件の相手がいるのは格闘道場。
 が、格闘道場に入れるのは、セキエイリーグを制覇して、なおかつジムリーダー陣営に認められた人だけ。
 ユリはセキエイリーグは突破できていない。
 だから、ゴールドを通して今日限定の入場許可を申請した。
 結果は可。
 自分で頼んでおいて何だが、本当に承諾してもらえるとは思わなかった。

「有り難う、トゲキッス」

 格闘道場に着く。
 お礼を言って、トゲキッスをモンスターボールに戻す。

「よう」

 格闘道場の扉の脇に、随分と懐かしい相手がいた。
 マサラタウンの幼馴染みの片方。

「ゴールドからお前の名前を聞いた時はまさかと思ったぜ。ジムバッジは一通り揃えたのに、セキエイリーグに挑戦せず、さっさとどこかに行ったお前が、ひょっこり現れたんだからな」
「あれ、一応気にかけてはくれたんだ」
「まあな」

 グリーンは目線を背後の施設に向けた。
 格闘道場。
 ジムリーダーと、ジムリーダーに認められたトレーナーだけが出入りを許される、ポケモンバトルの施設。

「いるぜ。ずっとお待ちかねだ。――つかお前、何したんだ?」
「えーと」

 色々とあったので省略すると。

「許されない恋をした、って感じかな」
「は? お前が恋?」
「……私だって人間なんだけど」
「いや悪い、嘲ったんじゃねえんだ。ただ……まあ、意外だな、と」
「意外、かな?」
「意外だよ。お前、そういうのは面倒臭いって切り捨てると思ってた」
「……まあ……あれだよ。……捨てたくない想いってやつ」
「臭ェ」
「今自分でも思ったんだ、突っ込まないで……」

 ユリは格闘道場の扉を開いた。
 途端。
 冷蔵庫の中のような強烈な冷気が噴きつけてきた。
 空調が壊れているのかと思ったが、すぐに違うと悟った。
 これは冷房の空気ではない。
 殺意。敵意。
 いや、これも違う。

 ――戦意、かな。

 随分と久し振りに感じる空気だ。
 腰元のベルトのモンスターボールに触れると、その戦意を浴びて全身にビリビリと感じていた電撃のような痛みが徐々に和らいでいく。
 一歩目を踏み出す。
 二歩目。格闘道場の内部の全景が見えていく。
 三歩目。今日いるジムリーダー達の姿や顔がはっきりと見える。
 四歩目。格闘道場の最奥に立つ、対戦相手の姿が見える。

「初めまして。――イブキさん。挑戦者のユリです」
「……私は、初めまして、という感じはしないわ」

 厳かな声が響く。
 凛と、芯の入った声。
 予想より若い女性だった。
 二十代中頃か前半頃。
 自分よりは年上だが、その年齢でフスベジムを担う人。

「今まで、貴女の事を調べてきたから。カントー、ホウエン、シンオウの全ジムバッジは取得して、ホウエンとシンオウのポケモンリーグも制覇したのに、何故かフスベジムには立ち寄ってこない。最初は単にドラゴンタイプを避けているだけかと思ったのだけれども」
「事情があったんです。……御存知ですか?」
「ええ。――大昔にフスベから追放された罪人の末裔」
「……誰から聞きました?」
「ナズナの御両親」

 やっぱりか、とユリは呻きたくなった。
 イブキは率直に言葉を向けてくるが、未だ顔も知らないあの人達は外堀から埋めようと、――否。
 違う。
 何となくだが、他人任せのような風潮さえ感じてくる。

「まあ、私は別にどうとも思わないわ。フスベ永久追放の罰といっても、もう何百年も前の話。私でさえ言われるまで知らなかったわ。そんな昔の話、解消してもいいんじゃないかって思うんだけどね。――逆に言えば、どうして貴方達子孫は解消してもらおうと働きかけてこなかったのかしら」
「それは勿論、怖いからです。相手はフスベ。一個の町です。許してもらってもいいですか、と問うにはリスクが高すぎます。昔の汚点を払ってやるってドラゴン使い総出で向かわれるかもしれませんしね」
「……成程」

 イブキは嘆息の一つで済ませた。
 大した反応は見せないが、反論もしない。
 という事は、こちらの言った事を了承したという事か。

 ――私としては「誇張表現よ」って返して欲しかったんだけど。

 もし先祖の誰かがリスクを飲んで賭けに出ていたら、本当にやられていたかもしれない。それが嫌だから、誰もやらないでいてくれたのだが。
 裏を返せば、今、ユリがやっている事は先祖の誰もが避けてきた『フスベへの接触』だ。
 初代の時から十二分に時間は経っているとはいえ、果たして上手くいくか。
 最低限、生きて帰りたいものだ。

 ――駄目、違う、それじゃ駄目だ。

 自分だけ無事では意味が無い。
 身元を辿られて、あの診療所に手を出されたら、もうその時点で敗北。アウトだ。
 それ故に、ここで勝ち取らなければならないのは、最低限の勝利ではない。
 最大限。この上ない、百パーセントの勝利だ。

「……私はね。ワタル兄さんの相手は当の本人が決めればいいと思っているわ。ナズナの御両親は黙っていないでしょうけど、ナズナ本人はきっと分かっていない」

 ナズナ。
 ミニリュウを連れた幼い少女。
 ある意味、起点そのものをもたらした、全ての始まり。
 いつかぜひルカリオを通訳にして、あのミニリュウと語り合ってみたいものだ。
 無論、ゲンガーに黒い眼差しをかけてもらった状態で。

「ナズナちゃんは、分かっていない、……って?」
「言葉の通りよ。ナズナは将来にワタル兄さんと結婚するかもしれないという事も、それが両親から押し付けられた幸せだという事も、何も分かっていない。知ってはいるんだけどね」
「……まあ……幼いですし」
「私はこう思うの。ナズナはまだ幼い。だから、ひょっとしたら、まだ才能が芽生え切っていない次世代の子供達の中に、ワタル兄さんより相応しい相手がいるかもしれない」

 どくんとユリの心臓が弾んだ。
 イブキの発言は、ナズナの両親の考えを、どちらかといえば否定している。
 つまり同じ考えではないのだ。

 ――けど……この状況、一体どういう事?

 疑問がまだある。
 イブキの発言に、ユリは指先を顎に添えて、『取り敢えず考えています』ポーズを作った。
 先程からイブキとは幾度となく言葉を重ねている。
 言葉を重ねて、会話という流れになる。
 それに流されて、会話の論点や中核、出すべき結論を見失ってはいけない。
 良く考えなければ。

 ――まず、私はここに、イブキさんとバトルを行うために来た。

 そのために、ゴールドに連絡し、ジムリーダー達に一時的な入場許可を得た。
 そこを巻き戻す。
 何故に行こうと思ったのか。
 ワタルに恋愛感情を抱いたからだ。
 その前。そこを更に巻き戻す。
 何故に行こうと思ったのか。



「いつもの、話題の一環としてじゃなくて?」
『違う違う! 何か凄い剣幕でさ、もう待ち切れないから呼び出しなさいゴールド! って。そんな事を言ってイブキの方が用事があるからってさっき格闘道場から出て行ったんだけど』
「……凄い剣幕?」



 ここだ。
 最初、ユリはナズナの両親がイブキにチクったのかと思い、慌てたのだ。
 チクっただけならばまだいい。
 最悪なのは、こちらにとって不利な、それこそドカンと一発やられてしまいかねないような作り話を聞かされた場合だ。
 もしかしてそれなのではと思い、ゴールドに理由を訊いてみるように頼んだのだが、その結果は得られなかった。
 ここに来たのは、それを調べるため。
 そして、イブキというフスベ出身のジムリーダーと接触するためだ。
 しかし、いざ来てみると、当のイブキは落ち着いていて、冷めてはいないがピンと張り詰めたような緊張感がある。
 ここが予想とズレている。
 ゴールドの言う事が正しければ、イブキはユリと会うまではピリピリしていた。
 実際に会ってみると、ピリピリという感じはしない。
 それを内に抑え込んでいるような、凝縮というイメージがある。

 ――ただの杞憂?

 ナズナの両親に何か聞かされたという予想そのものが外れていたのだろうか。
 中途半端にゴールドと接点を持つユリと単にバトルをしたかっただけなのか。
 分からない。
 それに、疑問はまだある。

 ――どうして、イブキさんはナズナちゃん個人の事についてまで話題を掘り下げるんだろう。

 これは恐らく、イブキ自身の意見だろう。
 それをこちらに伝えてきた意味。
 送られてきたのはイブキの問い。
 なら、こちらが差し出すべきは、その問いに対する答えだ。

「……『相応しい』は違うと思います」

 イブキの表情が微かに動く。
 眉がほんの少し、ぴくりと動いたという、それだけの反応。
 相手はフスベの代表格。
 たったそれだけの動作で心臓が竦み上がりそうになるが、その恐怖をも飲み下す。

「ナズナちゃん本人が、心底から傍にいたいと願う相手。ナズナちゃん本人が、この人がいいと選んだ相手。その人こそ、ナズナちゃんと共に在るべきだと私は思います」
「ナズナはフスベでも位の高い旧家の出身よ。そのナズナに釣り合う相手はいるかしら?」
「『釣り合う』でもありません。ナズナちゃん本人が、傍にいたい、いて欲しいと願い、実際にずっと傍にいる事を決心し、誓い合う……」

 大丈夫。
 自分の考えの軸はズレていない。
 ズレたら駄目だ。少しのズレでも見つけられてしまえば、そこで意志薄弱と判断されてしまう。
 何となく、分かったような気がした。
 イブキがナズナの事を話題に持ち込んだ理由。

「……一人の女に、それだけの事を誓わせる相手。その人こそが、ナズナちゃんが共に在るべき人でしょう」

 イブキの唇が開く。
 こちらの言葉に返す動きだ。
 それを、

「――ですが」

 途切れさせる。

「私達はナズナちゃんの姉のような存在ではあってもナズナちゃん本人ではない。また、ナズナちゃんの人生に対して責任を負える立場でもありません。年下の女の子として可愛がる事はできても、現状の話題である許嫁として寄り添い合えるわけではない。故に」

 両手の掌を打って、柏手の音を立てる。

「――これ以上、この話題に対する問答は無用。ならば先程までの会話も無責任な雑談にしかなり得ません。ですから、この話題はここで打ち切りです」

 ぶった切った。
 イブキの目がきょとんと見開かれる。

 ――これで、先程のイブキさんからの問いには返答した。

 向こうから持ちかけてきた対話には、きちんと答えた。
 あとはイブキの判断を待つだけだ。
 一瞬か。一分か。時間が流れる。
 やがて、薄氷が溶けたように、その薄い唇が綻んだ。
 傍目から見ると美少女が微笑んで可愛らしいというイメージだろうが、胃が縮み上がった状態であるユリにとっては、次に何かしらの一手がくるという予備動作の一つに過ぎない。そのため素直に怯えた。

「……貴女。私の言いたい事、分かっているんでしょう?」
「――恐らくは」

 イブキの肩が淡く震えた。笑ったのだ。
 先述のように胃が縮み上がっていて緊張しすぎているユリには、その笑みを素早く感知する事はできても、その笑みがどういう種類のものなのかを正確に読み取る事ができない。
 普段ならできるはずの事だが、その事すら自覚できていないくらい、ユリは緊張していた。

「なら、言ってみなさい」
「……はい」
 多分、合っているだろうとは思う。
 イブキがナズナについての話題を持ちかけてきた理由。
 先程にイブキはこう言った。



「……私はね。ワタル兄さんの相手は当の本人が決めればいいと思っているわ。ナズナの御両親は黙っていないでしょうけど、ナズナ本人はきっと分かっていない」



 ここから編み出される答えは。

「ぶっちゃけイブキさん、――ナズナさんとワタルさんの婚約の件、歳が離れすぎていてちょっとそれはどうだろうと思っていますね?」

 沈黙が流れる。
 今度は短かった。
 イブキはすぐに反応を示した。
 溜息を零し、肩口にかかった髪をバサリと後ろに追いやって、

「当たりよ」



 

 
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