……あの日は、珍しく伊助の方からキスをしてきてくれた。


 卒業式の日。雪のように桜の花弁が散り、風に巻かれて煽られ舞う中、桜の花弁より綺麗な彼は綺麗な笑みを浮かべていた。


 こちらの頬に手を添え、当てて、顔を近づけて。


 表面を重ね合わせるだけの、優しいキス。


 それ以上を求めて舌を入れようとしたら、その前に彼はするりと離れてしまった。


 そして言ったのだ。


 ある意味、死よりも何よりも心を抉られる残酷な一言を。






      *






「――……ッ!」


 嫌だ。それ以上は聞きたくない。


 その思いで心に衝動的に火が付き、意識が半ば無理矢理に冷めた。


 熱い夢に浸っていたところへ冷水をぶっかけられたように頭が朦朧とする。ただ頭の中には、あの聞きたくない台詞が何回も何回も繰り返し響いていた。


 ――嫌だ。


 聞きたくない。駄々っ子のように耳を手で覆うとした。


 その直前、鼓膜に愛しい声が届いた。


「ちょっと、どうしたの虎。寝ていたのにいきなり飛び起きて……大丈夫? 顔が真っ青だよ?」


「え、あ、い、伊助……?」


 振り返ると、そこに寮の縁側に腰掛けた伊助がいた。


 服装はあの頃とは違うもので、ポニーテールの形に髪を纏めているのは髪紐ではなく昨年の誕生日に虎若が贈ったシュシュだ。肌はあの頃よりもっと白く、元より中性的だった体格は女性という性別を得て更に細く柔らかく華奢になっている。


 伊助がズイと顔を寄せた。虎若の頬に手を当て、


「ねえ、本当に大丈夫? 眼の焦点が定まってないよ?」


「あ、え……?」


 指摘されて、本当に目の前がぼんやりと霞む。頭の中がくらりとした。


 ――あ。ヤバい。


 眩暈が酷い。寝ていたところでいきなり飛び起きて脳が揺れたせいだろうか。


 取り敢えず横たわって安静にすればいいのだろうが、今、身体を横たえると寝てしまいそうで怖い。もしあの夢の続きを見たら、聞きたくないあの言葉を直に聞いてしまうことになる。


 それだけは絶対に嫌だ。


「伊助、胸貸して」


「ん? ……ん、どうぞ」


 伊助が軽く両腕を広げる。言葉に甘えてぽふんと胸に顔を埋めると、伊助の両腕が虎若の後頭部と背中を浅く抱き締めた。


 右腕を伊助の腰の後ろに回して引き寄せる。伊助の胸の中で息をすると、甘い匂いが漂ってきた。


「んー、いい匂い」


 心が落ち着く、と本心で言うと、伊助はくすくすと笑った。


「変態」


「えー……」


 割と本気でショックを受けると、伊助は肩を通して背中に回した腕の力を強めた。


 うりうり、と胸を虎若の顔に押し付け、何やら本気でバタつき始めた虎若に笑みをこぼし、


「冗談だよ」


 虎若の額にキスをした。



















 もう二度と、あんな言葉は聞きたくない。


 でも、どうしてまだあの夢を見るのだろう。


 彼の生まれ変わりである彼女が傍にいるからなのだろうか。


「……なあ、伊助」


「ん?」


「ずっと一緒にいような。またねは別にいいけど、バイバイは無しだぞ。バイバイって言う必要がないくらい、一緒に、ずっと一緒にいような」


「うんっ」


 ――ああ、その笑顔で癒される。


 あの卒業式の数年後、お前は嫁さんを娶って、友達として俺の所に遊びに来たんだっけ。


 でも現代じゃお前が俺の嫁だから。


 もう二度と、手放したりなんかしてやらねえからな。




 





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