思わず笑みを漏らした。
肩が淡く震える。
腕の中のミニリュウが首をもたげて見上げてきた。
相当に意外だったのだろう。きょとんと目を見開いている。
自分でも意外だった。
心の底から笑うなんて、何年振りだろうか。
いや。
初めてかもしれない。
「……その質問は初めてだよ」
ひとしきり笑った後、ワタルは答えた。
「ユリちゃんの言う通り。チャンピオンになってから、俺は一度も負担や嫌気を感じた事が無い」
チャンピオンとしての風格。威厳。貫録。
そういう言葉で説明し得る『余裕』とは、少し違う。
「さっきも言ったけど。俺はフスベに生まれついた時、次期長老としての立場を与えられた。だから色々と勉強させられた。その時も、嫌とか、きついとか、そういう事を感じた時は一度も無かった」
ワタルは空を見上げた。
晴れてはいる。が、雲は浮かんでいるし、少し影が差してもいる、ごく普通の空模様だ。
「流石にバトルをして負けた時は悔しいよ。けど、チャンピオンの座にとどまる事も、勝ち続ける事も、俺にとっては苦と感じる事じゃない。チャンピオンになる前、フスベにいる時から、ずっとそういう立場にいたんだ。だから負担に感じた事は無い。――本当にね」
ミニリュウが首をもたげてくる。
ワタルが指先で顎下を撫でてやると、ミニリュウは心地良さそうに目を細めた。
「でも、俺に近づいてくる人達の中には、今の立場はきついだろうとか、何か負担に思っている事があるだろうとか、俺の気持ちを勝手に予測してくる人がいるんだ。中には、それを傍で支えてやりたい、なんて、優しい言葉をかけてきてくれる人もいるんだよ」
「それこそ、……負担ですか」
「そうだね」
ワタルはあっさりと頷いた。
ユリが横顔を伺ってみると、浅く淡泊な笑みだけが浮かんでいた。
「俺に言わせてみれば、そんなの的外れなんだ。他人に支えて欲しいと思った事も、優しくして欲しいと思った事も、……ただの一度も無いから」
ワタルの顔がこちらに向けられる。
ユリは思わずどきりとした。後ずさりしてしまいそうになるが、慌てて踏み堪える。
「けど、君は違った。最初に会った時、君は俺に対して、あまり好意的じゃない感情を向けてきた。それが逆に新鮮だったんだ。だから俺は君に興味を持った」
「……好意的じゃない感情を向けてきたの、バレてましたか」
「うん」
――むしろ気づけと言わんばかりの態度だったからなぁ……。
ユリは内心で溜息をついた。
「君の一族は、フスベに対して何かしら因縁があるんだろう?」
「……はい」
「俺はそういうのも、一種のスパイスのようにしか感じていないんだ」
思わず目を見開いた。
視線の先、ワタルの表情は変わっていない。
浅く淡泊で、乾いた笑みだ。
「知識としては知っていたんだ。フスベは様々な業を背負っている。次期長老である俺には恨みが向けられるのは必然だ。……昔はそれなりに反応したよ。嘆いたり憤ったりね。でも最近は、ああまたか、くらいにしか思っていない」
「……摩耗しましたか」
「そうだね。感覚が擦り切れて麻痺した」
「お疲れ様です」
大変でしたね、と言われるだろうと予想していたワタルは噴き出した。
その反応にユリは驚いた。
「え? 何か変な事でも言いました?」
「いいや」
ワタルはそれだけを言った。
話題を切り替えるため、別の思いを口にする。
「しかし何で、……君にはこんなに話してしまうんだろうね」
「ワタルさんが話したかったからじゃないですか」
あっさりとユリは言った。
それだけの事じゃないですか、とでも続きそうな、スッパリとした断言だった。
「……そうだね。……俺はきっと、君とこういう風に話してみたかったんだろうね」
ワタルの身が窓枠から離れた。
帰るのだろう。
ミニリュウが腕を伝って下に降りようとする。が、ワタルの腕はそれをやんわりと掴み取った。
少し拗ねたような顔でミニリュウはぶら下がる。
「リーグ本部に俺の私室があるんだ。気が向いた時でいい。遊びに来てくれ」
「はい。必ず」
ユリは笑顔で頷いた。
「近日中に。――勿論、御菓子も持って行きますので」