ユリは少しの間、ぽかんとした後、やがてゆっくりと言った。
「……どうも」
ぽつりと一言。それだけの返事。
今まで、一回り年上の男性であるワタルが相手でも、気後れせず、快活な口調で喋っていたユリが、ぽつりと一言だけを呟いた。
その返答として、ワタルは率直に本音を言った。
「けど、御免。……さっき言ったスパイスの事、覚えてる?」
「はい」
「君に惹かれているのは確かなんだ。君が何を言ってくるか、何をしてくるかが分からない、予測できない。そこがどきどきするんだ。飽きなくて。――それとは別に、君が因縁というスパイスを持っているという点でも惹かれているんだ」
「スリルがお好きなんですね。というか自分が殺されたりするかもしれないのに、それを『どきどきする』だけで済ませてしまうんですか」
「だって事実だから。――ユリちゃん限定でね」
ユリは顔を逸らした。
ワタルの微笑が直視できない。
単なる無表情でも充分に人目を惹きつけるのに、それが微笑を浮かべている。
今は私室にいるためか、チャンピオンとして気を張った貫録や威圧感は無いが、その分、華があった。
硬い蕾が花開いたような、そんな印象だ。
「――ユリちゃん、俺とは大分歳が離れているよね」
「はい、離れていますね。多分。一回りくらいは」
「そうだね。で、こんな歳が離れた男と、――俺と、特別な仲になってくれる?」
ユリは正面を向いた。
「なりたいです」
「――有り難う」
ワタルは破顔した。
なりたいです、というユリの答えが嬉しかった。
ソファから立ち上がる。
俯いたまま、ワタルのその動きを気配で感じ取ったユリは、コーヒーのお代わりでも注ぐのかなと思った。
すると、ソファの間のテーブルを迂回して、ワタルはユリの隣に座った。
ユリは俯いた。
服越しに、ワタルの体温と気配と匂いを感じる。
「ユリちゃん?」
「……すみません、あの、ちょっと離れてもらえませんか」
言われた通り身体を左にズラす。
ワタルとユリの間に、人一人分の空白ができた。
零れて垂れた髪の間からユリの横顔が見えた。
真っ赤だった。
ワタルは思わず噴き出した。
「な……! わ、笑わないで下さいよ!」
「いや御免、横に座っただけでそんなに緊張されるとは思わなくて……」
「緊張しますよ! ――もう、笑わないで下さいよ、経験が豊富だからって! 一回り年上だからって!」
ユリは咄嗟に手近な所にあったクッションをワタルに叩きつけた。
「御免、御免って。でも俺、別に経験が豊富ってわけじゃないよ?」
「あるって事じゃないですか!」
「いや確かにあるけど」
ぼすぼす、とユリはクッションを繰り返し叩きつけてくる。
考えてみれば、こちらは経験のある大人。
明確に訊いた事は無いが、恐らくユリは経験が無い――少女。
一種の背徳感が込み上げてくる。
それも心を躍らせるスパイスになる。
「ねえ、ユリちゃん」
ユリの動きがピタリと止まる。
クッションを振り上げた体勢なので、未だに赤く染まったままの顔が見える。
同じ部屋で、二人きりというだけで、こんなに緊張している。
まずは慣れてくれる事から始めなければならないらしい。
それはそれで新鮮だ。
慣れてくれるまでの間も楽しめそうだし、慣れてからも、きっと飽きさせてくれないのだろう。
何より、初めてだ。
一緒にいたいと思えた相手。
この人だ、と直感と心が囁きかけてくる相手。
敢えてユリに言わせてみたい、と、好きな相手に悪戯をしたいという愛情と、どんな反応をするのかを見たいという好奇心が湧き起こってきた。
「さっき言った『特別な仲』の意味って、分かる?」
ユリの顔が真っ赤になった。
「……男性と女性の、特別な仲、ですよね」
「もうちょっと明確に」
顔面にクッションを叩きつけられた。
その向こう側からユリの声がぽそりと響いた。
「……恋人、ですよね」
疑問ではなく、確定の語尾。
「うん」
クッションをどける。
「これから宜しく。ユリちゃん」
「……はい」
紅潮した頬に、潤んだ眼。
それでも正面から見つめて、ユリは言った。
「……宜しくお願いします。ワタルさん」