「……ユリちゃん?」

ワタルさんに声をかけられてハッとなった。
ボーっとしてしまった。

「大丈夫かい?」
「あ……はい。すみません」

笑みを作って返しつつ、自分の分のマグカップにブラックコーヒーを注いで一口飲む。
苦い。けど、面倒だから砂糖やミルクを入れた事は無い。大抵は御菓子を食べている時に飲むから、ブラックコーヒー単体で飲むと余計に苦い。
けど、その苦さのおかげで意識が少し冷めた。
あれこれ考えても仕方ない。シンプルに行こうじゃないか。
まず、私の素性は知られたくない。これを軸に据えよう。
今のワタルさんが私の素性を知っているかどうかは知らない。
もし知った場合はどうしてくるかも、分からない。
なら簡単だ。
私が私の素性を知らされないようにすればいい。
兄さんはインドア派というか引き籠もりに近い状態だから、あとは私自身が漏らさないように気を付けるだけだ。
正直、現状のワタルさんが私の素性を知っているかどうかが気がかりだけど……。
知らないのなら、いい。
けど、知っていて、それを隠して私と接しているのなら。
……やめよう。
仮定の話は考えるだけ仕方ない。
何かあったら対処するしかない。
それだけだ。

「ユリちゃん」
「はい? なん、――です、か……?」

ワタルさんが腕を伸ばしてくる。
と思ったら、指先で何故かこちらの眉間に触れてきた。
他人の指。
冷え性の兄さんの指を思い出して思わず身を縮こまらせると、ワタルさんが浅く首を傾げた。
ワタルさんの指は、冷たくない。
ぬくい。
その温もりが眉間に触れて、優しい手つきで、眉間の皺を撫でてくる。
眉間の皺。
いつの間にか寄せていたらしい。

「何か、悩み事かい?」
「……いえ。考え事です」

そっか、とワタルさんは呟いた。
眉間から指が離れて、今度は頭の上に掌がポンと載る。
そして、頭を撫でられた。

「……あの……ワタルさん?」
「ああ、別に子供扱いをしているわけじゃないんだ。けど、ユリちゃんは頑張っているな、と思って。この診療所、近隣のポケモンセンターでも評判だけど、ユリちゃんとお兄さんの二人で運営しているんだろう?」
「そうですけど、でも、助けてくれるポケモンがたくさんいますから」

褒めて、気遣ってもらえる事は嬉しいけど。ポケモン達がいなかったら、この診療所はきっと成り立たない。これは事実だから。
ワタルさんは淡く微笑んだ。

「ユリちゃんはポケモンが好きなんだね」
「好きですよ」

人間より。
という言葉は飲み込んでおいた。

「ユリちゃん」
「はい?」
「明日、楽しみにしているよ」
「あ……はい」

あ。そういえば買い物に行かなきゃ。
ワタルさんがカップをソーサーに置いて立ち上がった。

「それじゃ、俺はこの辺で」
「あの、今更ですけど、引き止めてしまって大丈夫でしたか? 何かしら用事とか……」
「大丈夫だよ。少し前に、大きな事件がようやく片付いたしね」
「?」
「ロケット団だよ」

ああ。思い出した。ゴールドが何か騒いでいたやつ。
ロケット団か。

「ワタルさんも関わっていたんですね」
「も?」
「ゴールドが『ロケット団を潰したぜー!』って騒いでいたので」
「ああ、ゴールド君か」

ワタルさんが立ち上がると、マントの裾がぞろりと棚引く。
何でマントなんか着けているんだろう、と思う。

「コーヒーと御菓子、御馳走様。おいしかったよ、有り難う。――また明日」
「はい」

そうだ。明日。明日を何とかこなさなきゃ。
食事を作って振る舞う。それだけだ。それだけ。
……明日の食事が終わっても、ワタルさんはまたここに来るんだろうか。
ワタルさんには失礼だけど、少し気が重い。
何でこの診療所に来て、何で私と話すんだろう。

大窓の所で、ミニリュウが不思議な目で私の事を見ていた。


 





 
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