人は死を望む。

 本能的に。根本的に。

 生きてはいても、心のどこかに死への憧れを持つ。

 生と死は正反対。そして、正反対であるがための表裏一体。

 生きている限り、死を思う。








 目の前に聳える扉には、ぎょろぎょろと蠢く目玉のような物があった。

 上へ上へと視線を辿っていくと、じゃらりと長そうな鎖があり、その先に、二つの人の像のような物があった。

 鎖で縛られ、空中に吊るされている二つの人の像は、左が右手を、右が左手を伸ばして掌を合わせており、まるで扉を守るように左右一対として存在している。

 二つの人の像は、良く見れば少年と少女だった。

 ショートヘアの少年とポニーテールの少女。

 二人の像は、本で良く見るような美しい乳白色ではなく、粘土のような黄土色を帯びていた。

 そのためか、見た目は魂がそのまま抜き取られたような精緻な像であるにもかかわらず、どこか不気味で、醜悪で、そして何故か物悲しい。

「……あれ……?」

 どうしてだろう。

 あの二人を、どこかで見た事があるような気がする。つい最近。

 だが、思い出せない。

 見た目は人なのに、人の色をしていないだけで、人には見えなくなってしまう。見た事があるはずなのに、どうしても思い出せない。

 誰だっただろう。

 像を見上げながらひたすら考え込む。

 と、不意に背後にふっと気配が起きた。

 唐突に現れたのではなく、まるで最初からそこにいた誰かが認識の範囲内に入り込んだような、自然な現れ方。

 驚きはしたが、何故か恐怖は感じなかった。

「――ん、あれ? 君、どうしてここに……?」

 振り向くと、そこに黄色のマフラーを巻いた黒髪の少年がいた。

 初対面の人にも警戒心を抱かせない、人懐こい笑みが浮かんでいる。

「貴方は……?」

「僕? 僕は望月綾時。君は?」

 自己紹介を求められる。

 綾時、と名乗った瞳に見つめられる。

 促されるままに唇が動いた。

「神郷慎」

「慎君ね。成程。宜しくね」

 にこりと微笑まれる。慎は目をパチクリとさせた。

 初対面の相手に対してここまで好意的に接してくる人間は初めて見た。

 慎の社会的身分である高校生という生き物は、良くも悪くも大人ぶっていて擦れているものだ。

 彼のような純粋な表情は、久し振りに見たような気がする。

「あの、ここはどこですか?」

 慎の問いかけに、綾時は眉尻を下げた。

 慎は最初、綾時のその表情が困惑の色に見え、この人を困らせてしまったのかな、と少し焦った。

 この人もこの場所の事を知らないのだとしたら、今の自分の問いはこの人を困らせてしまった事になる。

「あ、ええと、すみませ――」

 ふと、言葉を飲んだ。

 違う。この人は困っているんじゃない。

「……ここはね……何て言ったらいいのかな」

 悲しいんだ。きっと。

「大いなる封印の場。そう言った方がいいのかな」

「大いなる封印?」

「そう」

 綾時は視線を斜め上へ持ち上げた。

 慎はその視線を手繰った。

「――人は誰しも死を望む。生きているからこそ、死を思う」

 綾時の視線の先には、あの二人の像があった。

 双子のように左右に揃い、縛られ吊るされている二人。

「死を思う人達は、死に触れたがってしまう」

「……死……に?」

 つい先日までペルソナ関連の事件に巻き込まれていた慎にとって、死とは、手を伸ばせば簡単に触れられてしまう、恐ろしいものだった。

 死とはまた異なるかもしれないが、ペルソナを傷つけられた人は、精神疾患か、あるいは無気力症のような状態に陥ってしまう。

 死は恐ろしいものだ。

 死ねば、つまりは、もう生きられなくなるのだから。

「そう。死に触れたがるんだ。人はね」

 綾時が後ろを振り返る。

 釣られるように綾時の背後を見て、慎は目を剥いた。

「なッ……!?」

 奇妙な扉と二人しかいない、突き抜けるような広さと高さを持つ空間に、そのだだっ広い空間を埋められるほどの巨大な怪物がいた。

 頭部から腰元のラインは人と似ているが、鋭い角のような物が生えており、闇そのもので形成されたように全体的にドス黒い。

 眼は血走ったように赤く爛々と輝いており、唇は無く、牙ではない、人のそれと似た歯がドス黒い煙の中に浮いている。

 腰元から先に足は無く、もう一体の似たような怪物と身体を一つにしている。

 つまりは二頭の怪物だった。

 ペルソナ、ではない。あれはペルソナにしては大きすぎる。

「大丈夫。すぐに片は付くから」

「? 片は付くって……?」

 綾時がにこっと微笑む。

 一瞬後、彼はすっと笑みを消し、目を閉じた。

 人好きのする笑みが似合う彼の姿が光に包まれる。

 その光が弾けた後、そこにいたのは綾時ではなく、棺桶を背負った、人の形に似た奇妙な化物だった。

「……ペル、ソナ?」

 綾時、と思しき人型は何も言わず、宙浮いた状態で二頭の怪物の方へ向かっていく。

 二頭の怪物とペルソナ。比べてみると体積としては怪物の方が圧倒的だ。ペルソナの何十倍もの巨体である。

 腰元を引き摺るように扉の方へ向かう怪物に、ペルソナが手に持っている直刀を振るう。

 怪物が悲鳴のような咆哮を上げた。ふらりふらりと視線を左右に彷徨わせ、ペルソナを見つける。

 だが、怪物はペルソナを見ても、特に何も反応しなかった。ただのっそりと扉へ視線を戻すと、またその巨体を引き摺るように進み始める。

 ペルソナがまた直刀を振るう。巨体に刃が突き立てられ、怪物がまた咆哮を上げた。

 しかし、ギラギラと輝く眼は扉だけを見つめている。焦がれていると言うように、腕を、手を、指を伸ばす。その爪先までも、わずかでも届くように。

「……あの怪物……あの扉へ行きたいのか……?」

 慎は扉を見た。

 双子のようにも、他人同士がただ一対で並んでいるだけにも見える二人の像は、鎖で吊るされたままだ。

 怪物が進む度、空間全体に地響きのような振動が走り、鎖と像が軽く揺れ動く。

「と、っと……」

 思わず尻餅をつく。

 三度、怪物が咆哮を上げた。

 ペルソナが直刀を構える。

 直後、怪物の表面上でいくつもの鋭い刃が走った。

 ブレイブザリッパー。

 パックリと開いた切傷から黒い靄が溢れ出す。

 怪物の目線が扉から離れた。まるで人のように天を仰ぐと、力尽きて形を失ったように、地面の中に下に、ずぶずぶと沈み込んでいく。

 最後に爪先の先端まで沈むまで、慎はその光景から目が離せなかった。

 怪物の消滅を見届けたペルソナがこちらに来る。

 光がその姿を包んだ。

「やあ、待たせて御免ね。すぐに片付ける、って言ったのに」

 光が弾けた後、慎が予想した通り、そこには人好きのする笑みを浮かべた綾時がいた。

「あ、いえ……というか、あの怪物って何なんですか? 貴方は人……じゃなくて、ペルソナなんですか?」

「うーんとね……何て言ったらいいのかな……」

 綾時は困惑した。あんな光景を見たら質問したくなるのは分かるが、それにどうやって答えればいいのか分からない。

 つらつら考えていくが、ふと気づく。

「……あれ? 君、ペルソナって言った事は……ペルソナ使い?」

「え? ええと……まあ、多分」

「じゃあ話は早いね」

 綾時の顔にパアッと笑みが咲く。ここが高校の教室なら黄色い悲鳴が上がりそうだ。

「ずっとここにいると暇でね。時間の流れなんて、あって無いようなものだし、あるのか無いのかさえも分からないんだけど」

「え……? 哲学、ですか?」

 慎が戸惑うと、綾時は「御免、御免」と眉尻を下げた。

 それから、慎の背後に向かって呼びかける。

「ねえ、君達もおいでよ。さっきのを倒したから、多分、当分は出てこないだろうし」

 ざっ、と、慎の背後から足音が聞こえた。

 こつこつ、かつかつ、という足音が聞こえてくる。

 一つは甲高く冷たく響く一定の歩調で、もう一つはスポーツでもやっていそうな軽く明るい歩調だ。人格が滲み出ていそうな特徴的な足音である。

「いつも言っているけど……有り難う、綾時」

「御免ね。前の戦闘で結構疲れちゃって……やっと体力が溜まったよ……」

 慎は振り向いた。

 そこに、青色の髪と瞳を持った少年と、赤色の髪と瞳を持った少女がいた。

 二人とも同じ学校らしき制服を着込んでおり、それぞれ色違いの携帯音楽プレイヤーを首に提げている。

 少年が薄氷のような冷たい瞳で慎を見据える。男子にしては線が細く、色白だが、歩く仕草はどこか気品があり、弱々しさは微塵も感じられない。

 少女の方は光か炎のような強い眼差しの瞳が特徴的だった。大きな瞳とぷっくりとした唇が魅力的で、微笑みが似合う可愛らしい顔立ちをしている。

「こんにちは」

 少女が話しかけてくる。

 老若男女を問わず人を惹きつけそうな、魅力的な笑顔だった。

「歓迎するよ。神郷慎君」

「あ、どうも……、え? 何で俺の名前を……?」

「さっき言ってただろ」

 少年の方がぽそりと呟く。ぶっきら棒で無愛想な声だが、つんけんと突き放したような感じはしない。いわゆる脱力系というやつだろうか。

 おおよそ初対面への対応とは思えない態度に慎が思わず目をぱちくりさせると、少女が苦笑して、

「さっき自己紹介していたでしょ? その声を聞いていたから」

「あ、ああ、成程……」

「御免ね。湊、無愛想だけど悪い子じゃないから」

 更にフォローを入れる。親しい仲なのかもしれない。

「私は有里奏。宜しくね、慎君」

「あ。はい、どうも……」

 慎が会釈を返すと、奏という少女は柔らかい笑顔を返した。

 


 

 
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