【この先、シンジ湖
 この湖には感情の神といわれるポケモンがいるとされています
 そのポケモンのおかげで、人は喜び、悲しむそうです】



幼い頃から見慣れてきて、そろそろ見飽きてきた看板がある。

「よーし! 湖に着いたぞ!! さあ、俺達で伝説のポケモン捕まえるぜ!」
「でも、ジュン」
「だいじょーぶ! 絶対いるって! 看板にも書いてあるんだしさ!」

ヒカリは諦めて項垂れた。今のジュンは話を聞いてくれそうにない。
ジュンが意気揚々と歩く――が、ほんの数歩だけ進んだ後、ぴたりと止まった。

「何だ……?」

目を細めて、良く見えるように凝らしている。
ジュンの視線の先を辿る。
湖のほとりに、人がいた。
大柄で、がっしりとした体格の男だ。
見覚えは無い。少なくとも、この辺りでは。

「……流れる時間……広がる空間。いずれ、この私、アカギのものにしてやる」

何やら独り言が聞こえてくる。

「それまで、この湖の底深くで眠っているがいい。伝説のポケモンとやら」

アカギ、という名前らしい男がいきなり振り向いた。
大幅な歩幅を刻んで三人の前まで歩き進み、

「失礼、どいてもらおう」

三人はさっとどいて道を開けた。
アカギは一瞥もくれずに去って行く。

「何だ? 今の人……」

ジュンは首を捻ったが、すぐにパッと元の表情に戻った。

「ま、いいか。さ、ヒカリ、アヤト、伝説のポケモン捕まえるぜ!!」



きゃううーん!



「!」

三人は慌てて周りを見回した。

「!! 今の聞こえたか!? 絶対、伝説のポケモンの鳴き声だよ! よーしっ、捕まえよーぜ!」
「けどジュン」
「! って、あれーっ!? 俺達、何も持ってないじゃん!」

今更か、とアヤトは呆れたように軽く首を振った。
何? と小首を傾げるヒカリに、ジュンがいつものせっかちな態度を更に加速させながら、

「ほらー、モンスターボールだよモンスターボール!! あれが無いとさ、ポケモン捕まえたり連れ歩いたりできないじゃん!」

悩ましげな顔で腕を組み、

「うーん……ナナカマド博士に訊けば貰えるかなー!? ほら、博士も言ってただろ? 何か困った時は研究所に来るといい、って!」

うん、と頷き、

「よーしッ! ヒカリ! アヤト! 博士のいるマサゴタウンまで、誰が先に着くかしょーぶ!!」

言い出すと、たったかと走り去って行ってしまった。
余韻のように風を残して去って行く幼馴染みを、ヒカリは呆然と見送った。

「……いつもの事だけど、行動するのが早いね」
「ヒカリはジュンをフォローするのが上手いな」

ヒカリはどうにもジュンに甘い。
昔から付き合わされて慣れているのはアヤトも同じだが、アヤトはヒカリほど優しくはなれない。
面倒臭いと思うし、呆れ果てたりした頻度は恐らくヒカリの倍以上だ。

「……けどまあ、行き先は同じだよな。ナナカマド博士にも、挨拶をしておいた方がいいだろうし」
「そうだね。じゃあ――」

とヒカリが言いかけた途端、突然、アヤトの手の中のモンスターボールが弾けた。
中からポケモンが飛び出して、はしゃいだ様子で走って行く。
勝手に。
数秒ほど呆然としてから、アヤトはハッとなった。

「待てこら!」

バッと走り出す。幼少期からせっかちなジュンに付き合わされてきたため、それなりに俊足だ。
最初から走る事を想定して作られたランニングシューズを履いているため、身体も軽く、動きやすい。
アヤトは、木の枝を伝ってひょいひょいと勝手に行くヒコザルの後を追いかけた。
こざるポケモン、というだけあって、その動きは非常に速い。
ポケモンという身であるためか、樹木が生い茂る自然の中も、構わず臆さず、迷わず進んで行く。
アヤトは数メートル先を進んで行くヒコザルの姿を視界から見失わないように目線を固定させながら、転ばないようにと、雪道を歩く時と同じように、足裏をしっかりと踏み締めながら走った。
ランニングシューズの靴底で草を踏み、小石を踏み込み、大きすぎる物を踏んで足首を捻りそうになったら無理矢理に次の一歩を踏んで走りながら体勢を整える。

「ヒコザル!」

名前を呼ぶと、ヒコザルが気の枝に飛び乗り、一回転してちょんと収まった。
こちらを振り向き、無邪気に笑ってくる。

「え? 何?」

パンパンと手を叩いて、手招きをしてくる。
表情は無邪気な笑みだ。
大道芸のように軽くジャンプしてくるくると回り、また器用に木の枝に着地する。
どういう意味だとアヤトが首を捻った時、ヒコザルがひょいと振り向いた。
衒い無く、にこにこと笑っている。
無邪気で。
純粋だ。

ポケモンという存在。
この星に、人間と共に住む種族。
このヒコザルは、野生ではなく、今は人間である自分と一緒にいる。

「全く……」

実家のピチューのように、トレーナーの元なら大人しい、というわけではないらしい。
けど、こっちも初心者だ。
何も分からない手探りの状態。
舐められているのかどうかさえも分からない。
けど。

「……よっし。行こうか!」

アヤトは笑顔を弾けさせると、今度は自分のスピードで走り始めた。
斜め後ろからヒコザルの声がする。
ぴょんぴょんと小刻みにステップを踏みながら追いかけてきているようだ。
数十歩の後にヒコザルが追いついて、アヤトの横に並ぶ木の枝を伝っていく。

「なあヒコザル、どこに行きたい!?」

故郷を出て旅を始めたポケモントレーナーの少年が問いかけると、ヒコザルは満面の笑顔で鳴き声を一つ上げた。
喋っている事は分からない。
だけど、何となく分かるような気がした。

いろんな所に。
いろんな所に、行ってみたい。

「……そうだよな!」

いろんな所へ行こう。
このシンオウ地方を回り巡って。
いろんなものを見てみたい。

駆け出した一人と一匹の頭上の空、晴天の景色の中で、遥か遠くの地から訪れた虹色のポケモンが、悠然とした羽ばたきで空を舞っていた。


 

 
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