馬鹿じゃないの。
あいつがお前に友人以上の何かを求めてくる事なんて無いから友人以上の何かを期待したって仕方ないのに、お前はまるで一途に思っていれば恋が手に入る乙女のような表情をしている。
不細工だな。
それに鬱陶しい。
「男なのに女々しいんだよ」
一人で悶々と妄想に耽るのはいいが、俺がいる前でその阿呆面はやめてくれ。
虫唾が走るし鳥肌が立つ。
「男同士ってだけであり得ないのにさ、何それ以上を期待してんの? 言っとくけどバダップを見る時の表情で全部ダダ漏れだからな、お前の感情。いや劣情?」
靴底でぐりぐりと踏みつけてやると、皮膚と肉と思しき柔らかいもの越しに、骨らしき硬い物にパキリと罅のような物が入ったのを感じた。
何か足下から呻き声みたいなのが聞こえてくるけど、踏んでいるのは手の甲だし怪我したのは片手だけだからまだ大丈夫だ。
エスカバは丈夫だ。男子だし。軍人だし。
だからもう少し痛めつけても大丈夫。
「バダップの性格は良く知ってるでしょ? なのに何で望みを捨てないわけ? そんな不毛な恋、やめた方が無難なのに。いやむしろバダップのためにもなるし」
腕を伸ばす。
髪に指を差し込み、頭皮を毟り取る勢いで掴み引っ張ってやると、抵抗せずエスカバの頭が手前に仰け反った。
床の上で仰向けに転がったエスカバの背中が反り、
「あっはは。ねえ、無様だよエスカバ」
女一人に対して、満足に抵抗もできないなんて。
パッと手を離すと、床からわずかに浮いていたエスカバの上半身がごとんと床の上に倒れ込んだ。
糸が切れた人形のように、ぐったりと四肢が弛緩しきっている。
ミストレの位置からエスカバの顔は見えない。
泣いているのか。歯を食いしばっているのか。どんな表情をしているのか。
それさえも。
「ねえ。どうしてそんな不遜な恋を続けるの?」
返事は無い。
「肝心のバダップがそれを望んでいるとでも?」
反応は無い。
「本当に馬鹿だよね」
エスカバはぴくりとも動かない。
苛立ちが頂点に達して力任せに胴体を蹴る。
重い肉の塊に爪先が打ち込まれ、エスカバの唇から咳が漏れた。
ごほごほと、手で抑える事もせず、エスカバの酸素はひたすら咳に消費される。
「うるさいなあ」
舌打ちを落とすと、不意にぼそりと、咳の中からエスカバの声が聞こえたような気がした。
「……? 何? はっきり言わなきゃ聞こえないよ」
エスカバの唇はゆるりと動いた。
わざと中途半端な威力のスタンガンで気絶させられ、朦朧とした意識の中で暴行を受け続けた彼の目には、光は無く、泥のように淀んでいる。
それでも確かに唇は動いていた。
「――ねえよ」
もう体力が無いのか、意識が途絶える直前なのか、喉もまともに震えていないため、声すら出ていない。
それなのに、ミストレの耳には、はっきりとその言葉が届いていた。
「お前には関係ねえよ」
力尽きたようにエスカバの瞼が伏せられる。
肩と背中が呼吸で淡く上下に動く。
意識を失った彼の唇の端から、血が一筋、零れ落ちた。
「……ッ!! お、れには、関係ないだって!?」
たっぷりと数十秒かかってようやくエスカバの発言の意味を理解したミストレは、顔を真っ赤に染め上げてヒステリックな叫び声を上げた。
どこかしら重傷を負っているだろう、血塗れのエスカバの肢体を見下ろし、
「それは俺が決める、俺が決める、お前が決める事じゃない!!」
躊躇なく背中を蹴りつけた。
しっかりと鍛え込まれたエスカバの肉体はその衝撃を受け止めはしたものの、傷口から流れ出る血がどろりとミストレの靴先を汚した。
その事にカッと頭に血が上り、
「お前の恋なんて一生叶わないんだ、そうであれ、そうであるべきだ、お前の恋なんて叶わなくてもいい!!」
自らの喉を潰さんばかりに吠えると、憎々しげな眼差しで再びエスカバの肢体に向かって足を振りかぶった。