「ねえ。稲峰さん」

「ん?」

「のんちゃんって呼ばないで」

稲峰さんは、一瞬きょとんとした顔をして、ふにゃんって笑った。
稲峰さんの笑顔は好きだけれど、こういうときの笑顔は嫌い。
だって、子ども扱いされてる気がするから。

「ごめん、ごめん」

「また、子ども扱いして」

稲峰さんが、私の頭をくしゃくしゃと撫でる。

撫でられるのは好き。
心地いいし、幸せな気分になれる。
でも、やっぱり子ども扱いは好きじゃない。


稲峰さんに子ども扱いをされているうちは、いつまでたっても私の好きと稲峰さんの好きがつりあわないじゃない。

私は、今のままの関係も好きだけど、本当は稲峰さんの恋人になりたい。

だって、お年頃だもの。
憧れるでしょ、そーゆーのって。

「のんちゃん」

稲峰さんの顔が近づいた。
でも、私の機嫌を取るようにのんちゃんって呼ぶから、私は稲嶺さんの声を無視する。

「のーんちゃーん」

絶対稲峰さんのほうなんか見てあげない。

ゆず茶を飲むふりをして、私はカップの影に顔を隠した。


「のぞみ」


聞こえた声に、時間が止まった。
さっきまであんなにいい香りだったゆずのにおいもしなくなった。
そろそろと、カップを下に置く。

稲峰さんは、ふにゃんって笑って「やっとこっち見た」なんて言うから、それが子ども扱いだってわかったんだけど、怒る気にはならなかった。

「か、帰る!!」

私は、勢いよく立ち上がると、かばんをつかんで花の間を猛烈ダッシュで駆け抜ける。
冷たい空気が途端に体を包んだのだけど、今の私はそんなのどーでもいいくらい顔が熱い。
ただ、名前を呼ばれただけなのに、ただそれだけなのに。
稲峰さん、恐るべし!
私は、ニヤける顔をマフラーで隠しながら、家までの道を駆け足で通り抜けた。












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