今日の朝はいつもと同じだった。
母ちゃんに叱られてようやく目を覚まして、眠気を引き摺ったまま朝飯を食って、食い終わった後は親父と修業。
親父が任務に行った後、俺も準備をして、いつもの修行場に向かおうとしたら、見た事はある中忍数人が俺の家にやってきた。
下忍の数が足りないから任務に加わって欲しい、って。
もうアスマからの了承も取っているらしい。アスマはアスマで緊急の任務が入って、もう出ているんだと。
念には念を入れて中忍の母ちゃんがすぐに調べてみたら、ちゃんと裏付けは取れたらしい。
それでどこか油断していた俺は、ちゃんとやりなさいよ行ってらっしゃーいと母ちゃんに見送られながら、のんびりと家を出た。
今日の朝もいつもと似たような感じ。
朝はちょっと早めに起きて、髪やお肌のコンディションをチェックしつつエプロンを着る。
台所に行くと、いつもとても早く起きているママが、お早ういのと優しく言ってくれる。
私もそれにお早うと返して、ママの朝食作りを手伝う。
まあ一種の花嫁修業ってやつ。料理はできるに越した事は無いしね。
それにママはいつも忙しいパパに合わせながら家中の家事を引き受けて、更に花屋も手伝っている。
手伝える事はなるべく手伝いたかった。
今日の朝食は和食。
何か聞いた話によると、昔はずっとパン中心だったんだけど、シカマルが生まれてからは預かる事もあるからシカマル好みの味のレパートリーも増えたらしい。
何それって思ったけど、考えてみれば私もシカマルの家に預けられた時はパン中心の御飯を出してもらえたような気がする。
持ちつ持たれつってやつなのね。
って言ったら、また一つ言葉を覚えたのね偉いわって頭を撫でてもらえた。
嬉しいから素直に笑って、ママと一緒に出来上がった朝食を食べた。うん、味噌汁の香りもいい。
パパは昨日、夜遅くに戻ってきたから、あとでママが温め直して出すって。
歯も磨いて身支度も整えたし、よっしそろそろ行こうかなあって時にインターホンの音がした。
ママが早足で玄関の方に向かっていく。
少し経つと、考え事をしている時の顔で戻ってきた。
中忍の人が何人か来たんだけど、今日の任務に来るはずの下忍が二人、急に来れなくなったから、代理を探しているらしい。
で、今日はアスマ先生も緊急の任務で不在。だから私に白羽の矢が立ったと。
ふーん。まあいいけど。
じゃあ手っ取り早く済ませてくるわ! と言って私は家を飛び出した。
アスマ先生は腕利きの上忍だから、こういう事態も特に珍しくない。
その時の私は、特に何も考えていなかった。
今日の朝もごくごくフツー。
目覚まし時計に起こされて、朝御飯をたらふく食べて、デザートにポテチを食べて、お菓子がどっさり入っている箱を引っ張り出して、今日持っていくおやつは何にしようかなあって呑気に考えてた。
賞味期限が近い物を選んで、ちゃんと匂いを嗅いで腐っていないなって確認してから、更に厳選したのを選んだ。
餡子の載ったお団子と、サワークリーム味の袋のポテチと、たこ焼き味の、バジルソース風味の……と取っている間に袋が一杯になったから、今日の分はこれで決定。
この作業は楽しいけど、気が付いてみると結構な時間が経ってしまう。
僕は何でも食べられるし、シカマルも特に何も言わずに食べるけど、いのが「口臭がヤバくなるのは嫌!」とか注文を付けるから、手間がかかるんだ。
まあそんな事を言いつつ毎回食べるんだけどね。
いのの悪口というかマシンガントークはもう幼い頃から付き合ってきたから慣れている。だから三人でおやつを食べる時が一番楽しい。
あ、もちろんアスマ先生も。
そういえばアスマ先生はどんな味のお菓子が好きなのかなあって考えていると、壁時計がもう家を出る時間を過ぎていた。
ヤバいヤバい、と忍者靴を履いて家の玄関の扉を開けて、走り出そうとしたら、何かにぶつかった。
何だろこれ、壁? 昨日は何も無かったのに……って見上げたら、僕がぶつかったものは、壁じゃなかった。
父さんの背中だった。
父さんがゆっくりと振り返って、僕の目線と重なる。
父さんの背中越しに、シカマルのお父さんと、いののお父さんも見えた。
僕の家、じゃない、父さんに用なのかな。それじゃ邪魔をしたらいけない。
ぺこりと頭を下げて行こうとしたら、父さんに肩を掴まれた。
父さんの声が、チョウジ、って僕を呼ぶ。
あんまりゆっくりで、少し沈んだ声だから、何だか嫌な予感がした。
嫌な予感はしたんだ畜生!
最初はああこれ確かに下忍向きの任務だなってダラダラ作業してたのに、気が付いたら周りにいる中忍がバタバタ倒れていて、煙玉でも放たれたのか周囲が真っ白で何も見えやしねえ。
影真似をしようにも目標が無きゃ伸ばしようがねえし、ここで緊急用の発炎筒を出しても動いた瞬間にやられちまうかもしれねえし、本当にめんどくせェな! って舌打ちしそうになったら、煙の奥からいのの悲鳴が聞こえてきた。
その瞬間に頭の中で組み立てていた計算も戦略も何もかもぶっ飛んで、顔からざあっと血の気が引いて、何にもできなくなっちまって。
暴れて取っ組み合いになるような物音が聞こえる、だけど、いのの悲鳴はやまない。
まるで力無い子供みたいに情けなくいのの名前を呼ぶ。
すると、背中に何かの気配が立った。
まずい。馬鹿じゃねえの俺。ここで叫んだら自分の位置をピンポイントで教えるようなもんじゃねえか。
やべえ、この距離じゃどうしようもねえし、影真似も間に合わない――!
もう何もかもが一瞬。
シカマルと一緒に作業をやってたら突然に周りが真っ白になっていて、あれ霧かなって思ったら、足元に私とシカマルを呼びに来た中忍が倒れていた。
そして、霧っぽい煙の中から腕が伸びてきて、髪を掴まれ服の裾を掴まれ、背中からのしかかられて、その圧力と重量に耐え切れずに地面の上に倒れ込んでしまう。
両腕も両脚も胴体も上から圧迫されるように抑え込まれて身動きが取れない。
触れた感触から男の手だって分かって、アスマ先生もいないし中忍の人も動かないし、更には私は女だから、嫌な想像が働いて悲鳴を上げた。
下忍の私じゃどうしようもない。相手の狙いが分からないけど、助けてくれる人がいないのも事実だ。
どうしよう誰か助けてって、実際に喉から出たのは単なる音だったんだけど、とにかく叫んだら、遠くからシカマルの声が聞こえてきた。
でも私の頭は錯乱していて、何を言っているのか分からない。
けど、本能の直感とでも言うんだろうか、つんと冷たい何かが背筋を走り抜けた。
今の叫びでシカマルの位置がバレた。だからまずい。シカマルが狙われる。殺される。浚われる。連れて行かれる。
シカマル逃げて、誰かシカマルを助けてって叫んだ。
そしたら――。
後ろに立ちはだかった敵っぽい気配がクナイを振り上げる。
手傷を負わせるつもりか、あるいは本当に殺す気か。
殺気を感じ取れるほどの余裕は無い。つか殺気に思考を回す気力がねえ。
半ば死を諦めた時、不意に背後の気配が呻き、糸が切れた人形のようにバランスを崩して倒れた。
足元を見下ろすと、全然知らない男が倒れていた。
呼吸をしない人形みてえに、ぴくりとも動かない。
後ろを振り向くと、何でか、そこに親父がいた。
何でこんな所にいるんだよ。確か任務に出かけたはずだろ?
思わず唖然とすると、吹き荒れる風で煙が千切れるように吹き飛んで、視界が晴れた。
ほんの数メートル離れた所に、泣くいのと、いのを抱き締めて優しい顔で何かを語っているいのの親父さんがいた。
いのの親父さんが背中を撫でて、いのを宥める。
少し経つと、いのは落ち着いたのか、そっと親父さんから離れた。
親父さんに向かってコクリと頷いて、親父さんが解いた腕の中から出て、自分の足で地面を踏み締めて、しっかりと立つ。
俺もいくらか呆然、唖然とはしたが、怪我はしてねえから普通に動ける。
親父に目線を向けると、親父はそれだけで俺の意志を読み取り、いつもの声で帰るぞと言った。
昨日、父さん達は木ノ葉の上層部から、ある犯罪組織を捕縛、もしくは始末しろっていう命令を受けたらしい。
今日はその任務の一日目。とはいってもいきなり里の外に出て任務に赴くんじゃなく、まず里の中で情報を集める段階だったそうだ。
アスマ先生は別の任務。その犯罪組織と繋がっていると思しき小国への偵察に向かったそうだ。
そうして里の中で情報を纏めていた父さん達の元に、アスマ先生から緊急の連絡が入ってきた。
ある材料を集めるために今まさに犯罪組織が向かっている場所に、代理で任務に入ったシカマルやいのがいる。
中忍二人がついてはいるけど、その二人とはすぐには連絡できなくて、しかも犯罪組織の面子は上忍レベルの実力者ばかり。
中忍二人じゃ対応しきれない可能性もある。
里は慢性的な人手不足だからすぐには応援を出せないし、アスマ先生のいる地点からはどれだけ走っても間に合いそうにない。
だから父さん達が向かった。
僕は待ってろって言われた。
だから待った。
門の所に行って、通行の邪魔にはならないように隅っこに立って、そうしてずっと、そのまま待ち続けた。
お菓子は三人で食べる方が好きだから、家に置いてきた。
今日は二人とも休ませた方がいい。それにお菓子は明日でも食べられるから。
シカマルやいのは大丈夫かな、父さん達は怪我してないかなって考えると、頭の中がぐるぐるして、ちょっと泣きそうになる。
そしたら門番のイズモさんやコテツさんが声をかけてきてくれた。
僕が事情を話そうとすると、その前に僕の顔を見た二人がすぐに何かを読み取って、何も言わずに詰所の日陰の所で椅子を勧めてくれた。
門番だから僕と似たような事情を抱える人はいるんだろう。僕と同じように椅子に座ってそわそわしながら待つくノ一の人や、何か真剣な表情で話し込む上忍っぽい忍もいた。
僕もやっぱりそわそわしていると、見かねたのかイズモさんやコテツさんが話しかけてきてくれた。
僕が下忍だって分かるのか、周りの大人達も優しく声をかけてきてくれた。
そうして喋っている内に時間は過ぎて、昼になると日が高く昇った。
たまたま近くを通りかかって僕を見つけたナルトが一楽に行こうって誘ってくれたけど、また今度って言った。
シカマルといのも誘っておくから、四人で予定が合ったら食べようって。
そしたらナルトは太陽みたいな笑顔で「確かにそっちのがいいよな! 分かったってばよ!」って、何かもう元気一杯って感じに走り去って行った。
御昼御飯は母さんが御弁当を持ってきてくれた。
母さんがイズモさんやコテツさんにも「皆さんでどうぞ」って重箱の御弁当を置いて行ってくれた。
僕はあっという間に平らげたけど、イズモさんやコテツさんは消化しきれなかったらしい。
けど周りの人がおいしそうって摘んでいくから、結局は重箱が二つとも空になった。
器を洗ってくるわ、ってコテツさんが席を立つ。
イズモさんがやっぱり僕の話に付き合ってくれるから、せっかくだから忍術とか、任務での経験談も聞いた。やっぱり年長者で熟練の人は凄い。
イズモさんは僕の細かい質問にもいちいち答えてくれた。というよりやっぱりお互い忍だから、任務の話は盛り上がる。ネタに尽きない。
戻ってきたコテツさんも加わって、そのまま話し込んでいると、いつの間にか日が落ちていた。
空が真っ赤に燃えて、烏が鳴いている。
周りの、僕と同じように待っていた人達は、もう一人もいない。
昼と夕方の間くらいの時間に無事に帰還してきた人達を出迎え、喜びを噛み締めながら帰って行った。
僕の待ち人は、まだ来ない。
けど、幼馴染みの勘ってやつが働いた。
もうすぐ帰ってくる。
僕は門の傍らに立った。
泣きたいような愚痴りたいような、ぐちゃぐちゃな気持ちのまま帰路につく。
途中、何度か潤んだいのの目を見て抱き寄せたい感情に駆られたが、いのの親父さんの前でそんな事ができるはずもない。
結局、自分の身を守る事もままならなかった自分に呆れ果てるしかなかった。
小さく溜息を零す。と、急にいのがパッと顔を上げた。
一言、叫んで駆け出す。
唖然とした俺はのろのろといのの視線の先を追い――夕日で伸びる影の先にいる奴を見て、思わず同じように駆け出した。
父親の傍を離れて全速力で駆け寄り、抱き着いてきたというよりタックルをしてきた幼馴染みの二人を、ぽっちゃり系で少し大柄の心優しい少年はがっちりと抱き留めた。
緊張の糸が切れてわんわんと泣き出す少女の背中を優しく撫で、何も言わずに肩口にぐりぐりと額を押し付けてくる少年の肩をポンポンと叩く。
少年は二人が落ち着いて家に帰ろうと言い出すまで、何も言わずにただただ二人を抱き締め続けた。
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