クラウンの形をしたジョウロは、彼のお気に入りだった。 僕はこれしかないから、これを使っている。
「ネザー、来たよ」
植物はすくすく育ち、月光のような色の花が咲く。 その向こうに、見慣れた顔が見えた。 ロップイヤーだ。彼は、この星の出身ではない。もっと緑豊かな星から来たと、そう言っていた。
「何しに来たの?」 「もちろん、君を迎えに」
ロップイヤーがここに来るたび聞く台詞。 僕は、彼が愛したラズリから離れる気がないと言っているのに。 ジョウロから段々水がなくなっていく。 僕はロップイヤーを無視しながら、無心に植物に水をやる。
「ネザー。ほら、ジージーウーリーからマフィンを預かってきたんだ。あとで、一緒に食べよう」
無視を決め込む僕の鼻先に、メープルの香りが漂った。 ジージーウーリーのお手製マフィンの匂いだ。彼の作るお菓子はいつだっておいしい。 だから、僕は仕方なしにジョウロを置いた。
「…ミルクティーはある?」 「もちろん」
憮然として聞いた僕に害した風もなく、ロップイヤーは雪色のマグカップを2つ、バスケットから取り出した。 手際良くティーセットを用意していく。 ラズリにある木製のベンチセットにレースで編んだクロスをかけて、その上へカップを並べる。 僕はそれを横目に、蜜を集めだした。ラズリで取れた蜜は極上だ。ミルクティーに垂らせば、これほどおいしいものはないと思っている。 それから、果物を数個。取って、テーブルへ置く。 ロップイヤーがここに来るようになって、唯一よかったことといえばジージーウーリーのお菓子が食べられることだ。 ジージーウーリーはロップイヤーの従兄弟らしい。
「ねえ、ネザー。このままでは、ラズリも危ないよ。今日、空から周辺を見てきた。だいぶ砂に飲まれている。この建物だって、いつ崩落するか……」 「でも、僕はここを離れる気はないよ」
マフィンを一口かじる。 メープルの甘ったるい匂いが口内を駆けた。
「でも、このままじゃ君はいずれ……」 「死んでも、ラズリからは離れない。自分の死に場所は自分で決める」
このやりとりはもう何度目だろう。 ロップイヤーは絶対僕をラズリから引き離すつもりだし、僕は絶対ラズリから離れない。 ラズリこそが僕のいるべき場所だ。 他で僕が生きられるとも思えない。 真っ直ぐに僕の目を見据えていたロップイヤーが、やがて俯いた。 そうして、諦めてくれればいい。 僕はミルクティーに一滴蜜を落とす。
「ロップイヤー、君の気持ちは嬉しいけれど、僕はラズリから離れたくないんだ」
彼の愛したラズリから。
ロップイヤーの顔が勢いよく上がる。 哀しそうに顔を歪めて、何か言おうとしたけれど、それきり押し黙った。 ラズリに時間という概念がないから、ロップイヤーがいつまでそうしていたかはわからない。 けれど、微かに彼の呟きが聞こえた。
「それでも、君をここから連れ出したいんだよ、ネザー」
僕はマフィンを食べながら、聞こえないふりをした。
黄昏唄 -2- 揺るがない決意に沈黙するしかない
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