まさか自分がこんなひねくれた恋愛をするとは思いもよらなかった。
 いや。
 そもそも恋愛をするという事自体が、予定外、予想外だったのに。
 しかしこれは恋と呼ぶべきものだ。
 間違いない。
 マニュアルなんて読んでいない。誰に答えを聞いたわけでもない。
 けど自分の心がそう言うのだ。
 だからきっと間違いない。

「あーあ……」

 俎板の上で大根を切っていく。
 まず二つに分けるように切って。半分は味噌汁の具に、もう半分はおろし金で摩り下ろす。
 今日の夕飯は味噌汁と御飯と、焼いたほっけと厚焼き玉子と南瓜の煮物。
 南瓜は時間をかけてゆっくりコトコトと煮込んでいる。
 今はほっけに沿える大根おろしを作る最中だ。
 厚焼き玉子は作り立ての熱々の時に出したいから最後に作る。

 ちょいちょい、って袖を引っ張られた。

「ん? 何? サーナイト」

 サーナイトは煮物の具合を見ていた。
 南瓜は硬いけど、一度中まで火が通るとすぐに煮崩れてしまうという欠点もある。おいしいけど、そこが面倒なところだ。だから私は南瓜の煮物を作る時、必ず誰かに見てもらっている。
 今日は暇そうなサーナイトにお願いした。
 サーナイトはルカリオやリオルとは違って、波導での会話はできない。できたらいいんだけど、やり方が分からないからもう放っておく事にした。そもそも何で波導を使える事が分からないけど、そこも含めての放置だ。考えても分からない。
 エスパーのナツメさん辺りに相談してみたい気もするけど、そうなると格闘道場に行かなきゃいけなくなる。そこでイブキさんと顔を合わせると面倒だ。いや、あちらが一トレーナーに過ぎない私の事を知っているかどうか微妙だけど……ゴールドが話しているっぽいし……。

 サーナイトはことりと小首を傾げた。キレイハナはジェスチャーで伝えてきてくれるけど、サーナイトは逆だ。目線で訴えたら通じると思っている。
 通じなかったら機嫌を損ねるのに次からも目線で訴えてくるところが厄介で……いやいや可愛いところだ。
 瞳の中をじっと見つめる。
 心配している風じゃない。それよりもっと薄い。懸念。違う。注意。微妙に違う。というより何か鬱陶しげだ。
 サーナイトは気位が高くて、優しくて、おっとりとした、お嬢様風味の子だ。ついでにツンデレ。そこから加味していくと、サーナイトの言いたい事が大体分かる。

「……料理中に溜息をするな、って?」

 そうそう、とサーナイトが笑みで頷く。良かった。サーナイト姫の機嫌を損ねられる事態は回避された。
 まあ確かに料理中の溜息は料理や食材に対して失礼だろう。命を頂いているのだから敬意を払わなければならない。
 溜息を飲んで料理を再開。ざかざかと大根を削っていく。
 けれど溜息を飲み込むと、胸の中に黒いもやもやが溜まっていく変な感じがする。
 変だ。
 何これ。
 単に溜息をやめただけじゃないか。それなのに何でこんなにぐるぐると。
 どうすればいい。
 やっぱり誰かに相談するか。私自身が一人で考えてどうしようもないなら、他の人からアドバイスを貰うのも、いい手かもしれない。
 しかし誰にするか。

「あれ? サーナイト?」

 サーナイトがいそいそと台所から離れる。え? 途中で離脱? サボリ? サーナイトはそんな子じゃないはず。
 と思っていたらサーナイトはすぐに戻ってきた。手には私のポケギア。誰かからの通話着信を受けているのか、バイブ音が浅く鳴っていた。
 画面には『ゴールド』。
 何でこんな時に。いや電話なんていつも不意打ちで突然か。
 私は大根とおろし器を置いて、急いで手を水洗いした。布巾で手を拭いて、サーナイトからポケギアを受け取り、通話を受信する。

「もしもし」
『おう! 俺! 元気か!?』
「元気だよ」

 ゴールドは本当にいつも元気だ。男の子だからだろうか、性分だろうか。それとも私が冷めているのか。
 ゴールドはああだこうだと色々な事を語った。
 卵が孵化した、育て屋さんの所でお茶を飲んだ、格闘道場で勝った、デパートでこれを買った、いかり饅頭は相変わらずおいしい、通販でフエン煎餅を注文してみたから今度一緒に食べないか。
 本当に話題が尽きない。
 まあゴールドは私とは違って旅をしている。だから毎日のように新しい刺激を受けているんだろうし、話す事も増えていくんだろう。

『――あ! そういやさユリ!』
「何?」
『何かイブキがユリと戦いたいんだってさ!』

 頭の中が一瞬フリーズした。
 隣のサーナイトはコトコトと煮込まれていく南瓜をじっと真面目に凝視しているから、多分気づいていない。
 慌ててハッとした。

「いつもの、話題の一環としてじゃなくて?」
『違う違う! 何か凄い剣幕でさ、もう待ち切れないから呼び出しなさいゴールド! って。そんな事を言ってイブキの方が用事があるからってさっき格闘道場から出て行ったんだけど』
「……凄い剣幕?」

 何か嫌な予感がする。
 背筋をじわじわと悪寒が走り抜ける。
 何だろうこの予感。レッドが姿を消した、あの日よりも、もっとずっと強烈で、心臓が痛いほどに鼓動が速まっていく。
 レッドはシロガネ山に籠もった。行けば会えはするんだけど。
 それよりもっと悪い事が起こる、って事だろうか。

『そ。お前、イブキに何かした?』
「……さあね」

 少なくともイブキさんには何もしていない。
 していない、けど。
 嫌な予感がする……。

「ゴールド、暇だったら、でいいんだ。暇だったらでいい。――本人に、尋ねてみて欲しい」
『何を? あ、何でユリとそんなにバトルしたいのか?』
「うん」
『オッケー、分かった!』

 じゃあなー! とゴールドが快活な返事と共に通話を切る。
 終わったの? とサーナイトがこちらを見た。
 頷くと、サーナイトはまた鍋に目線を戻す。

「……弱ったなぁ」

 サーナイトには気づかれないように呟く。
 まずい。これはちょっとまずい。
 予想が外れてくれればいいんだけど、例の件であのイブキさんまで関わるようになったら、私の方に分が悪くなる。
 それは癪だ。こちらが一方的な悪者のようで腹が立つ。
 キュウさんがイブキさんに何か言ったんだろうか。
 それともワタルさんがイブキさんに何か言った?

 分からない。

 けど、分からないけど、何かしなきゃいけないのは事実だ。
 私自身の事なんだから。
 いつものようにクールを気取って傍観しているわけにもいかない。
 とにかく先手を打って情報を集めて対処しないと。何とか穏便に済ませたい。
 頭の中であれこれと考えると、胸の中のもやもやがまた溜まり始めた。
 

 

 
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