変な夢を見た。
変、と言ったら失礼に当たるかもしれない。
何故なら夢に出てきたのは女の子で、その子は一点の曇りも無く本当に楽しそうに微笑んでいたからだ。
変というよりは、奇妙といった方がいいかもしれない。
その子はどこか見覚えのある大きな屋敷の庭で、小さなリオルを抱き締めて笑っていた。
何かを喋っているけど、夢の中だからなのか、何故か声は聞こえない。
だから彼女の顔と表情だけが妙に印象に残っていた。

「――ねえ、ワタル様」

夢から覚める直前、何故かこの時だけ声が聞こえた。声の大きさ自体は囁くような本当に微かなものなのに、耳に届くより先に頭の中に直接響いてきた。
だから、夢から覚めた今でもはっきりと思い出せる。

「――思い出さないで、下さいね。もし思い出しても、素知らぬ振りをして下さい。必ず、必ずです。約束ですよ――――」



思い出さないでと言われても、何の事かさっぱりだ。
そもそも夢の内容なのだから、真面目に考えるだけ損なのかもしれないが。

「さあ、どうぞ。召し上がって下さい」
「わー、おいしそう!」

俺の隣の席で、この日のためにとお気に入りの晴着を着たナズナが歓声を上げる。
いつもナズナの首に巻きついているミニリュウは少し離れた所で、リオルやピチューといった診療所のポケモン達と一緒にフーズを食べている。
ナズナのミニリュウがいる、というだけでどうにも落ち着かないのか、テーブルの上に御馳走を並べつつも、ユリちゃんはちらちらとミニリュウを見ている。
……多分、俺には気づかれていないと思っている。だから俺も指摘はせず、ユリちゃんに勧められるままに箸を手に取った。

「お姉ちゃん、頂きます」

ナズナが満面の笑みで言う。召し上がれ、とユリちゃんも優しい笑顔だ。出会って最初の頃と比べて、確実に印象は良くなっているらしい。
ナズナはユリちゃんに良く懐いている。ナズナはフスベでは上位の家系の出身だが、それ故に気軽に話せる友人がいない。次期長老である俺との距離の方が近いくらいだ。
ナズナにとってユリちゃんはイブキの次にできた同性の顔見知りで、年上で、気兼ねなく話せる相手だ。
その無邪気な慕わしさを向けられて、ユリちゃんは戸惑いつつも柔らかい態度で接している。今はまだ少し戸惑っているけど、その内、友人同士になってくれればいい。俺は密かにそう思っていた。
一人でいても、得られるものも、できる事も限られてしまうから。
誰かと話したり、時には衝突したりして、得られるものもある。

「お姉ちゃんの肉じゃが、すっごいおいしい」
「そう? 良かった」

にっこりと微笑むユリちゃん。だけど……何というか、ナズナは気づいていないだろうが、眉の垂れ方や、作った笑みにうっすらと透けて見える陰で、俺は何となく彼女の表情の裏が読めてしまう。
曰く『ヤバい面倒だから肉じゃが作ったけど大丈夫かな、お口には合っているかな、でも今から作り直すのもなあ、肉じゃが作るのも手間暇がかかったんだしもういいよね別に』。
出会って一週間も経っていない俺でもここまで分かってしまう……。ユリちゃん自身は表情に出てしまっている事には恐らく気づけていない。
多分、ゴールド君も気づいてはいても指摘はしなかったんだろう。
俺も言わない。
理由は一つ。単純に、面白いから。

「鯖の味噌煮、ナズナの大好物。お姉ちゃんエスパー?」
「あ、ううん。オーソドックスだから、嫌いな確率は低いかな、と思って」

確かに。持て成す相手の嫌いな食べ物を振る舞いたくはないだろう。ユリちゃんにはかなり気を遣わせてしまった。
しかし……ナズナが軽いジョークとして放った問いに、ユリちゃんは湯飲みにお茶を注いだりと甲斐甲斐しく動きから実に生真面目に答えている。もしかするとジョークだと気づけていないのかもしれない。ひょっとしたら天然じゃなかろうか。

「これなぁに? 具無しスープ?」
「あさりの御吸い物。具が無いのは香りと味で勝負だからです」

ふふん、とユリちゃんが自信ありげに微笑む。
年下のナズナに対してそんな本気の表情を向けなくてもと思うが、ユリちゃんの性格なのかもしれない。
いずれにしろ、冷たい眼差しを向けられた最初の頃と比べれば、大分マシになったものだ。
けど今にして思い返せば、勝手に庭に入ったり歩き回ったり、実は営業妨害になっていたかもしれない。というか私有地不法侵入。その事を考えればユリちゃんのあの態度も当たり前だろう。

「お姉ちゃんの御料理おいしい。いつも御料理しているの?」
「うん。家事全般は私の役目」

確か、ここにはユリちゃんのお兄さんもいる。ポケモンドクターで、若いが腕は良いと評判だ。
今この場にはいない。噂によるとあまり外には出ないらしいのだが。

「……料理も、ユリちゃんが?」
「はい。……あ、味付け、どうですか? 濃すぎるとか、薄すぎるとか」
「いや。おいしいよ」

本当に。
肉じゃがも鯖の味噌煮もあさりの御吸い物も。オーソドックスな和食のメニューだからこそ、変に構えたりせずにリラックスして味を楽しむ事ができる。
味は、一言で言えばおいしい。
詳しく言うと、普段から料理を作り慣れている人の味だ。
調味料も味わいも、乱れやアンバランスといったものがなく、完璧に整っている。
例えば肉じゃがのじゃがいもはどれも型崩れしていないし、人参も芯まで火が通っていて柔らかい。出汁巻き卵もくるりくるりと丁寧に巻かれていて、少し冷めても出汁の旨味は損なわれない。南瓜の煮物も箸は通るのに型崩れはしない絶妙な柔らかさと、飽きのこない甘みだ。
ゴールド君に言わせると、『男の心をがっつり掴む女の子の手料理!』という感じだろうか。
……ゴールド君はユリちゃんの手料理を食べた事があるのだろうか。

「お姉ちゃんおかわりー」
「はいはい」

ナズナが茶碗を差し出す。ユリちゃんは炊飯器の蓋を開けて、二杯目の御飯をよそった。
ナズナは意外なほどリラックスしている。肩の力を抜いている。
客が珍しいのか、俺やナズナの足下にちょろちょろと小さなポケモン達がやってきた。
少し鋭いルカリオの声が聞こえる。サーナイトやキレイハナが小さなポケモン達を抱き上げ、少し離れた所にあるリビングで下す。
今更だが、この家の、この混沌さは一体何なんだろう。
部屋と部屋を隔てるドアが無い。一応は部屋を仕切るためのカーテンレールは設置されているが、今はカーテンは纏められてタッセルで留められたままだ。
一つの大きな部屋を仕切りで区切るというよりは、複数の部屋の区切りを取り払ったといった感じだ。
大きなテレビとソファが置かれた居間に、小さなポケモン達が固まっているパズルマットが敷かれた子供部屋。隅には天井までの高さを持つ巨大な本棚もあり、ポケモン達が脚立を使ったりしてそれぞれ読みたい本を引き出している。
一見すると託児所のようだが、多分そうじゃない。

「みんな私の手持ちのポケモンです」

ユリちゃんが微笑んで言った。中身の減った俺の湯飲みに、急須で淹れたお茶を継ぎ足してくれる。
蓋を抑えながら急須を傾ける仕草も彼女にとっては慣れた動作の一つらしく、添えた指先や曲げた肘の角度など一つ一つが、思いがけず上品だった。

「……ここは私とみんなの家です。家の内装を、こういう風にしたのは兄ですけど」

ふふ、と笑う表情は、ナズナと話している時の笑みとはまた異なって、少し大人びて見えた。


 

 
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