虎若はモテる。
どれくらいモテるかっていうと、放課後のグラウンドで野球部の活動をしている間、絶えず見つめて熱い視線を送る女子が、十人、とはいかないまでも五人以上は絶対にいるくらい。
日によって面子はまちまちだけど、視線で虎若にアピールしている女の子達はみんな可愛い。
少なくとも、私よりは。
――そう。
私よりずっと可愛い。上級生も同級生も下級生も。
みんな私より身嗜みに気を遣っていて、元が良いものだから更に可愛くなっていて。
そんな可愛い女の子達が、部活動の邪魔をしないように歓声は挙げまいと声を押し殺しつつ、その代わりに視線を送っている。
チームメイトと話したり、走り込んだり、準備体操をしたり、キャッチボールをしたり、試合形式の練習をしている虎若を。
――ん? 虎若に近づいてるの、あれ……団蔵かな?
その団蔵が虎若に何か言った。虎若がフェンスの方に振り向く。女子達が小さいながらも黄色い悲鳴を上げた。押し込められていたものがわっと動いた感じ。
愛想の良い団蔵が手を振る。また黄色い悲鳴が上がる。気を良くしたのか、女子達が一斉に色めき立つ。虎若一筋っていう女の子もいないわけじゃないんだろうけど、あの笑顔と不意打ちの動作にはグッとくるだろう。
肝心の虎若は何をしているのかと視線を動かす。と、
「え?」
唖然とした。ぽかんと間抜けな感じに口が開いたという自覚さえあった。
虎若は何もしなかった。手を振ることも目を合わせることも頭を下げることもなく、ただ興味が無さそうに背中を向けてさっさと歩いていく。
慌てて団蔵が後を追う。何かを喋る。虎若は頭を振って何か言った。すると。
団蔵がニヤニヤと笑って虎若を小突いた。
――? 何を言ったの? 虎若。
あの中に好みの子がいない、とか? それは違うような気がする。虎若はそんな気取った台詞を吐ける奴じゃない。
もしかしたらただ単に機嫌が悪かったのだろうか。虎若だって人の子だ、虫の居所が悪い時もある。
そうかも、と頷いた時。
虎若が不意にこっちを向いた。
グラウンドを囲むフェンスの外ではなく、校舎の二階にいる私に向かって、大きく手を振ってみせる。
――え!? な、何でここにいること、てかヤバっ!!
女の子達が虎若の視線を辿ってこっちに振り向く。その前に慌てて膝を曲げて屈み込んだ。
女の嫉妬ってやつは恐ろしい。顔は覚えられないようにした方がいい。
とまで考えて、私は自分の思考回路にがっくりと項垂れた。
――手、振り返せば良かった。
そう。まずは自分の保身ではなく、虎若に手を振り返すべきだったのだ。ひたすら練習を頑張って頑張って、頑張っている虎若に。
――メールで謝っておこう。
制服のブレザーのポケットから携帯電話を取り出す。と、
「――伊助」
何故か横の方から荒い息遣いが聞こえてきた。泥のような土っぽい臭いが漂う。
顔を上げると、そこについさっきまでグラウンドにいたはずの虎若が立っていた。足元にはきちんと上履きを履いてはいるけれど、服は土まみれの泥だらけだ。来る途中の廊下に点々と土らしきものが落ちている。
――瞬間移動?
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない!
「ご、御免、虎若! さっき私、虎若が手を振ってくれたのに、その、無視しちゃって……」
あの女の子達が怖かったの、とは言えない。それは言いたくない。事実ではあるんだけど。
「えっ? あ、いや、嫌われてないならいいんだ」
「嫌うなんて、そんな……あり得ないよ。私が虎若を嫌いになるなんて」
「そりゃそうだけどさ」
――あ、肯定しちゃうのね。
「でも流石に何度もちらちらと自分の方を見られてたら、気持ち悪く感じるかなって思って」
「……え?」
「ほ、ほんと御免! 練習中に女子達の声が聞こえて気になるから振り向いたら、窓辺にいる伊助が見えて。その時は伊助が遠くの方を見ていたから目は合わなかったんだけど、あそこに伊助がいるって思ったらつい何度も振り向いちゃって……」
「え……?」
「こっち向いてくれないかなー、目が合わないかなー、って思ってたらさ、さっき本当に目が合って嬉しかったんだ。でもすぐに伊助がいなくなったように見えたから、嫌われたんじゃないかと思って……」
「……それでここまで来たの? 全速力で?」
「ああ。――でも良かった。俺、伊助に嫌われてるわけじゃなかったんだな。良かった……」
ほう、と溜息をつく虎若。
その様子に思わず笑みをこぼした。
「え? な、何だよ」
「ああ、御免。……嬉しくて」
「何が?」
「虎若と目が合ったことと、虎若がここに来てくれたこと」
言うと、虎若の顔が赤くなった。
もごもごと彼の口が動く。
「……俺も、伊助と目が合って嬉しかったよ」
こっちを向いて
君の茶色い瞳が、
貴方の真っ黒い瞳が、
こっちを向いてくれますようにって、いつも思っている。
[前] | [次]
戻る