――――人を愛するという事を、理屈じゃなく、本能で感じた。
感じて、得て、心に留める事ができた。
有り難う、愛する人。
俺は最初で最後の恋を、全力で貫いた。
最初は彼女の事は単なる女子の一人としか捉えていなかった。
異性という事で少し距離を空けられていたし、今にして思えば変にモテるから男子にちょっと辟易していたんだろうな。
とにかく最初はあまり仲は良くなかった。
仲間として信頼はしてもらえるけど、男子としては意識してもらえていなかったと思う。
俺も同様に彼女の事は仲間の一人としか思っていなかった。
良く順平には「モテるのに勿体ねえなお前!」とか言われるけど、ぶっちゃけ他人なんてどうでも良かった。
あの日、両親を失った日から、俺は親戚中を盥回しにされて生きてきた。
自分を守る分の余裕しか無くて、だから自分を守っている内に、いつしか他人への興味も薄れてしまっていた。
他人と関わる事に意義を見出せなかった。
だから彼女の事も、一時的に近くにいるその辺の有象無象と同じ、と、まあそんな風に考えていた。
それが崩れ去ったのは七夕での出来事が原因だ。
シャドウの精神攻撃を食らった俺達は、まあ率直に言うと、互いの裸を見てしまった。
俺はシーツを被っていて、彼女はバスタオルを巻いていたから全裸ってわけじゃない。
それでも互いに衣服を身に着けていない素の肌を見てしまったという事は事実で、少しの間、本当に気まずかった。
俺も珍しく他人について悩んだ。
何て言って謝ろうか、とか、何かプレゼントすべきかな、と。
考えた末、ラフレシ屋で小さな花束を作ってもらい、それを差し出しながら、御免と言った。
彼女は最初きょとんとしていたものの、すぐに花束を受け取り、笑ってくれた。
「別にいいわよ、もう」
今にして思えば、あの時が久し振りだった。
俺だけに向けられた笑顔を見たのは。
それからは彼女と話す機会が増えた。
お互い擦れ違ったら声をかけたり、他愛もない話をしたり。
「一緒に帰らない?」
先に誘ってくれたのは彼女の方だった。
俺は特に何も考えずに、頷いた。
昔の俺なら速攻で断っていた。その事に気づけたのは、随分とあとになってからだった。
この時からもう彼女は俺の中では特別だった。
夏。屋久島に行き、そこで知った事実に傷つき戸惑う彼女の身を抱き締めた。
何も言わずに、ただ背中に腕を回して、両腕で引き寄せて。
恋人がいた事なんて無い。漫画もあまり読まない。だから小説の一端で出たような動作を真似するしかなかった。
けど、抱き締める事はできた。
冷たく荒んでいた俺の心に、ちっぽけな何かが灯った瞬間だった。
その想いはだんだん膨らんでいって、徐々に俺の心を満たし始めていた。
温かくて、優しくて、そして時に俺自身ですら恐ろしくなるほどの狂気を孕んだ感情。
屋久島から帰った後も、その気持ちはゆっくりと芽生え、茎を伸ばし、花を咲かせつつあった。
盗られた財布を取り戻そうと行った彼女を追いかけ、男に絡まれているのを見た時は、自分でもびっくりするくらい頭の中に血が上った。
慌てて割り込み助けに入ったら、彼女は惚れて――くれやしなかった。そんな単純な性格の持ち主じゃなかった。むしろ何か余計な事をしたような感じになってしまった。
まあ確かに彼女は強気で、勝気で、自分一人でどうにかできるって思っていたんだろう。何かちょっと気まずい感じで立ち去られてしまった。
恋愛って上手くいかないなと痛感した。
けど――今にして思うと、本当に本気だったんだろう――面倒臭いこんな想いは捨ててしまおうという選択肢は思い浮かんですらこなかった。
後日、屋上で呼び出されて向かってみると、彼女が謝ってきた。どうやら嫌われてはいなかったらしい。俺は安堵感を覚えた。
わかつで食事をして帰って。
彼女の自室に招かれ、素直に入った。
学校の事とか勉強の事とか他愛ない話をしていたら、彼女の母親から電話がかかってきた。彼女にとっては大きく、そして最も心を揺す振られる存在。予想はしていたけど、やっぱり仲が上手くいっていないらしい。
君が好きだとはっきりと自覚し、これからどーやって攻めようかなと思っていた俺に彼女は言った。
お母さんに会いに行く時、一緒に来てくれる? と。
すぐに即答した。
いいよ、って。
そうしたら、心から安心しきった、柔らかい笑顔を見せてくれた。
男って馬鹿だよな。でもって単純だよな。
その頃、同じようにチドリという女の子に惚れた順平と二人して恋する男のボーイズトークを繰り広げていた。
彼女が笑うだけで幸せなの。マジで。もっと笑っていて欲しいけど、あまり他の男の前では無防備になって欲しくない。
けど心のガードが徐々に取れていって今では本当に俺の事を信頼してくれていて、自分の抱えるデリケートな問題も明かしてくれた。
これ男冥利に尽きるよな。そうじゃないか? ほんと嬉しい。
って自分でも驚くくらいのマシンガントークを繰り出したら、その一つ一つにうんうんと頷きながら順平は物凄く明るく笑った。
「何かお前、変わったな。マジで全力でゆかりっちが好きなんだな」
「あれ……? 俺、好きな人が彼女って言ったっけ?」
「んなもん見てりゃわかるっての。熱いねえ全く。このこのォ」
仏頂面って自覚があったのに、他人から自分の抱える感情を見抜かれたのは初めてだった。
この一週間後に、彼女に告白された。
物凄く嬉しかったけど、ちょっぴり恨めしく思った。俺の方から告白しようと思っていたのに。
それを晴らすためにぎゅって抱き締めたら、そろそろと腕が伸ばされて、同じように抱き寄せられた。
甘い匂いがして、柔らかくて、俺に身も心も委ねてくれていて。
嬉しかった。
あの日、両親を失って以来、初めて自覚した愛って感情に、体中が打ち震えた。
まるで氷が溶けたみたいだった。
それからは、彼女が俺の傍にいる新しい日常が始まった。
やる事は以前と同じ。
タルタロスを上って、シャドウを倒して、行方不明の人を助け出して。
色々な人と知り合って、話して。
けど一部の人が妙にニマニマしていた。
「クラスで君の話題が持ち切りだよぉ。おめでとう」
「かーっ、ガキが色気づきやがって!」
「良かったね……」
「んん? あんたコブ付きになったわね? めでたいわねえ! あ、でも芸能界デビューの話ならいつでもオッケーだからね?」
同じ学校の末光はともかく、何故か無達さんと神木さんと田中さんは俺が何も言わない内に見抜いていた。
大勢に知られるのはやっぱりちょっと気恥ずかしいけど、でも俺はおめでとうって言われて嬉しいと思えた。
「有り難う御座います」
だから、素直にそう答えておいた。
授業が終わると彼女と一緒に帰って、俺の部屋で一緒に勉強をしたり、彼女の部屋でテレビやDVDを見たり、寮の厨房で一緒に料理をしてみたり。
他愛もないのに、誰でも経験していそうな事なのに、彼女と一緒にいるだけで世界の何よりも大切なものに思える。
眩しいくらいに輝いていて、息苦しいくらいに心が焦がれる。
自然と笑う事が増えていった。
あの日に失ったものを、ゆっくりと取り戻していった。
けど、この後、この幸せはいつか必ず終わるものだと、俺は理不尽な宣言を受ける事になる。