昔、あの頃、オーキド博士から貰ったゼニガメと、途中で捕まえたポッポやライチュウやウィンディと旅をしていた頃。
カントー地方で最後にグリーンバッジをゲットして、ポケモンリーグ出場権は得られたものの、私は敢えてポケモンリーグには出場しないと選択した。
それには複雑な気持ちと理由があった。
私を置いて先に次にと進んでいく幼馴染み二人の驚異的なバトルに関する才能とセンスを見て思わず怖じ気づいてしまったという情けない理由もあるし、フスベ出身と名高い件のチャンピオンに会いたくないという気持ちがあった。
もし私が四天王を勝ち進んでチャンピオンと正対した時、私があの罪人の末裔だと知っていて、そういう目で見られたら――。
そう思うと、どうにも気後れしてしまった。
幸い、私の手持ちのポケモン達はバトル狂というわけではなく、むしろ色々な所に行って旅を楽しみたいと思うタイプだったらしく、特に不満を言う事無くついてきてくれた。
カントー地方からジョウト地方に移動して。
また色々な所に行って。
そして――。



「……フスベジムに挑戦しようとした直前に、診療所を作りたいと兄に相談されまして。その候補地を探そうとホウエンやシンオウを巡ったんです。ジョウトはもう九割回っていましたから。そして、ここに診療所を建てて……私も、あまりここを空けるわけには……いかないので」

真実のような嘘のような中途半端な事を言う。
診療所を作りたい、と言い出したのは兄さんだ。
その候補地を探すため、ホウエンとシンオウを旅して回った。
ここまでは本当。
けど、フスベジムに挑戦するくらいの時間はいくらでも作れる。
フスベジムはドラゴンタイプを扱うらしいから、ミロカロスと、旅の途中で手持ちに加えたギャラドスと、トドゼルガとジュゴンとグレイシアとユキメノコを連れれば、勝算は充分にあると思う。私の最初の手持ちで、一番付き合いが長かったカメックスは……今は遠くにいるから、バトルに参加してもらう事はできない。
私がフスベジムに行かないのは、単純にフスベ出身のイブキさんに会いたくないからだ。
イブキさんが先祖の事を知っているかどうかは知らない。けど、もし知っていたら。私達の事さえも知っていたら。
どういう目で見られるだろうか。
それを見るのが怖い。
もしかしたら、下らない事を気にし続けているだけなのかもしれないけど。

「そうか……。すまない、立ち入った事を尋ねて。実はフスベジムのジムリーダーのイブキが俺の従妹でね。イブキから君の事を聞いた事があったから」
「そう、ですか」

ゴールドも似たような事を言っていた。イブキさん、私の事を何人に言っているんだろう……。もういっそジムに行った方がいいのかな。
ワタルさんの様子やイブキさんの事を聞く限り、私の素性は知らないようだし。

「ユリちゃん、カントー地方の格闘道場の事は知っているかい?」
「え? ええ、まあ」

名前だけは聞いた事がある。カントー地方とジョウト地方のジムリーダーが集まる場所。ジムリーダーからの許可が下りたトレーナーも自由に出入りする事ができるという。
確かゴールドもあそこに出入りしているらしい。確かに彼は幼馴染み二人にも劣らないほどのバトルのセンスを持っている。ワタルさんがゴールドの名前を知っているという事は……もしかするとポケモンリーグも制覇したのかもしれない。あ、いや、確か前にそういう連絡を受けた気が……する……ような……?

「前にジムリーダー達が君の話題で盛り上がった事があってね。引金はゴールド君だったんだが……その時に色々と君の事を聞いて、興味を持ったそうだ」
「そう……ですか」

引金を引いたのはゴールド……か。
ジムリーダーの人達はどういう事を言ったんだろう。今はトキワジムでジムリーダーをやっている幼馴染みは……昔の私の事とかぺらぺら喋ったりしてないよね?
いや別に構わないけど、勝手に過去を知られるのはちょっと嫌だ。特にゴールドには。会話のネタにされそうだし。

「君の事を聞いて、イブキは君に興味を持ったみたいだよ」
「光栄です」
「けど、そういう事情があるのなら、俺からイブキに説明しておこうか?」
「……お願いします」

素直に頼んでおく事にした。
ワタルさんが微笑んで頷く。
ワタルさんの腕に抱っこされているリオルは、すっかり安らいだ顔ですやすやと寝入っている。
ほっとすると、ルカリオに声をかけられた。クッキーを載せたトレーを持っている。
――あ。コーヒー。
思い出した。ドリッパーを見ると、もう器の中はコーヒーで満たされている。
それに、恐ろしい事が一つ。
――ワタルさんを座らせてない!

「すみません遅れましたが、どうぞ座って下さい」

ワタルさんの斜め前にある椅子を手前に引いて促す。
周りのサーナイトやキレイハナが合わせて、少し恐縮した顔で「どうぞ」って腕を伸ばす。可愛い。
ワタルさんは特に気を害した様子も無く、サーナイトやキレイハナのレディ達に「有り難う」って微笑み返して椅子に座った。
何の変哲も無い木製の椅子に、マントを羽織って威厳たっぷりのチャンピオン。
凄まじい違和感。

「どうぞ」

御客様用の綺麗な紋様が描かれたソーサーをテーブルの上に載せ、カップを載せ、コーヒーを注ぐ。
次いでルカリオが開封した袋入りのクッキーを置いて、サーナイトが小さな砂糖壺とミルクポットを置いた。
ワタルさんが、やっぱり大人びた微笑を浮かべる。

「有り難う。頂くよ」

優雅な仕草でコーヒーカップを口元に運ぶ。
袖から見える肌は……意外と日焼けしていて、指も意外と細くなくて、骨張っていて、ゴツゴツしていそうだった。
本とかで読んだ事はあるけど、男の人の手って本当にああなんだな……。
兄さんは完全にインドア派だから肌が真っ白だし、指も女の私より細くて綺麗だ。洗い物を始めとする家事の一切をやっていない……私が手伝わせないから、肌荒れもしていない。
長く兄さんの傍にいたから……私の周りにいる異性は兄さんだけだったから、何だか凄く新鮮だ。
ゴールドはどうだっただろう。思い出せない。声と顔は良く覚えているんだけど、手や指までは意識に残らなかったから。
――男の人、か。
そういえばワタルさんっていくつなんだろ……。
――知っているのかな。
ふと思う。先祖の事を。
今までの態度を振り返ってみると、私の素性は知らないようだった。
先祖の事は知っていても、その先祖の末裔が私だとは知らないみたいだ。
考えてみれば、フスベの里は先祖を追放した後、先祖を監視する追っ手などは放っていたのだろうか。
その辺は兄かマサラタウンの両親に訊くとして。
もしワタルさんがその辺りの事情を知らなかったなら――。
……どうしようか。
もしこれからもワタルさんと今のような感じで接する機会があるのなら、別に普通に接してもいい。
だけど、ワタルさんの口から私の事がフスベの里で漏れたら……古い歴史を知る人なんかは悟ってしまうかもしれない……いや、先祖の事を知っていても私の事を知っている人なんているかどうか……。
微妙なところだ。
いや、本来なら関わらない方がいいんだろうけど。
けど。
――どうしたものかなあ……。
フスベシティのドラゴン使いやエリートトレーナじゃなくて、まさかワタルさん本人が直に関わってくるような事になるとは思わなかった。
もし明日の食事以降にワタルが関わってこなくなれば、悩む必要も無く解決するんだけど。
――そもそも情報が足りないし。
確かに先祖は永久追放の罰を受けている。もしそれを破った場合にはどうなるのか。現代でも監視や追っ手はついているのか。あるいはフスベシティのポケモンセンターでトレーナーカードをスキャンさせるだけでアウトになってしまうのか。
いや、別にそれを知ってどうこうするわけじゃないけど。
けど。
ワタルさんはフスベシティにとっては重要な人だ。フスベシティは良くも悪くも歴史が古く、それを誇りにする場所。見極めと選択を誤ったら……。

この時の私は失念していた。
ワタルさんから距離を取ればいい、という最も楽な解決策があった事を。
単に忘れてしまっていたのか。それとも敢えて意識を向けなかったのか。
この時の私はまだ、それすら知らない。


 

 
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