さくさく、ざくざくと、草や地面を踏み締める音が黙々と響く。
野生ポケモンは出てこない。
一人と一匹だけで進んで行くと、不意に草むらから抜け出た。
周りに密集していた樹木の道も途切れ、ヒコザルがアヤトの足元に降り立つ。

「……マサゴタウン、かな」

今の位置から更に十数歩ほど進んだ先に、町並のような景色が見える。
初めて自分の足で辿り着いた場所に、アヤトは静かに感動した。
じん、と浸っていると、ズボンの裾を引っ張られる。
ヒコザルだった。

「あ、御免。うん、行こうか」

アヤトが微笑むと、ヒコザルが先を行き始めた。
動きはきびきびとしているが、ゆっくりとした歩調だ。
そのヒコザルの後ろをついて、アヤトも先に進んだ。
町に入る。
草むらの匂いが薄くなり、代わりに人家が立ち並ぶ景色が広がり、

「あっ! 待ってたよ!」
「コウキ?」

先程に出会ったばかりの少年が笑顔で手を振っていた。
アヤトとヒコザルが歩み寄ると、眩しい笑顔で手招きをして、

「こっちに来て! 博士が待ってる」

コウキに道案内される。
辿り着いた場所は、人家の数倍は大きい建物だった。

「ほら! ここがポケモン研究所! 中で……」

いきなり扉が開いた。
中から見慣れた姿が見慣れた勢いで出てきて、ちょうど一直線上にいたアヤトと衝突する。
初めての場所に来て、いつも一緒にいた幼馴染み達と別れ、わずかに気が緩んでいたアヤトは、いつも通りだったはずのその衝撃に耐え切れなかった。
思わずふらつくと、足下に小さな力を感じる。
ヒコザルだった。

「ああ、有り難うヒコザル……」

小さな身体で足下を支えてくれたヒコザルに礼を言いながらアヤトが軽く頭を振って気を取り直すと、相手が騒いだ。

「何だってんだよー! ってアヤトか! あの爺さん、怖いというか無茶苦茶だぜ。まぁいいや……アヤト、俺、行くよ! じゃあな!」

テンポの速い歩みで去って行く。
せっかちなジュンは歩くのも速い。
見慣れた背中はあっという間に見えなくなった。

「君の友達ってすっごいせっかちなんだね。まあいいや。中に入ろうよ」

コウキもジュンのせっかちさに慣れたらしい。
というよりは受け流す事にしたのだろう。
研究所に入るコウキのあとにアヤトは続いた。
中に入る。
中は、やはり人家ではなかった。
広い面積の部屋があり、何か難しそうな機械があり、白衣を着た大人が二人いる。
その奥に、ナナカマド博士がいた。

「おお、来たのか。アヤト、だったな。もう一度、ポケモンを見せたまえ」
「はい。――ヒコザル」

アヤトが腰を屈めて右腕を差し伸べると、ヒコザルがその上に飛び乗った。
右腕を持ち上げてナナカマド博士に向けると、ナナカマド博士はじっくりとヒコザルの眼を見つめる。

「…………ふむう……成程……この、ポケモン、何だか嬉しそうにしておる。ウム! そのヒコザルは君に託して良かったようだな!」

ナナカマド博士から貰った言葉に、アヤトの顔がパアッと綻ぶ。
えへへ、と締まりない笑顔をヒコザルに向けると、ヒコザルは明るい笑顔を浮かべた。

「……実はな。君達がポケモンを持たずに草むらに入ろうとした時、非常に驚いた! 向こう見ずな子供達だと」
「ええと……すみませんでした」

言いだしっぺはジュンだけど、という言葉を飲み込む。
今の話の流れで、これは余計な付け足しになるだけだ。
ナナカマド博士の言葉は淀みなく続く。

「だが、今は別の意味で驚かされたぞ! 君とポケモンとの間には、既に絆が生まれておる! 君達に出会えて良かった! きっと、ヒコザルも同じように思っているだろう!」

アヤトは思わずヒコザルを見た。
ヒコザルの眼は曇りなく、キラキラと輝いている。

「だから、そのヒコザルを大事にしてやってくれ!」
「それは、勿論です」

アヤトは頷いた。
ヒコザルと目線を合わせる。
左手で頭を撫でると、ヒコザルの目がきょとんと見開かれた。
ややあってから、人間の掌の感触に慣れたのか、撫でてもらうのが気持ち良かったのか、嬉しそうに目が細くなる。

「君がポケモンに優しい人で良かったよ! そうでなかったら……ああ、考えるのはやめよう」

コウキが温厚な顔で呟きながらうんうんと頷く。

「ウォッホン!」

ナナカマド博士の咳払い。
何か話題がある時の、合図のようなものだ。
まだ何かあるのかな、とアヤトは内心で小首を傾げた。
  
「さて、本題だ。君に頼みたい事がある」
「はい」

大切なポケモンを貰えたのだ。それくらいの恩は返したい。
アヤトが躊躇いなく頷くと、ナナカマド博士も一つ頷いた。

「その前に、改めて自己紹介をさせてもらうぞ。私の名前はナナカマド! ポケモンの研究をしている」
「フタバタウン出身のアヤトです。曖昧ではあるけど、これからヒコザルと一緒に、いろんな所へ行きたいと思っています」

若手で、新人トレーナーの言葉に、ナナカマド博士はまた一つしっかりと頷いて見せた。

「まず、シンオウ地方にはどんなポケモンがいるのか、その全てを知っておきたい! そのためには、ポケモン図鑑に記録していく必要がある! そこでお願いだ!」
「はい」
「このポケモン図鑑を託すから、君はシンオウ地方にいる全てのポケモンを見てくれい!」

差し出された『ポケモン図鑑』を見て、アヤトは思わず目を輝かせた。
何だかとても格好良い機械。
端末、と言ってもいいかもしれない。
シンプルな長方形の形だが、角は尖っているのではなく丸みを帯びていて、掌やポケットに収まるコンパクトサイズ。
カラーは、薄くしっとりとした趣のある紫色。
藤色だ。
デザインだけで、わあ欲しい、と思わず心中で呟いた。
数秒ほどしてからハッとなり、いやいやもう少し奥深い事を考えなきゃ、と思い直す。
大事なのはそっちではない。いや所持品のデザインは大事だが、今、考えるべきはそこではない。
――シンオウ地方の、全てのポケモン、か。
会ってみたい。
ヒコザルの重みが、右腕から右肩の後ろへと移動した。

「はい」

アヤトは両腕を伸ばして、しっかりとポケモン図鑑を受け取った。
手に感じるプラスチックの硬さと冷たさ。
両腕を畳んでポケモン図鑑を胸の前に持ってくると、ヒコザルが興味深げにじっと眺めた。

「そのポケモン図鑑は、君が出会ったポケモンを自動的に記録していくハイテクな道具だ! だからアヤトはいろんな所に行って、全てのポケモンに出会ってくれ!」
「僕も同じポケモン図鑑を持ってるんだ!」

横を見ると、温厚な笑顔を浮かべたコウキが確かに色違いのポケモン図鑑を掲げていた。
ナナカマド博士は語り続ける。

「ポケモンと一緒に201番道路を歩いた時、どんな気持ちだった? 私は生まれて六十年、未だにポケモンと一緒にいるだけでドキドキする。
 いいか? 世界にはとてもたくさんのポケモンがいる! つまり、それだけたくさんのドキドキが待っている!
 さあ行きたまえ! 今、君の冒険が始まるのだ!」
「僕も博士に頼まれて図鑑の頁を埋めてるんだ! だから君とは同じ目的の仲間って事だね。あとで色々と教えてあげるよ」

またね、と手を振って、コウキが出入口の扉の方へ向かう。
アヤトはナナカマド博士の目を見つめた。
手の中のポケモン図鑑をぎゅっと握り、頭を下げる。
右肩の後ろ、肩甲骨の辺りで、ヒコザルの手が服の裾をぎゅっと握り締める感触が伝わってきた。
頭を上げ、もう一度目線を合わせ、何も喋らずに、くるりと身体の向きを変える。
先程のコウキの足取りを沿うように、まっすぐに進み、扉を開ける。
外に出ると、外気の匂いが漂ってきた。
草。
土。
太陽の光。
アヤトはゆっくりと、研究所の扉を閉めた。


 

 
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