狩屋は、俺の顔が好きらしい。

 俺と話す時は顔を紅潮させて俺の顔をじっと見てくるし、俺が微笑むと本当に嬉しそうにはにかんでくれる。

 恋をすると視界にフィルターが貼られるとでも言うべきか、俺の眼にはそんな狩屋が奇跡的に人間界に産み落とされた可愛らしい天使のように見えてしまって仕方がない。

 恋のきっかけは、多分あの時。

 いつだったか、狩屋が一度だけ俺の顔を褒めてくれた。

 霧野先輩は綺麗です。

 一度は俯きながらも、ゆっくりと顔を上げ、顔を真っ赤にしつつ、狩屋はとろけるような笑顔を見せてくれた。

 あの時、発作でも起きたんじゃないかと思うくらいに心臓が弾んで、狩屋が俺の傍にいて話をしてくれるという事が凄く嬉しくて、いっそ抱き締めて俺のものだと叫びたくなるほどの衝動に駆られてしまった。
 
 多分、あれがきっかけ。

 今まで同じような褒め言葉は不特定多数の他人から飽きるくらい貰ったのに、何故か狩屋の時だけは純粋に嬉しいと思えた。

 狩屋は俺の事が好き。

 たったそれだけの事が堪らなく嬉しい。

 俺も狩屋が好きだから。

「それで神童の奴がな……」

 あれ、隣を歩く狩屋の顔が曇った。何でだ。神童の話題は駄目か。うーん。

「……なあ狩屋、マネージャーの仕事はどうだ?」

「大分慣れました」

「そっか」

 狩屋は転入生だ。どの部活に入ろうか迷っていたところを天馬が声をかけて、狩屋はそれを快諾したらしい。

 狩屋は女子だが、天馬は本気で選手としてスカウトしたらしい。だが、狩屋本人はマネージャー業を選んだ。

 確かに運動には自信あるけど、やっぱり女子の身じゃついていくのに限度があるから。

 との事だった。

 そうして数ヶ月。

「勉強とかはどうだ?」

「困っている事は……特に」

「偉いな。ちゃんと予習とかしているのか」

「あ……はい。今、住んでいる所の保護者の方が、文武両道、勉強もちゃんとやるように、と」

 あ、また顔が曇った。

 狩屋は施設で暮らしている。

 ちょっと前に噂で聞いた事だ。中学生の女子ってのは噂話が大好きで、しかも無神経な部分も結構あるから、そういう噂はあっという間に広まってしまう。

 俺がこの噂を聞いたのは女子に声をかけられたからだ。

「ねえ知ってる霧野君? 一年の狩屋さん、施設で暮らしているんだって」

 だから俺にどうしろと言いたいのか。噂の確認を取りたかったのか、それとも施設暮らしの子には近寄らない方がいいよと言いたかったのか。まあどうでもいい。

 狩屋は、多分、施設で暮らしている事を、女子が思っているほど恥にも負担にも思っていない。尋ねられたらさらりと返すだろう。はい、施設で暮らしていますよ、それがどうかしました? と。

 だが、それを無神経に、無責任に噂として流され、可哀想な子のように扱われるのは、ちょっときついかもしれない。

 いずれにしろ、俺にできる事は、限りなく少ない。
 
「そっか。分からない所とかあったら言えよ。教えてやれるかも」

「有り難う御座います」

 まあ、とはいっても狩屋が頼んでくる事なんて無いだろうな。

 一年生達が言うには、狩屋は本当に頭が良いらしい。授業中に指名されてもさらりと応用問題も解いてしまうとか。

 俺の一年のアドバンテージも、あんま役に立ちそうにないな。

「……霧野先輩、あの」

「ん?」

 狩屋が交差点で立ち止まった。後輩らしくぺこりと頭を下げてきて、

「ここで、分かれ道ですので」

「あー、そっか」

 短いなあ、もっと狩屋と一緒にいたいのに。

「そうだ、何なら今日泊まらないか? 夕飯は先にどっかのファミレスとかで食べちゃってもいいし」

「えっ?」

 狩屋がきょとんとした顔をした。つぶらな瞳が零れ落ちそう。ああ可愛い抱き締めたい。

 本当に抱き締めちゃおうかと腕を伸ばした俺は、パチクリと瞬きをする狩屋を見てハッと我に返った。

 ――あれ? さっきの俺、何て言った!?

 家に、泊まらないか? だって。

 ――無理に決まってんだろ、狩屋は女の子で俺は男!

 ほら狩屋が困ってる! 一応は俺の方が先輩だからどうやって上手く断ろうか迷ってる!

 戸惑っている顔も可愛いけど!

「い、いや悪い、ついノリで……」

「! そ、そうですか。すみません、私も真に受けてしまって」

 真に受けてもいいよ! 俺はオーケーだぞ!?

 けど狩屋の所に連絡する時、男の俺の家に泊まるなんて知られたら猛反対を喰らうだろうな。

 いつか狩屋が俺の所に泊まったりする時は、その辺を考えないと。

 ――ん……?

 ふと、心に何かが引っかかった。

 俺の家。家には家族。家族には子供。子供には親。

 ミスった。

 また無神経な事を言ってしまった。

 くそ。

 何でもうちょい上手く振る舞えないんだろう。他のどうでもいい女子が相手ならポンポン言葉が出るのに、狩屋が相手だとミスを連発してしまう。

 狩屋に限って、何でなんだ。一番大切にしたい相手なのに。

 ともかく、ミスは何かで挽回するしかない。

「……なあ、いつでもいいから遊びに行かないか? 二人きりでどこかへさ」

 サッカー部の集まりじゃなく、個人的な付き合いとして。

 それをほのめかした発言だが、狩屋は何とも無防備に眉尻を上げて小首を傾げた。

「私とですか? 物好きですね」

 可愛い! 生意気だけど!

 いや、生意気な表情が凄い可愛い。

「先輩が誘ってやっているんだ。素直に受け入れろ」

「……すみません。先輩とは、ちょっと」

「は? 何でだよ」

「先輩に釣られて変なオジサンや男が寄ってきそうで怖いです」

 真顔で言われた。

「馬鹿にしてんのか? それくらい守ってやるよ」

「いえ、そうじゃなくて。霧野先輩が危ない目に遭いそうです。一緒にいるのが女の私じゃ、余計に」

「俺は男だっての。それくらいあしらえる」

「……すみません」

 あー! デートお誘いイベント失敗した! しかも狩屋が凄い申し訳なさそうな顔した!

 ああもう、俺が女顔なのが悪いのか?

 もうちょい、こう、剣城みたいな男っぽい顔だったら良かったのか?

「……先輩、そろそろ帰ります」

「ん? ああ。またな」

 最後に狩屋の大好きな笑顔を向けると、狩屋は嬉しそうに笑ってくれた。

 バイバーイ、と手を振り合って、分かれ、それぞれの帰路へと着く。

 貼りつかせた仮面のような笑顔は、狩屋の姿が角を曲がって見えなくなった途端、するりと取れて消えた。

 俺は掌で頬を揉み込む。

 本当は作り笑いなんてする性分じゃない。

 けど、狩屋が俺の笑顔を好いてくれているんだ。だから笑わないと。

 本当は、子供のように駄々を捏ねて、家に泊まる事を承諾させたかった。

 途中で少し早い夕飯としてファミレスに寄って、デザートやドリンクバーを交えながら飽きない話をして、今日はたまたま仕事の都合で親がいない家に連れ込む。

 本当は、一緒に出かけるのも、受け入れて欲しかった。

 近場の動物園か水族館に出かけて、二人で、二人きりで、休日の特別な時間を過ごす。

 考えただけでにやけそうだ。実は狩屋といる時はいつもにやけそうになる。

 けど、この笑みは狩屋が好きな笑顔じゃない。

 だから取り繕った。狩屋が好きな笑顔を。

「どーしたもんかなー……」

 だが、狩屋はどうも顔以外は俺の事があんまり好きじゃないらしい。

 どうしたものか。

 いつか、俺の虚飾は、不必要になる時は来るのだろうか。
 
 


 
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