どうして私には、あの頃の記憶が残っていないんだろう。


「乱太郎、そんなの気にするなよ。今は今、昔は昔じゃねーか」


「それは、そうだけど……でも、でもさ……」


 ぶつくさと言いつつ、途中のコンビニで買ったアイスの袋の封を開ける。


 きりちゃんの方に差し出して「一口どうぞ」と言えば、きりちゃんはパアッと顔を輝かせて「んじゃ遠慮なく」とかぶりついた。


 一口分きっちりと噛み取ったきりちゃんはもしゃもしゃと食べながら、


「それによ、ぶっちゃけ覚えていても覚えていなくてもあんま変わらねえって。精々、昔話ができることと、日本史が強くなる程度だって」


「そういえばこの前、団蔵がクラスの日本史の試験で九十点を取ってみんな驚嘆して熱が無いかどうか私に確かめさせようとしたよね。……私は団蔵の頭の悪さを覚えてなかったから、みんなが驚いている理由すらわからなかったんだけど」


 ぼそぼそと言うと、きりちゃんは少し黙って俯いた。


 ――ヤバい、落ち込ませるつもりじゃなかったんだけど。


 ただ「私は驚いたよ」程度のニュアンスで言っただけなんだけど、きりちゃんにとっては記憶を持っていることに対して責められているようにも聞こえたのかもしれない。


 私は慌てて謝った。


「御免、そんなつもりで言ったんじゃ……あ、そ、それにね、私、クラスメートのみんなと一緒にいるのは楽しいんだ、凄く」


「……本当か?」


 きりちゃんの顔が上がる。さらさらの前髪の奥にある瞳に、いつもの理知的な光が浮かんでいた。


 良かった。いつものきりちゃんに戻ってくれた。


「うん。私ね、凄く嬉しいの。は組は、は組で一人だけ記憶が無い私のことも受け入れてくれたし……記憶を持ってない私でも、あのクラスはとても楽しいって思える」


 は組のことを思うと自然と笑みが浮かぶ。それくらい、あのクラスは楽しいのだ。委員会の川西先輩は嫌味を言ってくるのだけれども。


「乱太郎は、は組が好きか?」


「うん。好き」


「俺のことは?」


「大好きっ」


 心から。


 そう言うと、きりちゃんは私の大好きな微笑みをくれた。


「俺もだよ。――乱」








      *








 四ヶ月前の入学式で出会った、おそらくは室町時代の友人が転生した姿であろう女の子のことを思う。


 乱太郎は室町時代の過去を忘れている。けれど俺は覚えている。


 室町時代のことをほとんど全て忘れているのは乱太郎だけだ。


 逆にほとんど覚えているのは、俺と庄左ヱ門と虎若と金吾。あとの面子は途切れ途切れに覚えていたり、断片的にしか思い出せないらしい。


 乱太郎が寂しがらないように俺やしんべヱが時たま横から注釈を入れてやりつつ、室町時代の頃のことを話すのが、は組の楽しみの一つだった。


 あの時はあいつがああだった、いやああだった、どうのこうの、等々。


 喋るのは楽しかった。あの頃、何よりも大切だと思っていた奴らとまた会えて、俺は本当に嬉しかった。


 何より、ずっと片思いだった乱太郎と会えて、しかも女の子になっていたと知った時の驚きと喜びといったら!


 七月に入った直後、俺は乱太郎に告白して、気持ちを受け入れてもらった。それ以降、彼氏彼女という素晴らしい関係が続いている。


 横には乱太郎、周りにはみんな。まさに俺にとっては完璧な布陣。


 ところが、数ヶ月前からある変化が起きていた。


 ほとんどの事柄を覚えていた金吾、途切れ途切れに覚えていた三治郎の二人の記憶が徐々に抜け落ちているのだ。


 最初に気づいたのは庄左ヱ門だった。三人は共通して覚えている頃についての思い出話を語り合った。そこで三治郎が「それは覚えてない」と言い出したのだ。庄左ヱ門はきょとんとして「覚えているんじゃなかったの?」と言った。


 けれど、どうしても思い出せない。首を捻り、考えに考えて答えを出した金吾が言った。


「覚えていたということは覚えている。でも記憶がすっぽりと抜け落ちているんだ。覚えていたということすら曖昧にしか思い出せない。たぶん……このペースで行くと、近いうちに忘れると思う……」


 みんなで話し合った。そしたら、土井先生が答えをくれた。


「既にお前の先輩達が答えを残してくれている。室町での未練が残っていると記憶が残り、逆に未練が無いと記憶は残らないらしい。

 割と長生きをした七松や立花は記憶をほとんど持っていなかったが、合戦中に息絶えた潮江や食満は強く記憶を残していた」


「ってことは、乱太郎は、室町での未練は無かったってことですか?」


「いや、そうとも言い切れない」


「? どういうことっすか?」


「……私は脳医学や心理学の専門家ではないからはっきりとしたことは言えない。

 しかし、この時代を楽しいと思い、また生きようと思えば思うほど、あの頃の記憶は徐々に薄まっていくらしい。

 現に、後輩を可愛がったりアルバイトを始めたり、楽しく暮らしている食満や田村は最初は記憶を持っていたものの、徐々に記憶を無くしたらしい」


「脳が記憶保存の優先順位を決めているということですか? スペックには限界があるから」


「そうかもしれないし、そうとも限らない」


「随分と曖昧ですね」


 腕を組む庄左ヱ門。今もこの仕草は様になっている。


「学園長先生は全てを覚えていらした。それは学園長先生が学園にいる生徒全員を思う愛情ゆえかもしれん。一方で小松田君はほとんど何も覚えていなかった。しかし彼の行動は室町時代と何ら変わらない」


「他には?」


「利吉君は博物館にある忍具や火縄銃を見てもピンとこなかったらしいが、何故か小松田君と会うと怒鳴りたくなる衝動に駆られるらしい」


 昔のままだ。


 記憶は無いのに、昔と同じなんて。


「……人それぞれなんですね。けれどその推測が正しけりゃ、乱太郎はこっちの時代を選んだってことですかね」


「……私の目から見ても、乱太郎はこの時代での生活を楽しみ、充分に満喫しているように思える」


 土井先生は敢えて「選んだ」という言葉を避けた。


 今にして思えば、あれは乱太郎のことを思ったからだったんだ。乱太郎の選択は乱太郎のものだから、他人が勝手に判断して決めつけることことじゃない、と。


 みんなは不安げに顔を見合わせた。


 今の世を楽しめば、前の世での記憶が消えてしまうのかもしれない。


 それは嫌だ。


「大丈夫だって、みんな」


 土井先生じゃなく、庄左ヱ門が口を開いた。


「記憶があっても無くても、僕達は僕達だよ。それだけは変わらない。絶対に」


 ね、と、庄左ヱ門は乱太郎に視線を向けた。


 今は女の子でも、みんなと一緒にいる乱太郎は頷いた。



















「ねえ、きりちゃん」


「ん、何だ?」


「……私ね。きっと最後に覚えていたのはきりちゃんのことだったと思うよ。

 今はもう、覚えていたってことすら忘れているけれど、きっと最初は少しくらい記憶はあったんだと思う。

 前の世で死んだ時、今の世で記憶を失った時、きっと最後に想ったのはきりちゃんのことだったよ」


「……そうだな。だって記憶が無くても、きっと記憶があっても、乱は俺を選んでくれた」


「きりちゃんも」


 選んで、くれた。


 この世に産まれてくるために様々なものを払っても、最後に大切なものだけは取っておいた。


 これだけは最後に払うと選んでいた。


 最初から。


 一番、大切なものだから。




 




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