「俺ね。ヒカリさん。貴女に憧れていたんですよ」
「え? そうなの?」
「はい」

コトン。
ヒカリがココアを入れたマグカップをテーブルの上に置く。
どうも、と呟いてから、トウヤはマグカップを両手で包むように持った。
ふうふうと息を吹きかける。
鼻先に感じる湯気は熱く、もう少し待ってからかなと思ったトウヤは目前でヒカリが同じく熱々であるはずのココアをグイッと飲み込んだのを見て思わず瞠目した。

「熱くないんですか?」
「熱いよ」
「火傷しないんですか? 口の中とか、舌とか」
「するよ。飲み終えた後に気づくけど」

ああ、とヒカリが呟く。

「せっかちな幼馴染みの癖がうつっちゃったかな。熱い物は熱い内が一番おいしいに決まってる、っていつも言ってたから」
「あ。知ってます。ジュンさんですよね」
「え? 知ってるの?」

ヒカリは再びきょとんとした。
自分に憧れていたという発言は先程に当の本人から受けたが、その自分の関連人物まで知っているとは思わなかった。
彼はイッシュ。
対して自分はシンオウだ。
シンオウ、カントー、ジョウト、ホウエンは陸続きなので情報の移動も活発だ。
しかし、海を越えた先にあるイッシュではさほどではないはず……だが。

「雑誌とか、テレビとか……フリーペーパーに、シンオウ地方のポケモントレーナーのブログ。貴女の事が取り上げられているなら、片っ端から調べて探しましたから。イッシュ地方からでも、シンオウ地方のネット情報は検索できますし」
「ああ、成程ね……」

情報化社会というやつだ。
というかブログの人が誰なのかが気になる。

「トウヤ君」
「何ですか?」

ようやく、ゆっくりとではあるがココアを啜り始めたトウヤが柔らかい笑みで尋ねる。
いつも物腰が穏やかなコウキと、少し似ているかもしれない。
ただコウキが年齢に不相応な落ち着きを持っているのに対して、トウヤはイッシュという異なる地方の出身であるためか、大人びた外見のせいで実は年齢が良く分からない。

「凄く嬉しいし、自惚れているのは百も承知なんだけど、訊いてもいいかな」
「どうぞ」
「どうして私に、憧れてくれたのかな」

その質問は意外だったのか、トウヤは軽く目を見開いた。
うーん、と軽く唸り、腕を組んで顎に指を添える。

「そうですね。強いて言うなら……」
「言うなら?」
「顔」
「顔!?」

ポケモンバトルの腕とか戦い方とか使うポケモンとかそういう答えを予想していたのに、顔という予想外にして直球の答えを食らい、ヒカリは思わず素っ頓狂な声を上げた。
その声を出した当のヒカリの方が想像以上の音量に思わず驚いてしまったが、件のトウヤは全く動じた様子を見せない。
先程と同じ、にこりとした柔らかい笑みを見せる。
年齢はそれほど変わらないはずだが、ともすれば年上にも見える、丁寧で柔らかく整った笑みだった。

「最初に目に付いたのが、その肌理細かい、美しい、白い肌でした。カメラでアップになっても、全く荒れが見えなくて、とても滑らかで整っている。化粧も何も施していないはずなのに、どんなモデルや芸能人よりも綺麗で」
「ありが」
「奥深い色を湛えた瞳も、リップを塗った唇も、さらさらと音を立てて棚引く細い黒髪も、とても美しい。あの日の俺には、貴女がまるで雪と黒で形作られた妖精のようにさえ見えたんです」

淀みなく喋るトウヤにヒカリは三度きょとんとした。
ココアの甘い匂いが湧き立つマグカップには目もくれず、ハッとした後、慌てて笑みを浮かべる。

「ええと、うん、有り難う。それ、テレビ?」
「ええ。シンオウリーグ、チャンピオン戦です」
「ああー……」

ヒカリは思い出した。
そういえばポケモンリーグの公式戦なので映像は撮られているのだった。
しかし肌がアップにされたというのはどういう事か。カメラは会場で固定されている物だけだし、自分の傍までカメラが寄った覚えも無い。
あるいはカメラの機能でアップされたのだろうか。だとしたら失敬だ。女の子の顔を無断でアップで撮るなんて。
これはシロナさんに伝えておかなければ。

「あの瞬間、貴女に一目惚れをして。家のパソコンで検索して。片っ端から調べました。少しでも貴女の事を知りたくて」
「そ、っか……有り難う、嬉しいよ、トウヤ君」

ヒカリは少し照れながら微笑んだ。
イッシュという、海を隔てた遠い所で、自分の活躍を見て、憧れ、そして実際に会いに来てくれた人が、目の前にいる。
眩暈がするような思いだった。
地図で見るとあんなにも遠くなのに、電波に乗った映像は海を越えて、彼に届いていたのだ。

「ね。ヒカリさん」
「何?」
「実は俺、今、色々な地方を旅しているんです。ジョウト、カントー、ホウエンと回って……イッシュに帰る直前に、もう一度シンオウに来ます。その時は、また会ってくれますか?」
「勿論」

勿論、会いたい。
心からの気持ちでヒカリが答えると、トウヤは初めて少し幼い笑顔を見せた。

「良かった」



それから、いくらか月日が経った後、ヒカリはイッシュを訪れた。
目的は旅ではなく、噂で名高いバトルサブウェイに挑戦するためだ。
トウヤがいつ帰ってくるか予測できないため、期間を一週間と定めて、リゾートエリアの別荘のドアにも『○月×日までには帰ってきます』と貼紙をしておいた。
念のために近所に住んでいる人にも、帽子を被った大人っぽい雰囲気の男の子を見かけたらすぐに連絡してくれと伝えておいた。
彼はジョウト、カントー、ホウエン地方を回ると言っていたから、そんなに早く来るとは思えないが、念には念をだ。
そうして準備を整えてイッシュに泊まり始めてから三日。
知り合った双子のサブウェイマスターと話す機会を得て、その時にヒカリは初めて知った。

「すっごい前に会った子でね、凄い強い子、トウヤっていうんだけど、最近来てくれないんだよねえ」
「え? そうなんですか?」
「ええ。ここ最近、パッタリと途絶えられまして。……クダリ、どうしてトウヤさんの話題を?」
「だってヒカリ、ちょっとトウヤに似てる。クールな所とか、どことなく」
「そう、ですか?」

ふと思い出す。
トウヤが別荘から立ち去る際、見送った時の事を。
薄く涙が張った瞳。
儚い笑みなのに、芯は強くて。
しっかりと微笑んでいたように思う。
けど、何かに迷い、打ちひしがれているような印象もあった。
――君はどこに行こうとしているの?
カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ。
その地方を回って、彼の求めている、答えのような何かは得られるのだろうか。
その地方を巡っても見つからなかった時、彼はどうするのだろうか。

また会えた時、もっと話をしてみよう。
駅の自動販売機で買った缶のアイスココアを両手に持ちながら、ヒカリはそう思った。


 


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