集中治療室に籠もっていたネジが一般病棟に移されたと聞き、シカマルは彼の見舞いに訪れた。

 彼の治療を担当したシズネから聞いた病室は一般病棟の個室であり、下忍にしては待遇が良いと思ったら、まだ大部屋に移すには具合が安定していないからだそうだ。

 しかし峠を越えたのは事実だし、またいつまでも集中治療室に入れておくわけにはいかないからと、今回の移動が決まったらしい。

 それは本人も志願しての事情だそうだ。

 辿り着いた病室のドアをノックすると、淡泊な声で「どうぞ」と聞こえてきた。

 ドアを開ける。と、まず視界に飛び込んできたのは、白と黒の二色だった。

 痛いほど白に統一された病室のベッドの上に、同じく白の患者用の服を着た色白の少年がいて、その少年の髪の色だけが墨のように真っ黒い。

 ネジはベッドの上で身を起こし、サイドテーブルに今まで読んでいたらしい本を置いた所だった。

「……お前か」

 目が合うと、わずかに意外そうに目が見開かれた。

 こちらは奪還作戦の小隊長を務めた身なのだから、負傷した後の経過を気にするのは当たり前の事なのに。

 あるいは、それくらいに人付き合いが無かったのか。

 もしかしたら、ここまで怪我して入院するのは初めてなのかもしれない。

「具合、どうだ?」

「問題ない」

「そっか」

 ネジがベッド脇の椅子を勧めたので、シカマルはそこに腰掛けた。

 視界に、患者用の服の上で幾本かに分かれて流れる髪の束が映る。

 相変わらず綺麗だが、何となく違和感があった。

「……何か、髪、短くなったな」

「治療の一環で切られたらしい。いきなり短くなったのでびっくりしました? とシズネ様に言われた」

「あー、成程な」

 医療忍術は専門外だが、確かに本人の髪を使った物なら効果も覿面なのだろう。

 同じ黒髪でも、自分とは違って随分と細い髪質だ。

 髪だけ見たら女と間違えるかもしれない。

「いの辺りが見たら騒ぎそうだな。……あー、知ってるか? うちの十班の女子なんだが」

「……金色の髪の」

「そうそう」

「チョウジに果物の詰め合わせを見舞品として渡していた」

「間違いなくそいつだ。もし会って騒がしくされても勘弁しといてくれ。根はいい奴なんだ」

「ああ」

 ネジは真面目に頷く。

 中忍試験の際は冷静すぎるくらいに冷酷な性格なのかもしれないと思っていたが、根は単に真面目なだけなのかもしれない。

 まあ、人の根底など一生かかっても分からないものだが。

「……完治、大分かかりそうだな」

 患者用の服の内側から覗く肌には白い包帯が巻かれており、彼の肌が包帯より色白であるためか、より痛々しそうな光景に見えた。

 普段から彼の腕と足には包帯が巻かれているのに。

「だが完治はする。……充分だ」

 ネジの声は淡泊で静かだった。

 普段からキバやナルトやいのといった賑やかな面子が周りにいるせいか、その静かさはシカマルの耳に柔らかく響いた。

「そっか。……ああそうだ、今、暇ならちょいと付き合って欲しいんだが、テーブル使ってもいいか?」

「? 構わないぞ」

 柔らかいネジの笑みが、何故か甘味より甘い物に見えた。

 視力検査した方がいいかなと思いつつシカマルはオーバーベッドテーブルを設置し、そこに持ってきた物を並べた。  
「これは……」

「将棋ってんだ。で、これがあんたの側の駒」

 いつも縁側に持っていく壇が高いタイプの物ではなく、二つ折りにして持ち運びできるタイプの盤を展開し、その上にやはり持ち運び用で通常の物より半分以上薄い駒を並べる。

「ルールはな――」

 簡潔に、しかし駒の役割は一つも零さずに語ると、ややあってからネジは頷いた。

「分かった」

 流石は昨年のナンバーワンルーキー。頭の回転も速い。

「じゃ、やるか」

 と、先手と後手を決め、始めた。

 ――さて、この人はどう出るんだろうな……。

 実はシカマルは、一種の分析も兼ねて、これまで幾人かの同期生達に将棋の対局を誘っていた。

 サクラとキバには断られたが、他の面々は割と好意的に受けてくれた。

 結果。

 ――まあ将棋って続けるだけでも一種の癖がいるしな……。

 シカマルの全勝ではあったのだが、中でもシノとの対局が割と長かった。

 ヒナタはじっくりと考えて駒を着実に守り、いのは攻撃を重視し、チョウジは逆に防御を重視。

 ナルトだが、ルールブックを見ながらのプレイだったにもかかわらず、流石は意外性ナンバーワンと言うべきか、思いもしなかった手を指されて少し焦った。ただ頭が疲れたのか「もーやんねー!」と喚いていたが。

 さて、この一期上の先輩はどうなのか。

 まず来たのは読み通りの手。教科書のような模範だ。今回が初めてなのだからそれが一番なのかもしれないが。

 ちらりと様子を伺うと、その顔は無表情で相変わらず感情が読み取れない。

 不意にすっと腕が持ち上がり、零れた髪を指先で掬い、耳に引っかけた。

 髪に指先を通して梳く動作が何だか艶めかしい女性に見える。

 おかしい。

 相手は男のはず、なのだが。

 女性よりしなやかで優美な指先が駒を進める。

 シカマルも次の手を指した。

 間を置かずにネジも駒を踏み込ませる。

 ――大分早いな。

 従妹のヒナタやチームメイトのリーは指し手をじっくりと考えていたが、二人とは逆にネジの打つペースは速い。

 傾向としては、守りも攻めも疎かにしない。着実に守って着実に攻める。

 集中力も途切れない。もう三十分以上も経っているが、目線にブレが見られない。

 ビギナーズラックというやつか。それとも元の頭が良いためか。

 多分、今まで対局してきた同期生や知り合いの中では一番強い。

 だが。

「王手」

「ん……」 

 傾向が分かるからこそ、思考回路も読める。

 シノの時以上の時間はかかったものの、勝ちはした。

「どうだった?」

 感想を尋ねる。

 するとネジはコトリと小首を傾げた。その拍子に肩口から髪が零れ、さらさらと音が鳴って胸元へと落ちる。

「……どうだろうな」

 ネジの答えは曖昧なものだった。

「盤上遊戯としては面白いが……シカマル、お前はこれを現実に当て嵌めて考えているのか?」

 まっすぐな眼差しだった。

 微塵も揺らいでいない、問う内容に対して全く遠慮しない態度。

 白眼よりも強い眼差しだった。

「全部じゃねーよ。一部分だけだ」

「そうだよな……そうだと思った」

 もしそうではなかったら幻滅でもされていたのだろうか。

「面白かった。しかし、続けてやるのは限界だな。集中力を著しく消耗する」

「安心しろって、俺でも一回が限界だ」

 つか、とシカマルは今更ながらに気が付いた。

「悪い、休まなきゃいけねえのに起こさせちまって」

「いや、大丈夫だ」

 ふ、と零れたネジの微笑みは、柔らかかった。

 中忍試験の時より随分と表情が変わった。

 あの意外性ナンバーワン忍者のおかげなのだろうか。

「じゃあな。次は何か持ってくるわ」

 手早く盤と駒を片付け畳み、オーバーベッドテーブルもどけ、ひらりと手を振ってドアを開ける。

 と――。

「……何やってんだお前ら」

 ドアを開けてすぐの所に、サクラとキバがいた。

 まるで室内の物音を探るようにドアに耳をぴったりと付け、更には身を潜むように縮こまらせている。

 ただしここは屋内ではなく病院内。

 当然、そんな奇妙な姿勢の二人は注目を集めていた。

「あ、あの、シカマル君」

「ん? ヒナタ」

 小さな花束を持ったヒナタがやってきた。奇妙な姿勢のままの二人を見た後、シカマルの元へやってきて、

「今、ネジ兄さんの病室に入っても大丈夫かな?」

「ん? あー、今なら大丈夫じゃね? 寝ているかもしれないけど……」

 ちゃんとノックをしてからドアを開けると、目が合ったネジが目をパチクリと瞬かせた。

「な、なあシカマル」

 キバが奇妙な姿勢のまま震える声で呟く。

 瞬時の判断でシカマルはヒナタをネジの病室に押し込みドアを閉めた。

 直前に背中を押されてヒナタがバランスを崩したのが見えたが、忍だから大丈夫だろう。

 グッドラック。

 慕う兄貴と仲良くなれるように祈ってるぜヒナタ。何せお前はまともだからな。

 さて、このまともじゃない奴らはどーしようか。

「お、お前さ、病室で何やってたわけ?」

「将棋だが」

 取り繕う意味が無いので正直に言う。だが隣のサクラが、

「嘘つくんじゃないわよ! あ、あんた病室で、一回が限界だとか起こさせたとか……!」

「お前の頭はどっかイカレてんのか?」

 割と真面目にシカマルは突っ込んだ。

 飛んだ誤解である。しかし富んだ発想力だ。その閃きは任務で活かして欲しい。

「あのな、会話を所々聞いただけで、あとは全部お前らの勝手な妄想だろうが。将棋やってただけだっつーの。何ならネジに訊くか?」

 とドアを開けると、何かヒナタの気の抜けた「ふふふっ」という笑みが零れるように聞こえてきた。

「嬉しいです」

 見るとヒナタがネジに頭を撫でられていた。

 幻想だろうか、犬の尻尾がついていてぶんぶん振り回しているようにも見られる。

 ネジがシカマルに気づいた。

「シカマル? どうした、忘れ物か?」

「お前こそ何やってんだ」

「? ヒナタ様が頭を撫でて欲しいと言うから」

「撫でて欲しいと言ったんです」

 まるで兄妹のようなノリである。

 そっか、とシカマルは朗らかに頷き、ドアを閉めて二人に向き直った。

「分かっただろ? 俺とネジは何もいかがわしい事はやっていない」

「あ、あんな会話を聞かされたら誤解するに決まってるじゃない!」

「聞いても誤解しねーよ!!」

 病院では静かにしなさいとちょうど通りかかったシズネに怒られ、三人は慌てて頭を下げた。

 その数年後。

 アスマから言われた「お前は桂馬だ」を思い出したシカマルは、じゃあネジは飛車辺りかなと、ふとそんな事を思った。

 この数年の間にも徐々に恋の芽は芽吹いていくのだが、本人がそれを自覚するのは、まだもうしばらくあとの事。
 



 



目次へ トップに

 
 
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -