめ。五分足らずで食べ切っていたと思う」
「だったらまっすます何か匂うぜコラァ。だってトレイ、食うの遅いしよ!」
そう。トレイ、男の子なのに早食いができなくて食べ切るの遅い方なんだよねー……まあ食べ方が綺麗だからシンクちゃん毎回じっと見ちゃうんだけど。そしてトレイは気づいていないんだけど。
それにしてもエイトってトレイマニア? 何でそこまで見ているの?
「あんたもしかしてトレイマニア?」
「違う。隣にいたあいつが俺より早く食べ終わったから、何かと思って見てみれば置いてあるのはうどんの器だけで、しかもリフレのマスターが『もう食べないのかい?』って聞いてきたのに愛想笑いだけで出て行ったから気になっただけだ」
「……自己管理も満足にできないのかい」
サイスがぼそりと呟く。
でも食欲が無いんじゃ仕方ないかな。無理に食べたら吐いちゃうし。
……食欲が無いって事は風邪でも引いているのかな? レムっちと同じ考えだけど。
「何か悩んでいるんでしょうか? トレイさん、悩み事があると食欲が無くなったり、生返事になったりしますよね」
「僕もデュースに賛成だ。何か悩み事があって、それを考えているんだと思う」
デュースとエースが言うと、みんな同意した。
小さい頃からずっと一緒だった仲。すぐに原因っぽいのが分かった。
じゃあ、どうすればいいんだろ?
「せめて話してくれるといいのですが……」
「やめた方がいいね。ああいうのって、悩んでいるのが周りにバレたりすると、逆に病むタイプだろ」
病むって、サイス大袈裟だなぁ。大丈夫だよ。
……大丈夫、だよね? 自分を押し潰すくらい悩んだりなんて、しないよね? いくらトレイでも。
「けどよぉ、そのまんまずーっと生返事のばっかしでも困るんじゃね?」
「トレイの事だから〜、報告書は完璧に書きそうだよね? その辺は抜かりなさそう」
ジャックが笑いながら言う。確かにトレイはその辺だけは完璧にこなす。いかにも優等生っぽく。
「……待つのが一番だろ」
って言ったのはセブンだった。
悩んでいたみんなが顔を見合わせて、それが一番かなって雰囲気になる。
「今までもそうだった。無理に訊き出したら泣いて、放っていればいつの間にか元に戻っている。……トレイにも一人で考え込みたい時がある。今回もそっとしておけばいいさ」
まあね〜。トレイって案外、一人っ子みたいなタイプだし。たまにはのーんびり一人でいたい時もあるだろうし。
そんな事を考えていると、レムっちが小さく呟いていた。
「……大丈夫かな、本当に」
大丈夫だってば〜、ずっと一緒の私達がそう言っているんだから。
*
教室でトレイについての会議が終わり、外の空気でも吸いに行こうとエントランスを出ると、噴水の縁に件のトレイが腰掛けていた。
金髪を風にそよがせながら、ぽつりぽつりと雲の浮かんだ青空をずっと見ている。
見上げているというよりは、上を向いてみたら頭部の角度が自然とそちらに傾いたので、そのままぼうっとしているという感じだ。
周囲の喧騒も水の音も流して、ただぼんやりと佇んでいる。
まさしく考え事をしている時の表情だ。
やはりセブンの言う通り、放っておくのが一番だったのだ。あれならきっとその内に元に戻るだろう。
そう思った時、トレイの元に一人の女子生徒が近づいてきた。見覚えのある髪型と体格。レムだ。
特に誰かを探しているようには見受けられなかったので、多分たまたま見かけたのだろう。
柔らかい笑みでトレイに話しかけている。
「……トレイ、大丈夫? 具合が悪いの? 御昼休み、もうすぐ終わるけど」
トレイは返事を返さない。珍しい光景だ。本当にぼんやりしている。
パッと見は本当に体調不良に見える。喋る元気が無い、目眩か吐気を起こしたような感じの顔色だ。
元7組のレムはその辺りが気になるのだろう。心配そうな顔で、
「トレイ? やっぱり、具合が悪いなら医務室に行った方がいいよ?」
「……ああ、いえ、すみません。大丈夫です。少し、疲れていまして」
トレイがやっと答えた。
しかし、やはりそこに覇気は無く、声音も力無い。単語を切って貼って繋げただけのような感じで、明らかに会話を続ける気が無い。
あくまで体調不良ではなく疲労と言い切っている。深く問い詰めてたら逆効果と判断したのだろう。レムはそれ以上は訊かなかった。
「そっか。でも無理しちゃ駄目だよ?」
「ええ。どうも、御心配をおかけしました。……大丈夫ですよ」
トレイがにこっと微笑む。
シンクが好きな、ふんわりと柔らかい微笑み。
どうして他の女子に見せるのだろう。あんなに容易く。
むぅ、とシンクは膨れた。
「じゃ、先に教室に行っているね」
「ええ。またあとで」
離れていくレムをトレイはにこやかに見送る。
と、レムが扉の前にいるシンクに気づいた。
「どうしたの? そんな所で」
「……トレイ」
「あ……御免、御節介だと思ったんだけど……どうしても気になって」
「んーん。そうじゃなくて」
「え?」
レムのような気遣い方もあると、思い知らされた。
悩みがあるのかとズケズケと訊くのではなく――ただ一言、「大丈夫?」と、尋ねるくらいはした方が良かったのではないか。
今更なのに、ふとそんな事を思った。