花弁みたいに飛び散る血。
誰かの怒号、誰かの悲鳴、飛び交う誰かの武器。
何度も何度も繰り返し見る夢。
この夢は怖い。だから嫌だ。
簡単に誰かが誰かを殺して、殺されて。
失って失われて失わせて。
怖い。
怖いよ。
誰か起こして。
この夢はやだ。もうやだよ。
もう……室町の頃の夢は見たくない――!
「伊助! 起きろ! ……伊助!」
声がする。暗闇の奥から声が聞こえてくる。
優しくて温かくて、でも切羽詰まった声だ。
――あ……虎だ。
目を覚まさないと。朝食を作るのは私の役割だし、虎若は分量をよく間違えるからコーヒーを淹れることもおちおち任せられない。
だから起きないと。
――起きなきゃ。
胸の奥が温かくなる。火が灯ったように心が動く。
ぼうっと突っ立って周りの景色を見ていた意識が動く。
夢から覚醒するコツを伊助は知っている。それは目を思い切り、それこそ眉間に皺が寄るくらいぎゅっと瞑ることだ。
そして、睡眠中で重い瞼を頑張って開けるのだ。そうすれば元の世界に帰れる。
待ってくれていた人に会える。
「伊助……」
朝の日差しの中、少し青ざめた顔で彼が傍にいた。
手をぎゅっと握り締めている彼は伊助の顔を覗き込む。
「……大丈夫か?」
「う……ん。大丈夫」
瞼が重いせいで、半分しか目を開けられない。無理矢理に睡眠を遮断したせいで眠くもある。
それでも伊助は起き上がった。今寝ると、あの夢をまた見そうで怖いから。
枕元の時計を見ると午前八時だった。
「……御免、寝坊しちゃった」
「いいよ、そんなの。それより御免……俺、てっきり伊助が珍しく寝坊したのかと思って、お前を放って買い出しに出ていたんだ……帰ってきたら、お前がうなされていて……泣いていて……」
言われて、頬を伝う乾いた冷たさに気づいた。瞼もきっと腫れ上がってしまっている。
情けないところを見られてしまった。
「御免ね。怖い夢を見たとはいえ、うなされて、寝過ごして……」
「そんなのいいって。……なあ、どんな夢を見たんだ? あの頃のことか?」
頷くと、虎若は眉尻を下げた。彼はあまりあの頃のことを覚えていない。伊助のように夢に見ることもない。
だから、優しい彼は気を揉んでいるのだ。伊助はその気持ちだけで充分だと思う。
「ね、虎」
ただ、やっぱりあの夢は怖かった。だからあと一つだけ甘えさせて欲しいと思い、
「キスして」
甘えると、虎若は最初きょとんとした。しかし伊助の顔に笑みが戻っていることに気づくと、伊助の大好きな明るい笑顔で頷いた。
「こっちおいで」
虎若に促され、ベッドの端へ、虎若の所へ寄る。差し伸べられた手を重ね握り、広げられた両腕から入って温かい胸へと身を預け、
「朝からちゅー」
「……ん。ちゅー」
何だか嬉しそうな虎若の声に、ふっと笑みがこぼれた。
温もりと安らぎと
「ありがとう、虎」
「伊助、でも俺、何もできない……伊助が悪夢にうなされている時も、気づけた時にしか起こしてやれないし……」
「それだけでいいの。起きたら虎がいてくれるって、そう思うだけで眠るのも怖くなくなるから」
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