ヤバい、と思ったのに身体は動いてくれなかった。

 私の持つブリザドBOMではケイトごと巻き込んでしまう。鞭剣もだ。

 ならどうすればいい。どうすればケイトを助けられる――!?

 頭の中を悲鳴が駆け巡る。敵がケイトの頭に向かって銃を振りかぶる。

 ケイトはぎりぎりのところで敵の奇襲に気づけた。だがケイトもパニックになっているのか、魔装銃を取り出す事ができない。

 それでもケイトは頭を庇うように両腕を頭部に覆い被せた。恐らくは肉体の方が反射的に動いたのだろう。

 並の攻撃ならあれでガードできる。が、相手の目は血走っている。

 大の男が放つ全力の一撃に、ケイトの腕が耐えきれるかどうか。ひょっとしたら腕も頭蓋骨もやられてしまうかもしれない。

 そうなってしまったらおしまいだ。

 確かに私達はマザーに守られている。死んでも生き返る事ができる。

 だが、理屈と事実は違う。

 仲間が死ぬところなんて見たくない。

 ケイトに死が迫る。皇国軍の兵士が振りかぶる銃が死神の鎌に見えた。

 その直後、私の横を風が通り抜けた。

 いや、風と思うくらい素早く疾走したエイトだった。

 手甲を外して運動後の体操をしていたエイトが即座にダッシュをかける。早い。全く迷いが無かった。

 私は思わず声を上げた。てっきりエイトがケイトを庇うつもりだと思い込んでいたから。

 だが、エイトは自らが犠牲になる選択肢を選びはしなかった。

 拳を握り、膝をぐっと曲げ、正面からの右ストレートを相手の顔面にぶち込んだ。

 生々しい音が響いて、ケイトの背後にいた皇国軍の兵士の身体がぐらりと後ろに傾く。

 エイトはケイトの髪に血が付かないよう、振り向いて死体を見ないよう、自分の左手をケイトの後頭部に添えていた。

 右手は、恐らくケイトの視界に入れないようにするためだろう、敢えて垂れ下がったままだ。

 その拳から、ポタポタと血が落ちる。

 敵の返り血だ。

 だが、手甲を付けず、直接人体を殴ってしまったエイトの拳にも相当なダメージがあったはず。

 しかしエイトは感じているはずの痛みなど全く表に出さず、どこか優しい声でケイトに怪我は無いかと尋ねた。

 それは戦場には相応しくないほどの、淡く甘く切なげな声。

 エイトがケイトに対してだけ出す声だった。








       *








 皇国軍の敗残兵を殲滅せよ、との任務は完遂。

 三人は上空で待機していた飛空艇に乗り込んだ。

「お帰り〜」

「お疲れ様です」

 シンクとデュースが駆け寄ってくる。

 三人の前に立つと、不意にシンクがぽかんと目を見開き、デュースが息を飲んだ。

「エイトさん、て、手に血が! 怪我をしていますよ!?」

 デュースが慌ててケアルの光を灯す。

 エイトは自分の両手に目を遣った。そして「ああ」と呟き、

「そういや拭っていなかったな」

「んだよただの返り血か! ビビらせんじゃねぇよコラァ!」

 ナインがエイトの頭にタオルを叩き付ける。

 有り難う、と言ってエイトはタオルで両手の血を拭った。

 慣れた手つきで掌や指を丹念に拭っていく。

「すまない、デュース。驚かせて悪かった」

「い、いえ。怪我じゃないんですね……良かったぁ……」

 ほっ、と胸元に両手を当てて安堵の息をつくデュース。

「あの時のエイト、凄かったクポ〜」

 もぐりんが「クポポポ〜」と感嘆の吐息を付け加える。

「ケイトが助かって良かったクポ。ボクは何もできなかったクポ……」

 くたりと首を曲げて、もぐりんが落ち込む。

 と、少し俯いていたケイトが顔を上げた。

 飛空艇に乗り込む間、肩を抱いていたセブンに身体を支えてもらいながらどうにか自分の足で歩いてきたケイトは眉尻を下げ、力無い笑みを浮かべた。

「モグの役割はあたし達の補助とか通信でしょ。油断してたあたしが悪かったの。だから気にしないで」

「クポ……」

 もぐりんが顔を上げる。確かに戦闘は0組の生徒の役割だ。補助役のモーグリがその点で落ち込んでいても仕方ない。

「三人とも、取り敢えず休んだら〜?」

「次は朱雀将校からの依頼でモンスター討伐です。こちらは私達が行きますので御心配無く」

 シンクとトレイの言葉にセブンは「ああ」と頷いた。

「そうさせてもらうよ」

 ケイトの肩を抱いたまま、身体の向きを変え、隅に移動する。 ケイトの肩を支えていて気づいたのだが、ケイトの体力はもう限界に達していた。

 肩を抱いていた腕を解き、セブンが壁にもたれさせてやると、ケイトはやや震える声で「ありがと」と呟いた。

「ちょっと、疲れちゃった……」

 壁に背もたれをしたまま、その場に座り込んだ。

 前髪の下から見えるケイトの目は、疲労と、安堵と、様々な暗い色で曇り、淀んでいた。

 いつも快活なケイトのこんな表情は初めて見る。

 何と声をかければいいのか、とセブンが困惑すると、エイトがケイトのすぐ隣に座り込んだ。

「エイト……?」

 淀んだ目のまま、ケイトがぽそりと呟く。

 エイトは何も言わず、右腕をケイトの肩に回して抱き寄せた。右手を後頭部に回して自分の肩に押し付ける。

 寝ろ、とでも言っているのだろうか。

 あるいは寄りかかれと言っているのか。

 もしかしたらその両方か。

「……んん……」

 すん、とケイトの鼻が動いたように見えた。

 エイトの匂いを感じて少し落ち着いたのか、ケイトの目の曇りがわずかに晴れる。

「……エイト」

「何だ」

 ぎゅっ、と、強く、肩だけでなく身体ごと抱き寄せて、エイトがケイトを見る。

 見ているこちらが胸焼けするような優しい眼差しだった。

「……助けてくれて、ありがとね」

「……今度からは、油断しないようにしないとな」

「うん……」

 ケイトは素直にこっくりと頷く。

 彼女の目がとろんと甘くなる。

 エイトの優しい眼差しを受けて綻んだのか、あるいは身体の疲れが出始めたのか。

 目に眠気を見せ始めたケイトを見て、甘くなっていく場の空気を感じて、セブンは足音を殺してそっと離れた。








       *








 そういえばシンクとトレイに休めと言われた事を思い出し、セブンはちょうど視界に入ったソファに腰掛けた。

 尻を沈めて背もたれをする。と、思ったよりふかふかで快い。もしかしたら魔導院のサロンのソファより上質な物かもしれない。

 思わず口元が綻ぶ。と、目の前のテーブルにマグカップが置かれた。ほわりとココアの甘さを含んだ湯気が漂う。

 マグカップを置いた手を辿って視線を上げると、そこに痩躯の兄弟がいた。

「キング」

「クイーンからだ」

 キングが顎をしゃくって背後を示す。

 皆がワイワイと賑やかに集まる中、クイーンがお盆を持って飲み物を入れたマグカップを配っていた。

 シンクが「わーい! レモンティーだ! ありがと〜!」と騒いでいる。

 こちらの飲み物はココアだ。

 まさかと思うと、セブンの心情を読んだキングは頷いた。

「一人一人に別々の飲み物を作ったらしい」

「凄いな、クイーンは……」

 いくつもの任務と依頼を同時に背負って魔導院を出発した今回の遠征では、クイーンはデュースと共にケアルによる回復を行う待機組に回っている。

 確かに待機組は前線に出る者のバックアップが仕事だが、ここまで徹底して気配りをしてくれるのは流石だと思う。

 ココアを淹れてくれたのは、糖分を取って休んで欲しいという配慮なのだろうか。

「……頂こう」

 何はともあれ、クイーンの気遣いは有り難い。ちょうど度が過ぎない程度の糖分も欲しかったところだ。

 湯気の勢いが弱まった所を見計らって、セブンはマグカップを持った。

 息を吹きかけて冷ます。一口啜った。

「……ん」

「美味いか?」

 斜め横の別のソファに座ったキングが声をかけてくる。彼の飲み物はブラックコーヒーだった。

「……おいしい」

 ほ、と一息をつく。

 ほんのりとわずかに苦い甘さが舌を包む。と、舌の上に何かどろりとした甘さが溶けた。

「ん……あれ?」

 溶けきれなかったココアの粉だろうか。いや違う。それにしては甘い。

 舌を探ると砂糖に似た甘さを感じた。これは――マシュマロ、だろうか。

 そういえばシンクやケイトはリフレでココアを注文する際、マシュマロを入れてと言っていたような気がする。

 近頃は予めマシュマロが入ったココアの粉の袋も売られていると聞く。シンク辺りが持ってきたのだろうか。

「……甘い、な」

 セブンの味覚は、甘味は程々に好き、といった程度だ。

 普段なら甘さに辟易して残してしまったかもしれないが、今は戦闘を終えたばかりなので、身体はエネルギー源である糖分を大いに欲していた。

 コクコクと飲む。

 マシュマロ入りのココアはとろりとした甘さでおいしかった。

 今度からはリフレでこれ注文してみようかな、と思った、その瞬間。

「ん」

 舌にねっとりとした甘さが来た。一気に胸焼けがする。

 今度はマシュマロの塊だった。いくつかの小さいマシュマロが溶かされていく内に合体したらしい。しかも微妙に溶けきれておらず、直に甘さが脳髄まで浸透してきた。

 セブンが思わず眉をひそめると、キングが「どうした」と眉を立て、性急な動きでマグカップをテーブルに置いた。

「い、いや……マシュマロの塊が」

 大した事じゃないんだが、と付け足そうとして、セブンは口を閉じた。胸焼けが酷くて喋れない。

「……大丈夫か?」

 キングは気遣わしげにセブンを見た。

 マシュマロくらいで何でそんな泣きそうな顔をする、と思ったが、確かに、甘味をそれほど食さない舌に直接的な甘さが来ると参ってしまうかもしれない。

 甘い物は辛い物や苦い物で中和できる。

 キングは自分のマグカップを差し出した。

「飲め」

 中身は半分以上残っていた。もう湯気は立っていないが、まだ冷めてはいない。

 セブンはちらりとキングを見た。

「……いいのか?」

「ああ」

「……じゃあ、頂こう」

 セブンはキングのマグカップを持ち上げた。

 マグカップを口元で傾ける。ブラックコーヒーの苦みが口の中に広がり、胸焼けしそうな甘さが一気に紛れていく。

 一息ついて、セブンは気づいた。

「あのさ、これ……間接キス、だよな……?」

 顔が徐々に赤くなっていくセブンに、キングは平然と言ってのけた。

「ああ。そうだな」








       *

 

 
 
 

「セブン、間接キスで顔真っ赤になってる〜。か〜わい〜」

 遠目にソファの二人を見守りながらシンクがのんびりと言う。

 セブンはマグカップを両手で包むように持ちながら、口を開いては閉じ、何か言いかけては噤むを繰り返している。何を言ったらいいのか分からないのだろう。

 しまいには顔を真っ赤にしたまま俯いてしまった。マグカップは胸元に抱いたまま。

「何て言うかさぁ、エイトとケイトはハチャメチャラブコメ系で、セブンとキングはのんびりおっとりのイチャイチャ系だよね〜」

 ふふ、と微笑みながらシンクはレモンティーを飲む。

 本なら割と何でも読むクイーンと、最近になって恋愛小説というジャンルの本も読み始めたデュースはシンクの言葉に微苦笑を返した。

 シンクの言い方は言い得て妙だ。

 確かにエイトとケイトは王道の恋愛漫画に出てくるカップルのように、気づけばそっと寄り添い合っていて、軽い喧嘩をしていてもいつの間にか仲直りしている。学生のような無邪気さがあるのだ。

 対してセブンとキングは、二人とも0組の中で年長者であり、物腰も非常に落ち着いている。そのため公然でイチャついたりはしないが、やはり二人とも熱く若い十代である。たまに、という頻度であるが、ひっそりと裏庭で抱き合っていたりキスをしたりしていた。教室や他の場所でいる時は熟年夫婦のようにおっとりしているのに、二人きりになるとイチャつき出すのだ。

 ――何だか難しい事、言ったような気分ー。

 シンクはナインやエイトとは異なり、本を読む。クイーンやトレイが傍にいたためか、幼少期から割と読む方だ。報告書は面倒臭いだけで。

「二組とも違うタイプのカップルで、見ていて飽きないよね」

「とても仲が良くて、羨ましいです」

「場を考えてもらいたいのですが」

 クイーンの眼鏡の縁がキラリと輝く。

 シンクとデュースがクイーンの視線を辿ると、いつの間にかキングとセブンの二人が同じソファに腰掛けていた。

 隣同士に座る二人の身体は密着していて、キングがセブンの肩に腕を回し、セブンはキングの背中にそっと腕を添える。

 何やら熱い眼差しで見つめ合っていて、ゆっくりゆっくりと顔が近づき合っていて――。

「……青春ですね」

 公然でイチャつくなと言いたいところだが、ああまで甘い雰囲気を晒されると、もう勝手にしろと投げ出したくなる。

 浅く溜息をついて軽く首を振りながら発されたクイーンの言葉に、デュースは先程より濃い苦笑いを返す事しかできなかった。

  

 

 

 

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