人を殺すのはいけない事だと、綺麗な倫理は唱える。
戦争はいけないよと、きっと後世の世界は伝えるんだろう。
だが、人を殺さなきゃ自分が殺される世界、戦争が起きている時代に生まれついたなら、一体どうすればいい?
*
相手の皇国軍兵士が銃を振り上げる。回避して拳を叩き込む。相手の身体がくの字に折れて倒れる。
直後、エイトの視界がいきなり変わった。魔法アボイドの効力が発動したのだ。
襲いかかってくるクァールに蹴りを見舞う。悲痛な叫び声を上げてクァールが倒れる。
また視界が切り替わる。目の前に現れた敵に拳を叩き込む。
とどめの一撃を放とうとした瞬間、三度視界が切り替わる。脇を銃撃が掠める。
四度視界が切り替わる。銃撃の音とタイミングを読んで気づいた。遠くに狙撃者がいる。
戦闘スタイルが超至近距離の自分ではどうしようもない。魔法も得意ではない方だ。だから仲間に任せるしかない。
今いるメンバーは、自分以外には、セブンとケイトだ。遠距離攻撃が得意な方は無論――。
「ケイト! 二時の方向!」
「りょーかい!」
ケイトが魔装銃を向ける。セブンが素早く周りの敵を一掃する。
たった一言で即座に連携が組まれる。伊達に長い付き合いではない。
ケイトの魔装銃から銃声が走った。狙撃がやむ。が、また敵はいる。向こうから奥から続々とやってくる。
勝利を得るためにエイトは駆けた。
拳と足を振るう。その度に痛みを感じる。どれだけ鍛えていても人体と直接ぶつかっていれば痛みは必ず来る。その痛みを飲んで戦う。
戦って戦って――やがて視界から立っている敵がいなくなった。全て血を流してぐったりと倒れている。
セブンが鞭剣を収縮させる。眉がわずかにひそめられていた。血がべっとりと付着していた。拭き取るのに大変そうだ。それに刃零れもあった。
ケイトは慣れた手つきでくるりと回して魔装銃を仕舞う。
「お疲れ」
「ああ」
腕を軽く振る。振り切られた返り血がパタパタと地面に落ちた。
制服に肌に手甲に血はべっとり、ぐっしょりと染みている。雨を浴びたような重さがのしかかってきた。
エイトは両手の手甲の留金を一つ一つ外した。
手甲を抜き取る。覆いの手甲が無くなると、外気に触れた手の甲が涼しく感じた。
そうすると先程までの手甲を装着していた状態が汗ばんでいたように思えて手をハタハタと振る。
「モグ、本部に繋げて」
「Ready」
ほわんほわん、ともぐりんの後頭部のポンポンが軽く発光し始める。
連絡はケイトに任せて、エイトは屈伸などの軽い運動を始めた。
激しい運動が終わった後、いきなり止まるのは身体に良くない。ほぐしていくのがコツだ。
右腕で左腕の肘を抱き込み、左腕を右に伸ばす。逆も繰り返す。
丹念に、筋肉の柔軟さや収縮の具合を計算しながらほぐしていると、ふとセブンが自分を真似して屈伸したり腕を伸ばしたりしている事に気づいた。
目が合う。セブンは淡く微笑んだ。
「お前がやっているんだから、身体にいいだろうと思ってな」
年長者である彼女からの言葉に、エイトはくすぐったそうに笑った。
「ずっとこうやってきたんだ、効き目は保障するぞ。……武器を扱っていても、やっぱり資本は身体なんだな」
「当たり前だろう。……しかし、やはり運動の後でも身体をほぐすのは大事なのだな。身体が火照ったままなのは苦手なんだが」
「俺はそうでもない」
「そうなのか?」
「ああ」
身体をじくじくと苛む熱。内側に籠もり、粘るような疲労を伝えてくるあの熱は、嫌いではない。
激しい運動を終えたという充足感があるし、何より――。
「冷たくないからな。だから俺はむしろ有り難い」
「? 冷たいって何がだ?」
「それは――」
不意にエイトは気づいた。
それに気づいたのは幸運か僥倖か。あるいは必然か、偶然なのか。
ケイトの背後で、倒れていたはずの血塗れの皇国軍兵士がゆらりと立ち上がり――弾切れなのか、それとも直接殺したいという執念に駆られているのか、殴打の武器としても使われる銃を振り上げている。
「クッ……クポッ!?」
通信中のもぐりんが飛び上がる。その衝撃なのか、ぽんぽんの光が消えた。
「? ちょっとモグ、まだ通信中――」
言いかけて、ケイトはひゅっと息を飲んだ。
何か。とても冷たい何かが背後にいる。
まるで、死神に鎌を突きつけられ、耳元で何かを囁かれているような感覚。
背筋が寒気で震え上がる。この戦争が始まってもう長い。感覚で分かる。
死の予感だ、と。
応戦しなきゃいけない。
殺さなきゃ殺されてしまう。
銃を取らなきゃ。取らなきゃいけないのに。
手にぞわぞわぞわと這い上がる悪寒で指が凍りついたように動かない。思考が纏まらない。何とかしなきゃいけないのに、死への恐怖で纏まりかけていた思考が掻き乱されてしまう。
もう間に合わない。口から情けない悲鳴が漏れる。肉体を守るため、反射神経で腕が勝手に動き、頭を覆い守る。
その直前。
「――ん」
エイトが動いた。
驚愕で目を剥いて動けないセブンを置き、彼女とは逆に眉一つ動かさない冷徹な表情のまま、手甲を装着していない素手の拳を躊躇い無く振りかぶる。
その拳がケイトの頬の横を通過し、その後ろにある皇国軍兵士の、どこかの部分に直撃した。
何かが潰れて裂けて砕けるような音が響く。
水を一杯に溜めた風船が割れたような、カルシウムが一杯に詰まった硬い何かが割れたような、そんな音だった。
「……あ……」
ぴちゃびちゃ、とケイトの後頭部に温かい飛沫のような物が降り注ぐ。
だが、降り注いだのは音で、実際に後頭部に滴が付いたような感覚を感じたのはほんの二、三回だけだった。
後頭部に熱を感じる。運動を終えたばかりのアスリートのように汗ばんだ手。
目の前に、ネクタイ状に結んだ赤色のマントが見えた。
すん、と鼻を動かすと、目の前からほんのりと汗の匂いが漂ってくる。
「……エイ……ト……?」
右の拳で敵の顔面を粉砕した彼が、左手でケイトの後頭部を覆っていた。
どさり、と倒れる敵の姿を、エイトは鋭い眼差しのまま見つめる。
地面に打ちひしがれて動かなくなった敵の姿を見届けてから、エイトはケイトの頭を抱いたまま左手を手前に寄せ、ケイトを抱き締めた。
「……怪我は無いか?」
耳元で囁く。
ほんの数秒前に起こった事に神経が焼き切れたような錯覚の痛みを受けながらも、エイトの腕の中でケイトは頷く。
「うん……」
「良かった」
エイトは左手をケイトの頭から背中に滑らせ、添えるように置いた。
背後を振り向かないよう、そのままセブンの元へ行くように誘導する。
ケイトはふらりふらりとした足取りでセブンの元に辿り着いた。セブンがケイトの肩に腕を回し、ふらふらする彼女を支えるように歩いていく。
それを見届けてから、エイトは自身が屠った皇国軍兵士を見下ろした。
これまで殺してきたどの兵士よりも、哀れで悲惨な姿を晒している。回収しに来た部隊はもしかしたら吐気を催すかもしれない。
だが、エイトの心は、動く事はあっても迷わない。
殺したな、と思いはしても、殺してしまった、とは思わない。
だから無残な姿をした遺体には謝罪も何も述べず、そのままくるりと踵を返してその場を去った。
*
人を殺すのはいけない事だと、綺麗な倫理は唱える。
戦争はいけないよと、きっと後世の世界は伝えるんだろう。
だが、人を殺さなきゃ自分が殺される世界、戦争が起きている時代に生まれついたなら、一体どうすればいい?
――俺の答えは決まっている。
殺さなきゃ殺されるのなら、殺す。
戦争があって、それに参加するのなら、最大限に戦い、最大限に抗う。
必要なら血も浴びる。怪我も負う。痛みも背負う。
決めた道に迷いは抱かない。
――お前は俺が守る。
帰りの飛空艇で、軽いショック状態と茫洋状態に陥り、床の上に直接へたり込んでしまったケイトの隣に座って、肩を抱き寄せながら、エイトは心の中で呟いた。
――まだ、だ。
まだ満足できない。
もっと強くなりたい。
身体を守るだけじゃなく、心を守れるくらいに。
強くなりたい。
――お前は俺が守る――守りたい――だから……だから、俺は――。
思考が纏まらない。まるで泣きながら玩具を買う駄々っ子のようだ。
彼女への想いが溢れて止まらない。
――お前だけは……。
ふと、肩に重みを感じた。
首筋と顎の辺りにふわふわとした髪を感じる。
いつの間にか、ケイトがエイトの肩に寄りかかって寝息を立てていた。
何やらくぅくぅと気持ち良さそうに寝ている。
その寝顔は穏やかで安らかで、安心しきっていた。もう先程の茫洋状態からは抜け出せたのか、顔色も大分良くなっている。
頬にかかっている髪を指先でそっとどけてやり、姿勢を崩さないよう気を付けながら、エイトは飽きずケイトの寝顔を見つめ続けた。