虎若の手は大きい。
力が強くて、ぎゅっと握るとぎゅうっと握り返してくる。
体温は人より少し高い。いつも運動しているから身体が温かいのかも。
皮膚は乾いていて少し荒れている。いつも何かしら握ったり持ち上げたりしているからだろう。ハンドクリームとか面倒臭くて付けなさそうだし。
「虎」
「ん?」
「もっと」
「ん」
「ハグじゃないよ。……人気が少ないとはいえ歩道でやってもらいたがるわけないでしょ。それに私は『もっと』って言ったんだよ。私達はハグしてたんじゃなくてただ歩いていただけでしょ」
「じゃあキス?」
「違う」
「ええー」
「何でがっかりするの。もう一回言うけどここ歩道だからね。人が行き来するからね。確かに今は私達以外いないけど」
「んー……じゃあ何が『もっと』なんだ? 俺、頭悪いからわかんねえよ。ギブアップ」
「……これ」
手を、ぎゅっと握る。
ぎゅうううううううっと力を込めて握る。
伊助としてはありったけの握力を使って握り締めた。今は女の子でも流石にこれは痛いでしょ、と思う。
しかし年がら年中鍛えている虎若の手に対しては大したダメージにならなかった。掌にちょっとした圧力を感じた程度でとどまり、むしろ虎若は「伊助が何か積極的になった!」と喜んだ。
「ああもう可愛いー!」
「むきゃっ。――だ、だからここ歩道だっての!」
「先に仕掛けてきたのは伊助なのに……」
「て、手をもっと握ってって伝えただけでしょ!」
「ツンデレ最高。いや伊助最高」
やーもう可愛いーと呟きつつ、虎若はきゅっと伊助の手を握る。
虎若は自分の握力が相当に強いと自覚がある。男子でもトップクラスの握力を、女の子の身である伊助の手にかけるわけにはいかない。
だから加減に気を付けつつ、それでも先程より強く、伊助の手を握り締めた。
「……ん」
伊助の顔がほわりと緩む。
「俺の手の力、そんなに弱かった?」
「ううん。……ただの我儘」
ほわほわ、と伊助の雰囲気が緩む。
笑みとは違うその気配に、虎若は眉尻を下げた。
「……ずっと、握っているから」
「うん。ごめ――」
「言うなって」
虎若は知っている。時折、伊助の顔が泣きたそうに歪むことを。誰にも知られないように、家や、学校では人気の無い場所に籠もって伊助が泣いていることを。
その度に、そんな彼女を見つける度に虎若は伊助を慰め続けてきた。でも伊助は泣きやまない。発作的に周期的に泣き続ける。
そのことを伊助は申し訳なく思っている。しかし虎若は伊助を慰めることに微塵も疲れや厭いを感じたことはなかった。
むしろ、伊助を泣きやませることができない自分が、ひどく情けなく思える。
「俺は何も覚えてないけど、全部覚えてる伊助に迷惑かけるかもしれないけど。でも、ここにいる俺はここにいる伊助に何かできる」
伊助が泣く理由を虎若は知っている。
寂しいのだ。今の時代には、あの頃にはあった物が何も無い。
例えば人。例えば町並。例えば景色。食べ物や衣類など、文化的な物は数えてみればきりが無い。
なまじ強く濃い記憶を持っている伊助はそれが悲しくてたまらない。
そして、今の時代は平和だ。戦も何も無い。平和だから幸せだ。
でも、もし、何かのきっかけでその幸せが崩れたりしたら。またあの時代のように、互いの命を懸けたやりとりなんてしなければならないような状況に陥ったりしたら。
そんな負の疑問のループがぐるぐると回って止まらない。
誰も明確な答えを与えられないからこそ、伊助の不安は止まらない。
「大丈夫だよ、伊助」
今の時代は平和だ。だから戦なんて無い。無いのだ。
「……私ね、虎の手を握ってると安心できるの。虎の気配が傍にあると安心できるの」
「じゃあ伊助ももっとこっちに来いよ。俺だけが伊助を追いかけるんじゃなくてさ、伊助ももっとこっちに来てくれ。そうしてくれれば、俺、スゲェ嬉しい」
「……うん」
ぴと、と、片腕に温もりが引っ付いた。
伊助が手を握ったまま、虎若の左腕に両腕を回して腕を組む。
――あーすごい幸せー! てか何か柔らかい塊がー!
内心で叫ぶが虎若は顔には出さず、ただ伊助を見つめる。
「……ん」
伊助が虎若を見上げた。顔をきちんと上に上げてはいるが、身長差があるので少し上目遣いになっている。
――すごい幸せー!
もう一度叫ぶ。
「手、ずっと握っていようね」
勿論、と虎若は頷く。
「ずっと握っていような」
この手を掴んでいて
絶対に、離さない。
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