虎若はたまに寝坊する時がある。
夜遅くまで頑張って筋トレをしているから、上級生になった今でも、朝、規定の時間に起き上がれず眠り込んでしまうのだ。
そんな時、同室の加藤団蔵は敢えて起こさないようにしている。
眠る親友を放っておいて一人で授業に行くなんて真似はしない。そうではなく、親友の恋人を呼びに行くのだ。
彼女なら、一発で虎若を目覚めさせることができるから。
「伊助〜、おはようさん」
教室に行くと、庄左ヱ門と喋っていた伊助が振り向き優しい笑顔で「おはよう」と言った。団蔵の横へと視線を滑らせ、いつもはいるはずの人がそこにいないことに小首を傾げる。
「虎若の奴、まァた寝坊したんだよ」
にや、と笑う。自分でもあんま上品じゃない表情なんだろうな、と自覚しつつ、
「起こしに行ってやってくれよ。お・く・さん」
スタッカートを付けて強調すると、新作のカラクリ設計図を広げて三治郎とあれこれ議論を交わしていた兵太夫がくるっと振り向いた。手元の設計図を巻物のように丸めて輪ゴムで閉じつつ、
「さあ行こうか」
「敢えて聞くけど、兵太夫、どこに?」
「愚問だなあ、お・く・さん。……熟年夫婦のような落ち着きと新婚夫婦のような熱々さを兼ね備えた夫婦の朝の営みを見に行くんじゃないか。ねえ三ちゃん?」
「そうだよね兵ちゃん」
「営みって何か生々しいな」
「あながち間違ってないでしょ。――って、あれ? 伊助は!?」
半ば椅子を蹴り飛ばすようにして兵太夫が立ち上がる。庄左ヱ門の隣でほやほやと微笑んでいたクラスメートがいつの間にかいなくなっていた。
「さては恥ずかしがって先に行ったな!? 行くよ三ちゃん!」
「合点だー!」
風を切るような勢いで廊下に飛び出す兵太夫と三治郎。
「俺も行こうっと!」
面白がった団蔵が続いた。
残された庄左ヱ門と乱太郎は顔を見合わせる。
「……騒がしい連中だね」
「そうだね……」
*
兵太夫と三治郎辺りが面白がってついてくるのは分かっている。だから二人が団蔵との会話に夢中になっている間に伊助は足音と気配を消してこっそりと教室を出た。
上履きを履きつつも音を立てさせない慎重な足運びで、しかし急いで男子寮へ行く。天井裏に回り、そこだけは埃が無い虎若の部屋への道筋を辿る。目印として記号を付けた天井板に辿り着き、音を立てずにそっと外す。
勢いを殺して部屋の中に着地する。膝を曲げてクッションにし、着地の際の衝撃をじわじわと逃がしながらそろそろと膝を伸ばしていく。
急いで部屋の中を見渡す。と、足元に、布団の上に横たわっている彼がいた。
踏まなくて良かったと内心でほっとする。気配を殺すのに精一杯で部屋の確認を怠っていた。まだまだだな、と自己分析しつつ、彼の傍に座り込む。
虎若は伊助と一緒に寝る時は、ずっと伊助を抱き締めながら眠る。だから伊助は知らなかったのだが、案外、虎若は寝相が悪いらしい。掛け布団は縦と横が逆になっているし、敷布団にも皺が寄っていた。
ふ、と笑みをこぼしつつ、手をそろりと伸ばして彼の頬に触れる。屈み込んだ身を伸ばして徐々に距離を縮め、指先を頬に滑らせ、掌で頬を包み込み、虎若の寝顔を見つめる。
虎若はいびきを立てず、ただ小さな寝息を立てて眠っていた。掛け布団をゆっくりと柔らかく押し上げる鼓動に愛おしさを感じる。
しかし今日は平日。授業がある。だから彼を起こさなければならない。
「虎」
優しい声で呼ぶ。上半身を屈めて唇を近づけ、
「起きて」
躊躇うことなく唇を重ねた。
唇全体を覆う柔らかい感触に心が震える。そろっと舌を出して唇の表面を舐めるが、彼が起きる気配は無い。
だから舌で無理矢理に唇の隙間から割り込んで口腔に入り込む。彼の舌を捕えて舌先を合わせ、唾液を絡ませつつ舌で舌を愛撫するように撫でる。と、
「ん……む、っ!?」
虎若の目が開いた。口の中に感じるくすぐったさと、上半身に感じた柔らかさと温かさで目を覚ました彼は早朝からの濃厚な口づけに面喰いつつ、しかしすぐに起き抜けとは思えないほどの素早い動作で伊助の身体を両腕で包み抱き締めた。
ふ、と吐息をこぼした彼女を抱き締めたまま身体を回して体勢逆転。制服姿の伊助を布団の上で押し倒す形でキスの続行を開始する。伊助の舌を吸い上げ唾液を飲み下し、舌同士を絡ませて唇を離す。
「んん……」
間にできた糸に伊助がとろけた表情を浮かべる。障子を透かして差し込む朝日の中、夜の時のような紅潮した顔をしつつ、もぞりとスカートの下で足を擦り合わせる。
抵抗する様子は無い。だから虎若は手を伸ばして伊助の制服の襟首を掴んだ。自分でも余裕が無いと自覚するほどの焦った動きで上着のボタンを外していく。と、
「――ん?」
忍としての勘か、あるいは鍛錬の結果か、上と後ろから視線を感じ取った。伊助の着衣から手を離して、背中で隠しつつ手を寝巻の懐に入れる。
一息に苦無を引き抜き、
「朝っぱらから覗きか! 兵太夫に団蔵!」
天井と背後に向かって一本ずつ放った。外された天井板から覗いていた兵太夫は悠々とかわし、団蔵は咄嗟に身を伏せて回避する。
「覗きなんて失礼な。当たってるけどね」
「否定はしないのか……」
「僕は優しいからね。朝っぱらから盛ってる奴に現実を教えに来てやったのさ」
溜息付きで兵太夫が天井から着地する。
伊助の耳に兵太夫の冷静な声が届く。瞬間、虎若とのキスでぽやぽやになっていた頭の中が冷却されて洗い流され清められ、伊助はハッと起き上がった。慌てて乱れた着衣を整え始める。
恥ずかしげに「うう……」と呻きつつブラウスの胸元を直す。と、
「伊助ったら朝から旦那の盛りに付き合うなんて、ほんと献身的だよね」
どこからか来た三治郎が上着のボタンを閉めてくれた。決して褒められてはいないことを悟り、伊助は小さく溜息をつく。
「……てか兵太夫、現実って何だ? ――あっ、もうこんな時間!? 何でもっと早く起こしてくんなかったんだよ!?」
「「お前が盛ってて言うに言えなかったんだよ!!」」
兵太夫と団蔵の声がぴったり重なった。
反論できずたじろぐ虎若に、伊助は淡く微笑みつつ言った。
「取り敢えず――おはよ、虎」
「ん、ああ、おはよう伊助」
常の癖として唇を重ねる。
湿りを持って離すと、不意に虎若が気づき、
「――あ。そういや今、二人きりじゃなかったな……」
「わずか十数秒で忘れ去られた俺達!」
「ほんとウザい!」
「おはよ」
「いやだって伊助とのキスが一日の始まりって感じだから、つい」
「惚気ろって誰が言った!?」
「虎、早く着替えて。はい」
「おう、サンキュ」
「さっきまで新婚みたいに熱々だったのに今は熟年夫婦みたいだな……ほんとお前らパネェよ……」
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