生物委員会に入った当初、虎若が自分から「実は動物はあまり好きじゃないんです」と言ってきた。


 その時の虎若の顔色がひどく青ざめていたこと、眉尻も下がっていたことにひどく驚いた覚えがある。いつもふくふくとした頬に満面の笑みを浮かべている印象が強かったから、尚更に。


 彼は自分の父親が鉄砲隊の首領だと言った。自分も火縄銃の腕を磨いて、後を継ぐつもりだとも。


 だからこそ、動物は好きじゃないと言ってきた。


「火縄銃は、俺、好きだけどあんまり好きじゃないんです。だって弾を込めて引金を引いたら、ズドンって、それで終わりなんですから。人も、動物も、命も。何もかも」


 ぽつぽつと、小雨が落とす滴のように、虎若はぽつりぽつりと語った。


 その日は委員会の初日で、顔合わせを済ませ、当番や役割を決めた後だった。珍しく毒虫達の脱走も何も無かった。が、時間帯は大半の生徒が寝入る準備に入る巳の刻中の夜つ半だった。


 それでも竹谷は意を決した表情で自分を呼び止めた後輩を、決してぞんざいに扱わなかった。後輩が求めるまま一緒に飼育小屋の前に座り込み、後輩に倣って、金網の向こう側に飼われている鼠や兎や蛇を眺めていた。


「だから俺、火縄銃を扱うから、いつかは人の命も奪うから、でもそうするって決めたから、だから授業で虫獣遁を習ってもこれは使わないようにしようって決めてました。使いたくないから。俺は将来、人の命を奪うから。だから同じ命である動物には触れたくなかった」


 ひ、と喉が引きつる音がする。竹谷は横を見ず、ただ、きょとんとした表情で見上げてくる兎を見つめる。


「でもそのことを手紙で親父に伝えたら、返事の内容がおかしいんですよ、それじゃ駄目だ、その命に関われるようにむしろ虫獣遁をもっと学びなさい、生物を扱ってる仕事があったらそれに関わりなさいって」


「だから、生物委員会に入ったんだな」


 虎若の気配が動く。首を縦に振り、


「それで今日、先輩に世話を割り当てられた、兎とか、鼠とかに触れていたら、すごく温かくて、心臓がトクトク鳴っていて。こんなに小さくても生きていて。質量的には人間より小さいのに、人間に好き勝手にされる存在なのに、でも生きていて」

 ぽた、ぽた、と滴が落ちる。竹谷は虎若を見ない。必死で自分の思いを伝えてくる後輩の気持ちを確実に受け止めるために、敢えて表情は見ず、ただ聴覚を集中させて虎若の声を拾う。


「生きているって、切なくて、嬉しくて、でも、俺、いつか同じ命を持つ同じ人間を銃で撃って殺してそれでお金を得て誇りにしてまた生きていくような生活をすることになってしかもそれを自分で選んだなんて、気づいてしまって、だから……」


 ひく、と喉がしゃくり上がる。肩もぶるぶると震えていて、鼻水も流れていて、涙は頬全体を濡らしてしまうくらい流れている。


 気配で察する、が、竹谷はそちらを見ない。


「火縄銃は好きだし、でも生物も好きだって気づいてしまって、だけどいつか俺は命を殺して生きていく立場になる、って、そう思うと……」


 わかる。


 虎若の言いたいことはわかる。


 自分は忍たまで、忍の術を学んでいるのに、いつか人の命を奪う立場になるのは明確なのに、どうして今更、人殺しになる道を歩むことを拒んでいるのだろう、と。


 恐らく虎若が厭っているのは『金を得る』ところと『誇りを得る』ところだ。純粋に忍を目指している者なら、生きていくためには金が必要だから、と容易に割り切ることができる。


 しかし虎若の将来は純粋な忍ではない。自分を養えればそれでいいという気楽な独り身の忍ではない


 いつか彼は何百人もの部下の命と生活を預かる役割を担う。その役割を果たすには、命を奪って部下を養い、またその部下を率いるために誇りを得なければならない。


 この、彼が好きだと思った柔らかくて温かい命を、同じ血を持っているはずの人間を、殺して、だ。


「人間に対しては何も反抗できない兎と鼠は可愛がって、蛇はたまに虫獣遁で利用して。でも、同じ命である人間を殺して、それを糧にするなんて……」


 わかる。


 かつて自分も迷ったことだ。


 割り切ればいいのに、割り切れられない。


 自分の都合で動物を愛でておいて、同じ温もりを持つ人間は殺すというこの矛盾。


 何年経っても飲み込めない。噛み締めることができない。


「――なあ、虎若」


 そっと声をかけた。何度もしゃくり上げながらも、虎若は従順に竹谷の方を見る。


 竹谷は指先を伸ばした。兎がひくひくと鼻を動かす。今の生物委員会の中で一番付き合いの長い匂いを嗅ぎつけ、兎だけではなく、鼠や、金網で仕切られ別の所にいる他の動物達もやってくる。


「考えるって、結構大事なことなんだよな」


「……はい?」


「思考停止しない分、お前は偉いってことだ。大抵の人間なら思考停止して、考えることをやめちまう。……それを世間では割り切りと言って歓迎する。清濁併せて飲み込めれば一人前ってな。でもな?」


 肩を落とす。


「お前は考えすぎだ。――だから俺はここで先に答えを言う。でないとお前、押し潰されそうな顔しているからよ。だから言うわ。考えるのは答えを得てからでもいい。だから――」


 手を伸ばす。虎若の頭を、頭巾の上からポンポンと優しく撫でる。


「――今から俺が言う答えを、ずっとずっと考えて行け。フライングで、しかも他人から丸ごと答えを貰う形になっちまうけど、でも俺は今のお前を助けたいから。だから言うよ。――あのな?」


 しん、と空気が静寂になった。二人の耳から、風の音も、微かに響く動物の鳴き声も、全てが消え去る。あとにあるのは互いの声だけ。


「――人間が動物に与えるのはな? 愛情じゃない。愛情に似た、絶対者からの慈悲だ。飼われている動物は飼っている人間に逆らうことができない。飼われている動物は餌を貰えなかったり散歩に連れて行ってもらえなかったりしたら、すぐにストレスが溜まったり餓死したりしてしまう」


 残酷な真実だとわかっている。それでも伝える。


 でなければ、この子は、今、自分の抱えている葛藤で押し潰されてしまう――。


「だからお前が動物を可愛がることはあっても、それは人間への愛に繋がるわけじゃない。動物と人間の命は、別だ。別に考えろ。人間は所詮、自分の都合で動物に愛情を与えることができる。だけどな? 人間が人間に与える愛ってのは、人間が動物へ与える愛情とは違う」


 飼っている動物を家族のように思う。それは愛情と言うのだろう。竹谷にもよくわかる。彼自身、世話をしてきた動物を心の底から大切に思っている。どれだけ面倒臭くても、毎日餌を与えたり散歩に連れて行ってやったりと世話をしていれば、自然と愛着が湧いてくる。


 それでも日々、思うことがある。


「動物は人間のように話すことができない。だから人間は、自分の都合で愛情を与えることができる。だから、な、虎若」


 虎若の肩が震えている。わかる。かつての自分も同じように思った。


 自分の抱えていた葛藤は、こんな真実で容易く解消されてしまうのだと。


 そう思い知らされる――。


「動物への愛情と人間への愛は違う。――捕らわれるな、虎若」

















「おはようございます、竹谷先輩」


「お、虎若。……昨日は眠れたか?」


「はいっ。悩みを聞いて下って、ありがとうございました」


「ん。まあ……少しでも役に立てたんなら良かった」


「竹谷先輩は俺の憧れですっ。俺、これから生物委員会で頑張ります。宜しくお願いします!」


「お? お、おお!」








「ねえ、八が何か悶えてる」


「ああ、後輩に憧れだって言われたんだって」


「そっか。だからあんなに気持ち悪くクネクネしてるんだね。わあ気持ち悪い」


「雷蔵、辛辣だな……」








 



 


 



 




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