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「おい、のぞみ!こっちだ、こっち!」
桜の木の下で、熊のような大男が私を手招く。 彼は、来生秋嶺。私がバイトするCDショップの店長だ。 今日は、みどり町商店街のお花見の日。今日だけは商店街中がお休みになるのだ。 昼日中から商店街中の人間が桜の下でお酒を飲んだり、お弁当を食べたりしている。 近所のお店ごとに固まって座ることになっているから、稲峰さんとは離れ離れになってしまう。でも、そのうちスキを見てこっそり稲峰さんたちチームに混ざるつもりだ。
「やあ、のぞみちゃん。久しぶり」
「お久しぶりです、ヒスイさん」
店長の横は嫌だったから、少し離れたところに座れば、隣は芳谷ヒスイさん。 美鳥神社の神主さんで、男の人なのにとっても綺麗な人。 肌なんか白いしスベスベだし、目なんかぱっちり二重だし、髪なんかツヤツヤのサラサラだし。きっと、ヒスイさんが女の人だったら、稲峰さんなんてイチコロに違いない。
「どうかした?私の顔に何かついてる?」
「あ、いえ!ヒスイさん、綺麗だなって思って!」
ヒスイさんがきょとんした顔をしている。 そりゃそうだよね。じいっと見た挙句、男の人に対して綺麗だなんて。 ヒスイさん、気を悪くしたかなと思って彼の顔を見れば、すっごくうっとりするような笑顔と目が合う。美人が微笑むと花も恥らうっていうけど、本当だ。
「ありがとう。でも、のぞみちゃんも綺麗だよ。というか、今日は大人っぽいね」
「そ、そうですかね」
やった!がんばってお化粧したかいがあった。 お洋服だって、今日のために買い揃えたのだ。 桜色のカーディガンに、白いパフスリーブのカットソー。 ゴールドのクローバーモチーフのネックレスには、ハトと手紙が一緒に揺れている。 スカートだって普段ははかないような清楚な感じにした。加々美あや子があの時着ていたのと似たタイプのフレアスカートだ。 リボンがついたパンプスは、お母さんから借りた。ヒールなんて普段はかないから、さっき転びそうになっちゃったけど、これも稲峰さんに「かわいい」って言ってもらうため。
「なんだよ、ヒスイ。俺が綺麗だって言うといっつも殴るくせに、のぞみはいいのか?」
店長が私の肩に腕を回してくる。 せっかく離れて座ったのに、いつの間に近くに来たというのか。
「お前とのぞみちゃんを一緒にするな、バカ」
「おい、のぞみ聞いたか!?これは差別だ!そう思わんか、のぞみ!!」
店長、お酒くさい……。 きっと、私が来るまでに相当飲んだんだろうな。 ていうか、くっつかないでほしい。 そんな思いを知ってか知らずか、店長はさらに体を密着させてくる。
「アキ、のぞみちゃんが嫌がっているだろう。早く退け」
「嫌じゃないよな、のぞみ!お前、ヒゲジョリジョリ好きだろ?ほれほれ〜」
「きゃあああ!!やめてーっ!!」
店長の顔はヒゲに覆われている。おしゃれだとかいってるけど、私には不精しているようにしか見えない。 そのヒゲで顔をこすられるから、鳥肌が立った。 せっかくお化粧したのに、このままでは苦労が水の泡だ。 でも、どんなに押し戻してもビクともしない。
「こら、アキ!」
ヒスイさんもがんばって引き剥がそうとしてくれるものの、ビクともしない。 そりゃあそうだ。店長は2m近い身長のうえ、ガタイもいい。 多分この商店街の中で一番大きいと思う。 そのヒグマのような店長に立ち向かうのは、小さな女の子と長身だけど線の細いヒスイさんだ。叶うはずがない。 誰でもいいから助けてくれと、天に向かって祈ったその時だった。
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