左門が実習に行ってから、一週間。


 そろそろ戻ってくる頃かな、と、忍たま長屋の縁側に座る孫兵はぼんやりとそんなことを考えた。


 首に巻きつく相棒の蛇がちろちろと舌を出す。ジュンコは人の言葉を喋れないが、長い付き合いである孫兵にはジュンコの言っている言葉がわかる。


「……うん。もう、そろそろのはずだよね」


 ジュンコも左門の帰りを待ってくれているのか、と思うと嬉しくなった。伸ばした指の腹で顎を撫でると、ジュンコの目が細くなった。


「ジュンコも左門のこと気に入っているもんな」


 好き、という言葉は敢えて使わなかった。


 孫兵と左門の間、孫兵とジュンコの間にその言葉は存在する。けれど左門とジュンコの間にその言葉は使いたくなかった。我儘だとは思うが、許して欲しいと願う。


 ジュンコは何も反応しなかった。舌を出して合図を送りもしない。気に入っている、という言葉を否定しなかったジュンコに、孫兵は笑みがこぼれた。


「ジュンコと左門は仲がいいからな。……最初にアプローチをかけてきたのは、左門だったけど」


 ねえ、と笑いかける。と、


「何だ孫兵、こんな所にいたのか。部屋の準備しなくていいのか?」


 後ろから同級生に声をかけられた。振り向くと、そこにひょろりと身長の高い体育委員がいた。


「部屋の準備って、どういうことだよ。僕の部屋はいつもきちんと整理整頓しているぞ」


「いやだから、左門が帰ってきたらお前ら二人でくんずほぐれずやるんだろ? その準備のことだよ」


 は? と孫兵は口を開けた。


 くんずほぐれず、という言葉の正しい意味は“二人が取っ組み合ったり離れたりして争うこと”だ。何で自分と左門が喧嘩をしなければならないのか。


 考えて、ふと目の前にいる友人の性格を思い出す。


 長身だからかそれなりにモテる三之助は、何というか夜の時間帯はしょっちゅう忍たま長屋からふらりといなくなる。


 朝になると大体は長屋に戻ってくることが多いのだが、たまに先に教室に来ていたり、休み時間には女の子といたり――。


「――――っ!」


 三之助の言う“くんずほぐれず”の正しくない意味合いを察し、孫兵は顔を真っ赤にした。


 まず最初に思ったのが、セクハラで作兵衛に叱ってもらおう、という三之助の扱いに長けた友人に頼むものだった。


 しかし三之助の顔はからかったりふざけたりしているわけではなく、至って平然としていて、落ち着いてすらいる。


 多分、先程の会話がセクハラだったということに気づいていない。恐らく本気で言っている。恐ろしいことに。


 ――で、でも僕と左門は、まだそういう仲じゃないし……!


 いや、“そういう仲”ではある。だがまだそこまで至れる段階ではないし、何より心の準備が――。


「二人とも何を話してるんだー?」


 後ろから土を踏み締める音がした。


 え、と思いつつ孫兵は振り向いた。三之助は目を丸くして、


「左門。……お帰り。実習お疲れ」


「なかなか大変だったぞ! 数馬が途中で五回も穴に落ちた!」


「それむしろ通常運転じゃねえのか。……お前、長屋に帰ってくるのはいいけど、実習の帰りだろ? 職員室に行って先生に報告しなくていいのか?」


 おお、それなんだが、と左門はポンと手を打った。三之助に指摘されて思い出したのだろう、いつも通りの笑顔で、


「職員室に行こうとしたらここについてしまったのだ。職員室の場所はいつから変わったんだ?」


「……孫兵、確か今回の実習、作兵衛は……」


「……確か別の班に組まれた」


「そういえば数馬はどこだ? 何か途中から声が聞こえなくなったと思ったんだが、はぐれてしまったか」


 呑気に笑う左門。


 孫兵は浅く溜息をついた。縁側から立ち上がり、左門の手を取って握る。


「取り敢えず職員室に行こう。先生に報告しておかなきゃ。あと数馬も探さないと。保健室に行っているならいいけど、もしかしたら罠に引っかかっているかも」


 いや二つ目の方だよな、と孫兵は心中で突っ込みを入れた。


 左門の手を引っ張って歩き出す。と、後ろから口笛が聞こえた。何かと思うとそれは三之助の仕業で、


「何か、随分と自然な仕草だなぁ。お熱いお熱い」


「なッ……!?」


 一瞬で頭の中が沸騰した。


 第三者の前で思わず手を握ってしまったことと、それに対してからかわれたという事実に動揺してしまう。


 心臓がどきりと跳ね、頬に熱が灯ってどんどん赤くなっていく。


「ん、御免、左門――」


 手をほどこうとする。が、左門は逆にぎゅっと握り締めてきた。


 満面の笑顔を孫兵に向けて、


「何でほどこうとするんだ?」


「え? い、いやだって……」


 もごもごと口を動かす。人前で手を繋ぐのはちょっと、と言おうとするが、手の温もりでどぎまぎして上手く喋れない。


 顔を真っ赤にして俯く孫兵に、左門はニパッと笑う。


「このまま握っていればいいではないか! ついでに職員室へも連れて行ってくれ!」


 さあ早く! とグイグイと引っ張っていく。


 孫兵は戸惑いつつも、引っ張られるままに歩みを始めた。


 重ねて握っている手の体温を感じながら、


「……さ、左門」


「ん? 何だ」


 一番言いたかった事を言った。


「お帰り」


 左門は、孫兵の大好きな、何の照れも衒いも無い笑顔を浮かべた。


「ああ。ただいま!」



















 一週間振りに重ねられた君の手が、ひどく熱い。


 この鼓動と同じくらいに。




 




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