あいつが何か喋ったりする度に悶々、仙蔵と話しているのを見る度に苛々、後輩に構っているのを見かける度に悶々。

 悶々って何だこれ。俺の脳内は桃色か畜生。

「あの、先輩、先輩」

 富松に声をかけられ、留三郎はふっと我に返った。

 富松がそっと指差す先を見ると、既に釘が打ち込まれた木材。

 そして、手には金槌が握られ、更にもう一撃を食らわさんと振りかぶられていた。

 どうやら悶々と滾る想いを持て余した結果、いつの間にか衝動のままに振り上げてしまっていたらしい。

 手自体が工作を覚えきってくれていたから良かった。これで釘と木材を抑える方の手を打ってしまっていたらどうなった事か。

 と、その時、

「はにゃー! いたーい!」

 喜三太が叫び声を上げた。片手を抑え、その傍らに金槌が転がっているのを見ると、ちょうど留三郎が想像した失敗をやらかしてしまったらしい。

 慣れた様子で富松が駆け寄り、喜三太に釣られて泣きそうな顔のしんべヱを宥めながら、喜三太の腫れた手を見る。

 ――っと。

 こうしてぼんやりしてはいられない。留三郎は立ち上がり、後輩達の方へ寄った。

「喜三太、大丈夫か?」

「はにゃー、食満先輩、痛いです〜」

 喜三太の目に涙が浮かぶ。

 留三郎は喜三太の手を見た。痛々しく腫れ上がっている。この分だと保健室に行って冷やした方がいい。

「富松、喜三太を連れて行ってくれ」

「はい。……行くぞ、喜三太」

 慣れた様子で富松は喜三太を連れて行った。途中、痛みで泣き出した喜三太をあやしながら。

 頼りになる奴だ、と留三郎はうんうんと頷いた。自慢の後輩である。

「御仕事、しよう? しんべヱ」

「う、うん……」

 平太がしんべヱを宥め、元の持ち場に一緒に戻り、よしよしと背中をさする。

 平太、何て優しい子だ。そして平太に宥められて元気を取り戻すしんべヱ、何て可愛いんだ。

 平太もしんべヱもいい子である。

 さて、後輩が仕事に戻ったのだから、委員長はそれ以上の働きを見せなければ。

 留三郎は作業に戻り――木材が二つ組み合わされ、釘で固定された自身の作品を見て小首を傾げた。

 何を作っていたんだっけ?
 
 今のところは図書委員会からも本棚増設で新規に作成の依頼は来ていないし、伊作からも特に頼まれている物は無い。

 修繕を頼まれている物はいくつもある。が、これは明らかに一から作り出そうとしている物だ。

 つまり今、己は本来の仕事を放り出して、自分でも意味の分からない工作に精を出していた事になる。

 後輩が頑張っているというのに。

 留三郎は自己嫌悪に浸りつつ、本来の修繕すべき物を引っ張り出して、さあやるかと腕捲りをした。

 取り敢えず作りかけの、箱か棚かも分からない物は手元に引っ込める。

 と、不意にしんべヱが声を上げた。

「あ! 団蔵と、潮江先輩!」

 潮江の響きに心臓がドクリと弾む。

 それは本来の呼吸という役割がすっ飛ばされてしまうくらいの衝撃で、留三郎は思わず息苦しさを覚えた。

 しかし何故かその息苦しさが心地良い。何故だ自分。もしや被虐体質だったのか。

「団蔵、出かけるの?」

「おう! 潮江先輩と墨とか筆とか細々した物を買ってー、んで団子も奢ってもらえるんだ!」

「えっ! いいなあいいなあ!」

「しんべヱ、お前は委員会の仕事があるだろう」

 低く掠れた声がする。今度は心臓を強く締めつけられた。

 心臓の弾み過ぎで呼吸がままならない。水に潜る練習をしているわけじゃあるまいし、治れ戻れと思っても息苦しさが治らない。

 修繕すべき物と道具一式が散乱した視界から顔を上げると、しんべヱの横に私服姿の団蔵と、彼がいた。

「あ! 食満先輩、こんにちはー!」

 団蔵が手を振ってくる。

 一応は親しみやすい先輩として慕われている身だ。手を振り返すと、団蔵はきゃっきゃと嬉しそうにはしゃいだ。

 傍らにいる文次郎は、特に何の言葉も寄越さず、とっとと歩き始めた。

「あ、待って下さいよ潮江先輩!」

 団蔵が慌てて駆け出す。無邪気に笑う彼はそのままの影響で文次郎の腕に飛びついた。

 文次郎は好きにさせてやりながら、逆の手で団蔵の頭を撫でる。また団蔵が楽しそうに笑った。

 それをぼんやりとした眼差しで眺めながら、留三郎は想像した。

 もし自分が団蔵と同じ一年生だったら。

 あんな風に文次郎にじゃれつけただろうか。あんな風にきゃっきゃと、あの面の文次郎に向かって――

「……無理だ絶対!!」

 頭を抱えて呻くと、戻ってきた富松にどうしたんですかと血相を変えて駆けつかれた。






   *






 その日の夜。

「ど……どうしたのさ留三郎、そんな鬼気迫った顔で、……何を作っているの?」

 風呂から自室に戻ってきた伊作が声をかけると、木屑を畳に零さないよう敷いたシートの上でトンテントンカンと一心不乱に作業をしていた食満は顔を上げた。

「……棚。余った木材があったから、それで」

 また、トンテントンカン。

 伊作はふぅんと頷き、作業の邪魔はしないよう、肩越しに覗き込んだ。

 留三郎が作っているのは小さな棚だった。引出は二段。

 棚かぁ、と伊作は内心で唸った。

 棚は作るのが特に難しい。引出の大きさに合った、引出を収める空間をちょうどぴったりに掘り込まなければならないし、その作業は握力と根気を要する。

 恐らく忍術学園の生徒でも、さあやろうと思って最後まで作り上げる事ができる生徒はいないだろう。

 しかし。 

 流石は留三郎、流石は用具委員長、と思わず手を叩きたくなるくらいに、ちらりと見た限りでも、留三郎の手にある棚は丁寧に作り込まれていた。

 引出がぴったりと収まる上、棚は少しもぐらつかない立派な長方形でそびえ立っており、その引出には花か植物か獣か、要はとても芸術的でとても細かい模様が掘り込まれている。

 留三郎はその棚の表面を紙やすりで丁寧に磨き上げていた。

 おかげで余った木材で組み立てられた棚は今、職人以外の少年の手による物とは思えないほどの輝きを放っていた。既製品と言っても絶対に通じる。

 今まで留三郎の作ってきた物はいくつも見てきたが、これは最高傑作だ。

 凄いよ僕の友人、と伊作は誇らしさから笑みを浮かべ、

「留三郎、それ自分が使うの?」

「……なあ伊作」

「? 何?」

 何故か思ったより沈んだ声音に小首を傾げた。

 留三郎の問いは沈んだ声で続く。

「これを作っている間さ、これ贈ったらあいつ喜ぶかなぁ、とか、そんな事をずっと考えていたんだ。それでさ……つまりこの場合、俺はその相手の事をどう思っているんだろう?」

「好きなんじゃないの?」

 伊作はさらりと返した。留三郎の顔が真っ赤になり、ボンッ! と音を立てて煙が上がったような小さな衝撃が起こり、

「……そっか……俺、あいつの事、好きなんだ……そっか……」

 うんうんと頷いてから、ゆるりとした動作で顔を上げた。

 ゆっくりとした動作で腰を上げ、立ち上がり、部屋の隅に置かれた自分の机へ行って、座布団の上に座る。

「留三郎?」

 伊作の問いに留三郎は答えず、墨を含ませた筆で紙に何かをしたためた。

 よし、と頷く。

「……これで通じるかなぁ」

 どこかほわほわとした表情と声音に、ああこれ恋煩いだな、と伊作は冷静に己の友人の診断結果を下した。






   *






 翌日の放課後。

 授業が終わり、教室から立ち去ろうとした文次郎を留三郎は呼びかけた。

 ちょっと、と言い、人気の少ない空き教室を指す留三郎に、文次郎は素直についていく。

 ここで黙っていられないのが、騒動が大好きな文次郎の同室の友人。

「何かあるぞ」

「駄目だよ仙蔵」
  
 その肩をぐわしっと伊作が掴んだ。留三郎の同室の友人として、ここで仙蔵は食い止めなければならない。

 下級生が見たら「何だか善法寺先輩が強気です!」とか言いそうだが、相手は同級生で長く付き合ってきた間柄である。

 伊作は気心の知れた相手同士では案外容赦をしない。別に六年生の間に上下関係なんて存在しないのだ。

 だから仙蔵も驚きこそしなかったものの、素直に珍しがりはした。

「どうしたのだ、お前がその態度ではあの二人に何かあると自ら教えているようなものだが」

「しまったそこまでは考えていなかった。……まあ仙蔵の言う通りだけどね、だからこそ行かせられない」

「ふむ……」

 仙蔵は思案した。考えた。そして発言しようとした――直前に伊作が先手を打った。

「喜三太ー、しんべヱー、おいでー! 仙蔵が団子を奢ってくれるってー!」

 仙蔵の表情が歪む。伊作は肩を離した。

 仙蔵が駆け出す。その後ろを、一年生とは思えない速さで下級生二人が突っ走り追いかけて行った。

「よしっ」

 伊作がよっしゃと拳を握った直後。どこからか爆発音が響いた。

 数秒の間を置いてから、こてんと小首を傾げ、

「……僕のせいじゃないよね、あれ」






   *






 留三郎にこっちと案内された先は、普段は使われない特別教室の一つだった。

 授業も終わったためか、今は閑散とした空気になっている。

「何だ食満、俺は……というより互いに忙しい身だろう。手短に済ませろ」

 視線で素早く室内を見回し罠の類を確かめる。落とし穴の類はいくつかあるが、盗聴されるほどの高度な物は無い。

 視界に映る留三郎はそんな上級生らしい行動の一つも忘れているのか、何故か顔を真っ赤にしており、動作もどことなく硬くなっていた。

「? どうした、風邪か?」

 なら自分に言われてもどうしようもない。むしろ伊作の方が適任だ。

 いや風邪と自覚があるならそうするだろう。

 そもそもこんな所にわざわざ二人になる理由は何だと思うと、いきなり留三郎が動いた。

 ズイッと両腕を突き出してくる。

 その両腕を手元へ辿ると、留三郎の両手が風呂敷に包まれた四角い何かを持っていた。

 受け取れ、と、そういう事らしい。

 仙蔵じゃあるまいし、爆弾の一種ではなかろう。

 文次郎はそれを受け取った。

「……開けてもいいか?」

 留三郎がコクコクと頷く。顔は真っ赤で更には涙目だ。

 文次郎は首を捻りながら風呂敷の包みを解く。ふさりと風呂敷の布がほどけ、中から現れたのは、既製品のように形の整った小さな棚だった。

 引出は二段。机の上や横に置いて使うタイプの物だろう。

「あー、えっと、木材が余ってて、それで、まあ余り物だからいいよなぴったりだよなっ!! って、まあちょちょいとちゃっちゃかと作ってみたんだ。別にいらないならその辺にポイッと――」

 留三郎がべらべらと喋り出す。

 顔は真っ赤で更には涙目で――その涙が目から溢れ、頬を伝い落ちた。

 ぐす、と鼻を啜りながら、

「……いらないなら捨てろよ」

「いや、貰う」

 あっさりはっきりと言われた言葉に留三郎の目が見開かれた。

 文次郎は片手で棚を持ち抱えながら、もう片方の手で棚の表面を撫でた。つるりとした手触りで、どれだけ磨き込まれたか良く分かる。

 六年の付き合いでもあるため、すぐに既製品か彼の手作りかの見極めもできた。

 これほどまでに作り込まれた物を、捨てられるわけがない。

「けど、どうしたんだ急に。貰えるのは嬉しいが」

「ほ、本当かっ!? 嬉しい!? マジで!?」

 涙をボロボロ流しながら両肩を掴まれ、思わず文次郎は狼狽えた。

「ほんと? 本当か!?」

「あ、ああ」

 半ば気圧されて頷くと、留三郎は子供のように泣きながらも「へへへっ」と笑ってみせた。

「それ、凄い頑張って作ったんだからな。大事に使えよ」

「ちょちょいとちゃっちゃかと――じゃなかったのか?」

「こ、言葉の綾だ! ……あ、あと誰かに譲るなよ? 絶対だからな!」

「ああ」

 文次郎が頷くと、留三郎は顔を真っ赤にし――最後にぽつりと、「絶対だからな」と小声で囁いた。






   *



 


 留三郎と別れ、棚を置くために一度自室に戻った文次郎は、ふと遠くから上がった爆発音に小首を傾げつつ、まあ良くある事かとすぐに思い直した。

 棚を机の上に置く。

 学園からの配給品である机と比べると、細かい飾りが施され、出来立ての輝きを放つ棚はちぐはぐな見かけながらも、同じ木製だからかしっとりと馴染んで見えた。

 引出の部分も良くできている。文次郎は窪みに手をかけて引出を引き、

「……そういえば、あいつに何か礼をしなければな。何にするか――」

 中に一枚の紙が折り畳まれて入っている事に気づいた。

 紙やすりの類ではない。良く使う普通の紙だ。

 文次郎は特に何とも思わずそれを取り出し、四つ折りになったそれを広げ、書かれた文字を読んだ。

 そして。

「……っ! こ……んな事を伝えられてもな……」

 頬が熱くなったのを自覚しつつ、間違いじゃないだろうなと、丁寧に書かれた文章をもう一度読む。

 また、呻くように呟いた。

「……本当にどうしようか、これの礼は……」

 貰った棚と、伝えられた事。その両方に見合い、こちらの気持ちも伝わる物を贈らなければならない。

「……どうしたものか」

 背後の壁に背もたれをし、首をもたげ天井を仰ぐ。後頭部がこつりと壁に当たった。

 取り敢えず、と手に持ったままの紙を畳み直し、棚の中に入れ戻す。

 何を贈ろうかと、真剣に悩み始めた。






   *






 翌日。

 同じ教室に呼び出され、文次郎から新品の道具箱を受け取った留三郎は、箱を開け、その中にぎっしりと入ったやはり新品の用具一式を見た後、その隅に挟まれた紙を取り出し、四つ折りのそれを開いて文面に目を通すと、持っていた道具箱をしっかりと手近の机の上に置いてから文次郎に抱き着いた。

 ぐすぐすと泣き出す留三郎を抱き締めながら文次郎が宥めていると、また廊下の向こう側から爆発音が響き、何やら仙蔵の叫び声が聞こえたような気もしたが、今だけは留三郎が優先と聞かなかった振りをした。




 




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