私はフスベの血を引いている。
けど、フスベ出身ってわけじゃない。
私が幼い時に兄が教えてくれた。

「大昔に先祖が何かやらかしたみたいで。それでフスベを永久追放されたらしい」

永久追放って重い罰の割には随分と軽い口調。
けど、遠くからフスベシティの町並を眺める兄の眼は、少し寂しそうだった。
兄の話が本当なら、兄はフスベで暮らした事は無いはず。
でも、寂しいと思う気持ちは私にも分かった。

「……血が騒ぐよね。あそこが故郷だって」
「ユリも分かるか?」
「うん。血が……遺伝子が、ざわざわしている」

血流が疼く。心臓が弾む。
瞼の奥がじんと熱くなる。まるで、泣く寸前のわらべのような。

「切ないな。けど、我慢しないとな」
「うん」

私達は、フスベに立ち寄ってはならない。
兄は両親から、両親は祖父から、祖父は先祖から、そして私は兄から教わった。
これは、守らなければならない、しきたりなのだ――と。
幼い頃は、何で罪人の子孫ってだけで何で私達までその命令を守らなきゃいけないんだと首を捻ったけど、今なら分かる。
触らぬ神に祟りなし。
フスベは歴史が古く、どことなくエリート意識が強くて、内向的で排他的だ。
きっと先祖の事も文献か何かで残っている。
子孫の私達の事まで知っているかどうかは微妙だけど、まあ下手に飛び込んで飛び火を食らうよりは大人しくしていようと、そういう事だ。
別にいいけどね。
一つの町に入れないだけだし。
ライジングバッジが無くても、滝登りが使えないだけだし。
いいけどね。うん。

「何か悔しいなあ」
「我慢しろ。親も祖父さんもみんな言ってたんだ。関わるな……ってな。だから我慢しよう。な。ユリ」

兄は理性的だ。理知的で、真面目で、穏やかで、優しい。
私なんか大昔の歴史で心の中がどろぐちゃなのに、この兄は本当に良くできている。
ポケモンドクターとしての腕前は超一流だし。人間としても優しい人だし。
私も兄を見習わなくてはな。

「……忙しくしていれば嫌な事も忘れるさ。ほら、今日も頼むぞ」
「うん」

いつまでも兄に宥められてばっかりの子供じゃいられない。
私は頷いて、木の実を入れるための籠を腕に提げた。
診療所を兼ねた実家の裏口から裏庭に出る。
高いブロック塀で区切られたそこには、防風林じゃなく、木の実の木がずらり。
裏口のドアが開いた音が響いて、木の実の世話をしていたポケモン達が一斉にこっちを見た。

「お疲れさんでーす」

へらへらと笑いながら歩み寄る。
ルカリオが素早く自分の担当の木をチェックし、充分に成熟した木の実を取って私の籠に入れる。

「はーい、有り難うー」

木と木の間の道をてろてろと歩いて行くと、ルカリオをリーダーに、木の実の世話を担当しているサーナイトやキレイハナが木の実を私の籠に入れる。
あっという間に籠はずっしりと重くなった。
これに集めた木の実を、煮詰めたり粉末にしたりして薬を作るのが私の仕事。
庭が広いと採れる木の実もとんでもない量になるから、これもポケモン達が手伝ってくれる。
いやあ本当に人間って非力だよね。うん。
  
「じゃ、あとを頼んだよ」

木の実を採った後の、木のアフターケアも重要だ。心を込めて丁寧に行うと、次にまた立派な実を付けてくれるようになる。
私の言葉にルカリオが頷き、サーナイトが作業に戻り、キレイハナが手を振って見送ってくれる。
私は手を振り返して、籠を持って室内に戻ろうと――した時だった。

「――え?」

何故か。
視界の中、土の上に、ドラゴンタイプのポケモンの、ミニリュウがいた。
うちに確かミニリュウはいないはず。
なのに何で、そう、当たり前みたいな感じでここにいるんだろうか。
ここはうちの敷地内だから、自然とミニリュウが生えてくるはずもないし。
うーん……どこからか迷い込んできたのかな。

「ミニリュウちゃんや、どうしてそんな所にいるんだい」

襲ってくる気配も無いので、取り敢えず声をかけてみる。
すると、ミニリュウが私を見て、何かじっと見つめてきた。
眼はキラキラうるうる。可愛い。けどドラゴンタイプだから嫌だ。
全てのポケモンをこよなく愛する私だけど、ドラゴンタイプはどうも苦手だ。
件の町を連想してしまうから。
ポケモンは、何も悪くない……んだけどさ。 

「おーい」

ミニリュウはこっちを見つめてくるだけなので、何が言いたいのかさっぱり分からない。
というか本当に何でここにいるの君。
そもそも野生なのか、誰かの手持ちなのか。
どうしようか悩んでいると、耳に門番のガーディの声が聞こえてきた。
鳴き声、じゃない。吠えている。長く三回。これは合図か。内容は――。

「侵入者……?」

個人が経営している診療所だから、ここには大した金目の物は入っていない。
けど、モンスターボールはたくさんある。
それを狙って、悪い連中が入ってくる事がごくたまにある。
大抵ならガーディが追い払ってくれる。けど、追い払ったよって意味の合図は出してこない。
つまり、賊の侵入を許してしまい、まだ捕まえられていないって事だろう。

「みんな来てくれーい」

この診療所は、私と兄と、私達に協力してくれるポケモン達が力を合わせて運営している診療所だ。
単なる診療所なのに忍び込んでくる馬鹿がいるから、そういう時のマニュアルを作ってある。
侵入者対策。
もし門番のガーディが追い払い切れず、敷地内に入ってきたら。
バトル専門の私がいたら。
私が指揮を執って、そいつを撃退する。
私がパンパンと手を叩くと、私がバトルの時にとっても頼りにするポケモン達がすぐに集まってくれた。

ミロカロス。
トゲキッス。
エレキブル。
ブーバーン。
ロズレイド。
ゲンガー。

みんな普段から私や兄の仕事を手伝ってくれているけど、元々は私が旅の途中で仲間にした、どっちかというとバトルが得意な子達だ。
ちなみに兄の手持ちはハピナスやラッキー。
あの人、頭は良いけど、運動神経とかバトルのセンスとか、その辺の諸々が色々と皆無で……まあ、だから妹の私が補わないと。

「はいみんな。さっきガーディの声を聞いたと思うけど、侵入者が入りました。よってこれから侵入者を探し、捕縛、もしくは撃退を……、ん?」

何かみんなの様子が変だ。
変にざわざわしているというか、私に何か言いたげというか。

「どうしたの?」

何かあるなら早く言え。
ジェスチャーが上手くて、いつも私とポケモンの間で通訳してくれるゲンガーに目線を向けると、ゲンガーがすっと腕を伸ばして私の後ろを指差した。
振り向く。
ミニリュウがいる。
それだけ、――じゃない。
ミニリュウの奥の茂みから、ガサガサと葉が擦れ合うような音がする。
ポケモンか人か。
私が判断の見極めに迷っていると、茂みから相手がひょっこりと顔を出した。

人間。
女の子だった。
歳はまだ十かそこらの。

患者のポケモンを連れに来たトレーナーか。
はたまた件の侵入者か。
また私が迷っている間に、女の子が歓声を上げてミニリュウに抱き着いた。
探したんだよ、とか、御免ね、とか言っている。
ふむ。

「そのミニリュウは貴女のポケモン?」

私が声をかけると、女の子がびくっと震えた。
ミニリュウを抱き締めると、何か震えながらこっちをきっと睨んでくる。
おいおい。
私は何もしていないのに、何だい、その態度は。

「――ミニリュウは見つかったのかい?」

茂みがまたガサガサと鳴って、そこから今度は背の高い大人が出てくる。
着ているマントや服についた葉を手で払い、乱れた髪を手で撫でつけて軽く直す。
体格も顔立ちも、男の子というより男性という感じだった。
私より年上。兄と同年代かもしれない。
その男性に、ワタルお兄ちゃんと叫びながら女の子が抱き着く。
男性も優しい表情でそれを抱き留める。

えーと。
こいつらが件の侵入者?
それとも兄妹での御客様?

二人に気づかれないように後ろのポケモン達に合図を送ると、ロズレイドとゲンガーが身構えた。この二匹は捕縛系の技を使える。
ミロカロスとブーバーンは他のポケモン達に伝えるために去り、エレキブルは臨戦態勢、トゲキッスもいつでも飛行できるように翼にぐっと力を溜める。

ここは私と兄と、ポケモン達の診療所だ。
もし件の侵入者なら容赦はしない。

「失礼」

喋ると、自分でも何だこれと思うくらい気取った声が出た。
ゲンガーがくっくと笑い、ロズレイドがそれを嗜める。
すまん、こんな主人で。

「貴方達は、この診療所に来た御方ですか?」

女の子がきょとんとする。って事は侵入者か。
いや、こんなに小さいなら紛れ込んだだけかも……でも傍に大人がいるしな……。
私が考え込んでいると、男性の方が話しかけてきた。

「すまない。俺達は、ここに無断で立ち入った者だ。この子のミニリュウがここの庭に入ってしまったので、探しに来たんだ」
「本当ですか?」

なら敷地内の人間に一声かけるべきだろう。
疑わしいなーって疑惑の眼差しを敢えて作って投げかけると、女の子が気丈な態度で言ってきた。

「ほ、本当だよ! 嘘じゃない!」
「診療所のドクターに声をかけて許可を貰おうとしたのだが、他のポケモン達も含めてみんな忙しそうで……。すぐに立ち去るつもりだったんだが、思いの外、時間がかかってしまった」

ふーむ。
うーん。
本当の事のように聞こえるし、良くできた嘘にも思える。
どうしたもんかねえ。
トレーナーズカードでも見せてもらうか。

「ね、ねえ。お姉ちゃん、ワタルお兄ちゃんの事を知らないの?」
「は?」

女の子が声をかけてきた。
ぷるぷる震えながら涙目で声をかけてくる。
泣くのか怯えるのか、強気なのか弱気なのかはっきりしてくれ。

私は他人にあまり優しくない。
私自身に、他人に優しくできるほどの余裕が無いから。
そして……私は、私と兄とポケモン達の世界で、満足しているから。

「ワタル、さん?」
「ああ。俺はワタル。……宜しくな」
「どうも」

ワタル。ワタル。なーんかどこかで聞いた事があるような……。
いや。
この感触。
多分、一度は覚えたけどその後に無関心で忘れたって感じだ。 

「……ああ。リーグチャンピオンの?」

やっと思い出した。
リーグチャンピオン、ドラゴン使いのワタル。
件の町出身の。

女の子がことりと小首を傾げる。

「お姉ちゃん、どうしてワタルお兄ちゃんだって分からなかったの?」
「いやだって写真と実物は違うよ。写真を見ているからって、いざ実物を見てもそうと分かるもんじゃないよ」

実際に服装や髪形は以前に見た時とほとんど同じだけど、顔色とか血色とか、まあ微々たる所で色々と違う。
兄なら分かったかもしれないけどね。

それにしてもこの子、やけにワタルさんを信頼しているな。
もしかすると、件の町出身かもしれない。
ワタルお兄ちゃんって呼んでいたし。

「……リーグチャンピオンですか。なら、信じない理由はありませんね」

呟いて、私は後ろ手に合図を送った。
みんなが構えを解く。
御免よ、こんな茶番に付き合わせて。
あとでガーディも自分の不手際だって落ち込んでいるだろうからケアしてあげないといけないし……。

「有り難う。信じてくれて」
「いえ……」

随分と素直な物言いだ。
大人とは思えない……いや、大人だからだろうか。
まあ、とにかく。

さっさと帰って欲しい。

「今度は逃がしちゃ駄目だよ」
「違うもん! ミニリュウが勝手に離れちゃっただけだもん!」
「……じゃあ、目を離しちゃ駄目だよ」
「うん! 勿論!」

くっそ。
このガキ、微妙に憎らしい。
零したくなる溜息を飲み込む。
今は駄目だ。
あとでポケモン達に甘えよう。
ミロカロスと池で戯れ、トゲキッスの羽毛に埋もれて眠り、ゲンガーと将棋を指すんだ……!
うん。明るい未来が見えてきた。

「……? どうしました?」

何故かチャンピオンが私の顔をじっと見てくる。
何? 御飯の食べ滓が付いているとか?
でもちゃんとロズレイドに言われて手鏡で確認したはずだけど……。
変な匂いがする?
それはしょうがない。ここに入院しているポケモンの世話もしているんだから、芳しくない匂いが付いているかもしれない。
けど、それはしょうがない。
というか、このチャンピオンに良くない印象を抱かれたとしても、別にいいし。
私だってあんまり良く思っていないし。
だからとっとと帰りやがれ。

「……いや、君の名前を聞いていないな、と思って」

やだ。
名乗りたくない。
関わり合いたくない。

「すみません。そろそろ仕事に戻らなければならないので」

だから帰れと遠回しに言う。
だが。

「ねえねえ! あたし、ここにいるポケモン達を見てみたい!」

クソガキがキラキラした目で言ってきた。
何を馬鹿な事を言ってんだこの馬鹿ガキ。
ここは、そうやって気楽に立ち寄って自由に遊んでいい場所じゃない。
ここは疲れて怪我をしたポケモンが休む場所。
中には人間にトラウマを抱くポケモンもいる。
ここは診療所だって言っただろうに。

「すみません」
  
伝われ。大人なら分かれ。
チャンピオンに目線を送ると、やっぱり大人だからか分かってくれた。

「もう帰ろう。時間も遅いし、俺達はここのポケモン達の住処に勝手に入って、荒らしてしまったんだ。だからもうここには来てはいけない」

おお。大人。
ちょっと見直したよチャンピオン。

「えー? でも……」
「ここは、ここにいるポケモン達が休む場所なんだ。同じポケモンだからといって、君のミニリュウも本来なら立ち寄ってはいけない場所だし、俺達もまた入ってはいけない。今は、ここにいるポケモン達が許してくれているだけだ」

そうそう。
だから帰れ。今すぐ帰れ。

「……分かった」
「よし。いい子だね」

チャンピオンが子供の頭を撫でる。
まさに頼れるお兄さんって感じ。
向こうから勝手に慕われても、ちゃんと応えるんだな。

「では、すまない。俺達はそろそろ失礼するよ」
「出口まで案内します」

指笛でガーディを呼んでもいいけど、それでまた子供の好奇心が再燃しても困る。
なるべくポケモン達の敷地に立ち寄らないよう、最短距離までのルートを先導した。
侵入者を探していたポケモン達が、私の姿を見て道を開ける。
脇道に入って抜ければ、診療所の玄関の真横だ。

「本当に悪かったね」
「いえ」

会釈だけ返して、診療所に戻ろうと振り向く。
すると。

「すまない、少し待ってくれ」
「はい?」
「まだ聞いていなかったよね。君の名前」

何故に蒸し返す。
もう喋るのも面倒臭い。

「……仕事があるので……失礼します」

私は顔を半分だけ後ろに向けて再度の会釈をすると、振り返らずに敷地の中に戻って行った。


 

 
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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