【ポケモン基礎知識
 この世界では、ポケモンと人が一緒に暮らしています
 ポケモンを戦わせる人をポケモントレーナーと言います】






キッチンでお茶を淹れていると、足元に小さな足音が近づいてきた。
ズボンの裾をちょいちょいと引っ張られる。
しゅんしゅんとコンロの上で音を立てる薬缶を見つめながら、アヤトはぽつりと言った。

「おやつの時間はまだだぞ」

ぷぅ、と空気を吸って頬が軽く膨らむ音。
足元のピチューはぷいっとそっぽを向いた。
機嫌を損ねたように、キッチンから離れてリビングの方に行く。

「……あらあらどうしたのピチュー?」
「ピチュピチュピッチュ!」

優しい母に、ピチューが何か猛烈に抗議する。
気にせず、愛用のマグカップに煎茶のティーバックを入れて薬缶の湯を注いだ。
ほわりと香ばしい香りの湯気が漂う。
マグカップを持ってリビングに戻ると、テーブルの上に座っているピチューと目が合った。
ピチューが腕を組んで踏ん反り返り、思い切りぷいっと首を背ける。
   
「あらあら。ピチューが御機嫌を損ねちゃったみたい」

母が面白そうにくすくすと笑う。
アヤトは何も言わずに、椅子に座ってマグカップの中身を啜った。
母はただにこにこと微笑んだまま。

「何か面白いのあるかしら」

テレビの電源を点けた。
画面がパッと明るくなる。

【「私達の隣には、いつだってポケモンがいる……その意味を考えていきましょう」
 以上、カントー地方からシンオウに戻ってこられたナナカマド博士のお話でした。
 というわけで特別番組、「ナナカマド博士にきく!」
 全国ネットでテレビコトブキがお送りしました。
 また来週、このチャンネルでお会いしましょう!】

ちょうど終わる直前だったらしい。
白衣を着た壮年の男性の姿が一瞬だけ映った後、すぐにエンディング画面に変わり、番組は終了した。

「ナナカマド博士?」

かつてポケモントレーナーとして旅をしていた母に目線を向けると、母は笑みのまま、

「有名な博士ね。でもシンオウに戻るのは久し振りじゃないかしら」
「へえー……」
  
煎茶を啜る。
のんびり、まったりとした時間が流れる。
アヤトは手を伸ばしてリモコンを操作した。
チャンネルを次々と変えていく。
めぼしいものは、無い。

「つまらないな……」

ぼそりと呟いた直後。
唐突に、家のドアが壊れんばかりの勢いでバンッと開かれた。

「いたいた! おいアヤト! 今のテレビ見たか? 見たよな!
 ナナカマド博士ってポケモンの研究をしている、とっても凄い人だろ!?
 という事はポケモンだってたくさん持っているはずだ!
 だからさ、頼めば俺達にもポケモンをくれるぜ、きっと!」
「人の家に入る時はインターホン押せって言ってるだろジュン」

確かにここは田舎町でのどかなフタバタウンだが、親しき中にも礼儀ありという言葉がある。
矢継ぎ早に捲し立てる幼馴染みのジュンにアヤトは言ったが、元来よりせっかちなジュンの勢いがそれで止まるわけもなく。

「えーっと何だっけ!? そーそー! ナナカマド博士にポケモン貰いに行くんだよ!
 俺、町の外で待ってるから! いいかアヤト! 遅れたら罰金百万円な!」

喋るだけ喋ると、またそのままの勢いで出て行ってドアを閉めて去って行った。
ドアの向こう側から「ヒカリー!!」という声と、ドアを勢い良く開ける音が聞こえてくる。
ヒカリにまで声をかけているのだろうか。
いや。
アヤトに声をかけたなら、ジュンはヒカリの事も誘いに行く。
三人の間では当たり前のようなパターンだ。
アヤトは断る事もあるが、ヒカリは大抵ジュンの提案に付き合う。
多分、今回も同じだ。
ドアの外へと意識を集中させる。
すると案の定、ジュンが立ち去って程無くして、静かにドアを開けて閉める音が聞こえてきた。
地面にまだ薄く積もる雪をざくりざくりと踏み締めて、ヒカリの静かな足音が町の外へと向かう。

「ヒカリの奴、またジュンに付き合うのか」

呆れて呟くと、母が耳聡くそれを聞き取った。

「アヤトは行かないの?」
「何か面倒臭そう……だけど」

ポケモンが、貰える。
その一言がアヤトの心をくすぐらせた。
   
「……ポケモンか」

正直に言うなら、興味はある。

今まで何度もテレビ中継で生放送のポケモンリーグやコンテストを観てきたし、雑誌も色々と読んできた。
今はそうでもないが、昔は母に旅をしていた頃の話をせがんだ事もある。
ポケモンと共に在る生活。
ポケモンと一緒にいる事。
今、家にピチューがいるが、あれは論外だ。あれは母にしか懐いていないので自分としてはカウントできない。

「……行こうかな」

ジュンの提案に載るような形になるのは少し癪だが、別に天邪鬼になって無理に自分の希望を封じる必要も無い。

「行くの?」
「行く」
「そう。じゃ、準備しなさい」
「うん、着替えてくる」

それもあるけど、と母は付け加えた。

「バック。旅に必要な荷物を持たなきゃ」
「は?」

母がどこからか取り出したリュックサックを、ドンとテーブルの上に置いた。
真っ白な生地に水色のモンスターボールの絵柄がプリントされた、シンプルながらも丈夫そうなリュックサックだ。

「旅の経験者の母さんが詰めておいたからね。荷物はちゃんと種類別に詰める事。でないと整理整頓が大変だからね。ここに傷薬で、ここに冒険ノートと、タウンマップ」
「待って」
「なぁに?」

実に無邪気な微笑みを向けてくる。
アヤトは両手を腰に当てて緩く首を振り、思考を纏めてから言った。

「……何でそんな大荷物?」
「ポケモンを貰ったなら旅に出るのが定番でしょ」

実に真顔で言ってくる。
アヤトは眉間を指先で軽く揉んだ。

「……ポケモン貰いに行くだけなんだけど」
「ポケモンを貰ったなら旅に出るのが定番よ」

実に真面目に言ってくる。
アヤトは腰を両手に当てたまま天井を仰いだ。
母に向き直り、

「旅?」
「イエス」
「何で?」
「ポケモンを貰ったなら旅に出なきゃ」

先程から同じ事しか言ってもらえていない気がする。
取り敢えず、とアヤトは階段に向かった。

「着替えてくる」
「動きやすいのにしなさいねー。でもコートとマフラーは絶対に……あ、母さんがスヌード用意したからマフラーはいいからねー」
「はーい」

二階に上がって、自分の部屋に入る。
クロゼットを開けて、適当な物を見繕って姿見で確認。
これは動きにくいかな、とチェンジ。
これはお気に入りだから汚したくないな、とチェンジ。
これは買ったばかりだから、とチェンジ。
何度も替えた後、アヤトはハタと気づき、クロゼットと棚の抽斗を全開に開けて、全ての服をざっと見渡した。

「着ていけそうな物が無い……!」

がっくりと項垂れた。
着飾ったりお洒落をしたりするのは割と嫌いではないため、服もジャケットもそれなりに数があるが、どれもこれも愛着があって汚れる事が必定であろう旅に着て行くのは惜しい。
だが、このシンオウ地方は全国的に見ても一年を通して気温が低く、非常に肌寒い土地だ。
きちんと装備しなければ体調を崩してしまいかねない。

「……うーん」

考え込んでから、アヤトは身近に経験者がいる事を思い出した。
階段の辺りまで行き、声を張って、

「服の事なんだけどー、どうすればいいかなー?」
「保温性の肌着を着込めば着膨れしなくてもあったかいよー」
「ありがとー」

部屋に戻り、抽斗の中から、言われた通り薄くても保温性のある肌着を取り出して、一枚、二枚、三枚と着込む。
それから少し悩んだ末、シンプルなデザインで、だいぶ着古したタートルネックのニットとカーティガンを重ね着した。
ボトムスは防風性に特化したウォームイージーパンツ。
コートは、パーカーのダウンジャケット。
着込んでから姿見で確認。
色合などが少し地味だが、動きやすさの方が大事なのでまあいいやと開き直る。
一階に戻ると、母が早速チェックしてくれた。

「……うん、オッケー。アヤトにしては地味だけどちゃんと動きやすいのを選んだわね」
「うん。これならまあ汚してもいいかなって」

母がリュックサックを持ち上げる。
アヤトはリュックサックを受け取り、両肩に肩ベルトを通して背負った。
背負い心地、サイズ。
共にぴったりで、いい具合だ。

「はい」

母が手ずから首元にスヌードを巻いてくれる。
更に帽子を手渡してくれた。
普段からファッション雑誌を捲っているアヤトも「あ、いいな」と思える、シンプルなデザインの、ホワイトのハウチング帽子。

「有り難う」
「あと、これ」
「何? この……ちょっとダサいスニーカー」
「ランニングシューズよ。これで走りやすくなるから」
「うん、有り難う」

靴を履き返る。これもサイズがぴったりだった。

「……有り難う」

服装自体は自分で決めたが、色々として貰えた。
ここまで準備してしまうと、母の言う通り、旅に出てみようかなという気が湧き起こってくる。

「行ってらっしゃい」

母がドアを開ける。

「――行ってきます」

何か母に押し切られたような感じはするものの、ポケモンを貰えるという期待と高揚感を秘めて、アヤトは家を発った。

 
 

 
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