スノー・キッズ《1》


 旅行で訪れた土地は奥深い山にひそんでいた。
 都会を避けるように平地から離れ、少しでも空に近づこうとするかのように山の上へと住み処を作る。
 まるで人を嫌うように、まるで人と違うように。
 しかしそこにいる住民は極々普通の人間で、田舎らしい警戒心の無さでのんびりと余所者を迎えている。
 外から人が来るのは珍しいのか。表に出ていた住人はちょいちょいと来客に声をかけたりして、世間話を興じようとする。
 それこそもう、頼んでもいないのに村や土地の話をしてくれたりと。
 この山々で湧く温泉は身体によく効いて、病気知らず・疲れ知らずと言われるくらいに地元の人間には愛されている。
 けれどそれが秘湯といわれる程に知る者は少ない。それには原因がある。
 特別なのは温泉だけでなく気候もそうで、山奥にあるこの村はなぜか一年中雪が降っていて、夏でも雪が見れてしまう。冬なんて、建物も隠れてしまいかねない。四季を問わず、深い雪に閉ざされているのだ。
 その所為でただでさえ大変な生活に、交通の便でも頭を悩ませる。
 そういった不便が手伝い、若い者は働きに村を出てしまうようだ。来る者を拒み、去る者も引き止めれないから、過疎は進む一方。それ故、村に残るのは古くから由緒ある看板を掲げる家の人間ぐらいしかいない。
 あとは働く必要も勉強する必要もない年頃の者ぐらいだ。
 聞いた話を纏めてしまうと、こういう事である。話を聞いていて、なぜ雪がこんなにも山々に冠っているか合点がいった。
 雪が年中降る理屈は解らないが、雪が消えない土地など物珍しい。稀有な現象に話題性が富んでいると思えるが、人を寄せつけたがらない土地が余所者を拒むのだろう。愛想はあれど、異邦者を受け入れるような社交は無い。
 そんなはぐれた村にいるのは体力の限界を知らない珍客か、元よりそこで生まれ育ってきた者ぐらいだ。

 これらを踏まえて、今の状況を説明すると――。

 散歩に行くぞとジンを連れ出したラグナが、暇を持て余している村の小さな子供と全力で雪遊びをしていた。


  ◇


「まだ終りじゃねえぞ!」
 右に持っていた雪玉を投げたあとに左に持っていた雪玉を投げつける。
 とはいえ、小学校に上がる前の子供達が相手なので直接ぶつけたりせず、牽制するよう外して投げる。
 投げようとするラグナのポーズを見てキャーと高い悲鳴を上げながらちょろちょろと逃げ回る子供達。
 騒がしいとジンはぼんやりとそこにある光景を眺めていた。
 双子の片方ずつがいないという事で温泉や土産を後回しにし、片割れ達が帰ってくるまで適当に村を歩き回っていたら、丸太で作った小さな遊具がある公園とは呼び難い広場で遊んでいた子供達にからまれた。
 余所者だというのに子供達は好奇心と愛嬌を全開に一緒に遊ぼうと誘う。
 最初は断っていたが、しつこく食いつかれてしばらくの間だけだとラグナは面倒臭そうに応えたが、次第に調子が乗っていき、楽しそうに雪遊びに興じている。
 はみ出している傍観者のジンはというと、放っておかれた訳ではない。ラグナや子供達に誘われたが、濡れるのが嫌だからと率先して東屋に避難をしていた。
 子供と一緒に雪にまみれているラグナを眺めて、呆れとも感心とも取れる息をつく。
 ラグナは性格に難のあるケイスに加え、年下のジンとシンの兄妹にかかっているだけあって面倒見は良い方だ。真面目とは言い難いが、面倒事を嫌う悪ぶった粗野な態度の割に行動はしっかりとしている。
 そこがラグナの性根の良さを表していたが、同時にジンには嫉妬をする要因でもあった。
 ラグナが他者にかかるほど、ジンにかけられる時間が減ってしまう。他者が構われるほど、ジンは他者を嫌ってしまう。何とも身勝手で醜悪なサイクルだ。しかしジンはそれを自覚しているし、直そうとも思わない。
 気に入らないものは気に入らない。ただ、ラグナの前でだけは素直でいた。

「ひー。つめてっ」

 雪を直で触っていた為に冷えた手を赤いジャケットのポケットに突っ込み、ジンのいる東屋にやってくるラグナ。
 抜けると断ってきたのか、短時間でやたらに懐いた子供達はラグナを追いかけてこず足元の雪を固めたりして遊んでいる。
 白い息を吐きながら、ところどころに雪をくっつけ遊んでいたラグナにジンは何も言えないし、言おうとも思わない。代わりに、文句を一つ投げやる。
「僕を置いて随分楽しそうだったねー」
 ジンがかけていた木のベンチに座り、落とせていない雪を確認して服をはたいているラグナは、「は?」と間抜けな声をもらす。にやりと意地の悪そうな笑みを浮かべるジンに首を傾げ、目を眇める。
「あんだよ。寂しかったんなら恥ずかしがらず交ざりゃあよかったのによう」
 本気か冗談かそんな風に言われてしまい、この男はと呆れてしまう。
 寂しいのは当たり前だ。本当ならいつだって傍にいてほしい。しかし子供相手にラグナを奪い返そうとすれば騒ぎになるし、ラグナからだって叱られる。それを抑えて大人しくしていたら恥ずかしがっているとか、どれだけあの白い頭の中身はユーモラスに富んでいるのか。是非とも頭を砕いて覗き込みたいものだ。
「兄さんって本当、しあわせな頭を持ってるよね」
「潰すぞその哀れみの目」
 眉を八の字を下げて言う表情は憐憫に満ちて決してラグナを気遣うものではない。
 感情に斑を与えるジンに苛立ちを示すと、改めて目の前の景色を眺めた。
「すげえ雪だな。建物があるとこはしっかり雪かきされてるからわかんなかったけど、この辺りは流石に放置だな」
 眺めて、白。
 人の生活が関わる場所では雪害を避ける為に雪かきされているが、量が量だから全部とはいかない。山では枝が葉の代わりに雪をもっさりと実らせ、根を真っ白に隠している。遊んでいた広場でもラグナの丈で脛にまで届いていて、積もって溶けにくい所は優に50cmはあった。
 都市部ではこんなに積もる事はまず無いので、雪を見るラグナの緋翠が少しばかり輝いているように見える。
「まだ遊び足りなそうだね」
 くすりと囀ずるジンの笑い声。久方振りの積雪に弾んでいる気持ちを読み取られ、からかうような口調で前に上体を傾げてラグナの顔を覗き込んでこようとする。
 茶化してくる男に見せるよう、ラグナは口の端をへの字に曲げた。
「うっせーな。たく、昔はお前もさっきのガキ共みたいにかわいかったのに屁理屈や嫌味ばかり言うようになりやがって」
 生意気だと言って、仕返しのつもりか、ジンの頭に掌を乗せぐしゃぐしゃと金糸を掻き乱す。
 ずっと小さかった頃はすぐに泣きついたりして助けを求めてきていたのに、今では意味の解らない甘え方をしてきて四苦八苦させてくれるようになった。成長してより利口になったが、その利口さを間違った方向で発揮していないかと、自分よりも頭がいいだろう歳下を複雑に思う。
 折角整えていた髪を乱す雑な手つきだがジンは手を振り払おうとせず、ちらりと子供達を一瞥し、ラグナに視線を戻す。
「何言ってるの兄さん。子供こそ無理や理不尽を唱えて混乱を招く存在だよ。それよりも知恵がついたものが、如何に諍いなく己の利を通そうと駆け引きをするんだ。やましさが無い分、あれらは欲望に忠実だよ」
「…………そうだな。そういう意味ではやっぱりお前はガキだよ」
「えー」
 心外だなあとジンは膨れるが、貌は全く怒っていない。にこにこと笑ってラグナの腕に抱きついている。
 利口と評したように、ジン=キサラギは昔から聞き分けは良かった。名が知れている家とあって大人から求められるものが多い。勉強、運動、人柄と、どれもが優秀であれとずっと言われてきた。そして我慢が出来る子供でもあったから、他の人間ならぐれてしまいそうな圧迫があっても、ジンは要求一つ一つに応えていった。元より能力があったから、然程の努力は要らなかったのかもしれない。
 しかし、我慢が出来る反面、見た目のいかにも優等生という怜悧な顔の下には人が想像つかない程の温度差がある情動がしまわれている。
 人形のように静かで大人しく飾られているかと思えば、気が触れたように笑い怒り喋り出す。緩急の激しさにヒステリー持ちかと疑われそうだが、高揚している状態を他人が見る場面はそう無い。ラグナといる時だけ、やたらと気持ちが上がっているのだ。だから、いつもそうなのだと思っていたラグナが自分以外と接するジンを見て驚いたのは仕方が無い事だ。
 どちらが表のジンかなど、ラグナには解らない。ラグナが見てきたのは、悲しい事を悲しいと言って泣き、自分の喜びをラグナにも分けようとする甘えたである。そこは、今も変わらない。変わらないから、それがジンなんだと、ラグナは思っている。
 手に負えないのに放り出せないのはジンの所為か己の性格かも解らず、厄介だと溜め息をつく。こんなにくっつかれてもと、ラグナは左の腕を見る。頬がつくほどぴったりと寄りそい、心地好さげに目を閉じている。
 猫のような我儘を振り撒く男を面倒だと思っても鬱陶しいと振り払わないのは、『弟』のような近しいものとして扱っているからだろうか。ラグナはぼんやりと考えてみたが、いや違うと首を横に振りたくなった。自分の弟にこうもくっつかれたらきっと殴る。自信をもって言える。
 実の弟も手を焼いたが、種類が違う。ケイスは見捨てれば碌でもない人間になってしまいかねないひねくれものだったが、ジンは一人でいると背負ったものに圧し潰されてしまいそうな印象だった。真っ直ぐに真面目で、頼りになるしっかり者だがどこか弱さがつき纏う少年。自分より歳下だからとか、見た目が細いからとかではない。
 目が――。
 痛いのに泣きたいのをこらえているような、痩せ我慢している目に見えた。
 きっとそれだ。自分を騙すつらさも、我慢をする途方の無さも、見てきたから知っている。見てきて知っているから、何もせずにいるのが堪えれなかった。
 女々しかろうが、情けなかろうが。他人が求める理想から遠いものだろうが。
 ジンが望むままに泣いてもいい時間を作ってやろうと思えた。

「……………………」

 ラグナは改めて思う。ジンの感情の起伏が激しいのは、己の所為ではないかと。甘えれる場所が無いから甘えれる場所になれればと世話を焼いていたが、逆効果ではなかったかと。
 絵に描いたような優等生の唯一の汚点になったのでは正直肩身が狭い。同じ血が通う妹との遣り取りでも、ラグナといるだけで嫉妬深い面を見せながら喧嘩のようにつっかかっていく。記憶では、妹にきつい言葉を使わない優しい面倒見の良い兄であったのに、いつから妹を障害のような扱いをしていたのか……。
 今と昔を振り返る度、寒いというのに冷や汗が浮かぶ思いになる。
 ラグナが自身の良心に責められているなど知る訳もなく、ジンは寛ぐ。苦悩している自身の横でよくもと思うが八つ当たりでしかない。ラグナが思う結果とはどうあれ、ジンにとっては満たされた瞬間であるのだから。
「……なーんか、変な感じだよな」
 不意に呟いたラグナの言葉にジンは視線を寄越す。見れば、ラグナもジンを見下ろしている。
 何が、と訊ねると、お前が俺に懐いてんのが、と答えた。
「俺がお前と会ったのって、お前が小学の二年に上がる前だろ。それまでにだって会ってきた奴らがいんのに、何で俺なんだろうなって」
 きっと自分よりも上手に甘やかしてくれる人間はいたろうに、なぜ明らかに人よりも馬鹿で言葉の悪い自分なんだろうと、単純に不思議だった。
 ラグナは自分が素直にものを言えないのを自覚している。心配していてもそれを覚られるのは恥ずかしくて指摘されても違うと撥ねつけたり、慰めようにもついついぶっきらぼうとなって励ます効果なんてありはしない。喧嘩にはなっていないが、弟の時に自分は優しいとは正反対の位置にいると気付いた。
 どう足掻いても優しく出来ない人間だと解ったのに、どうしてジンはラグナに懐くのだろうか。本当なら柄の悪さに怖がったり、頭の違いに愚かと見下していてもおかしくないのに。
 ジンがどういう気持ちでいるのかラグナは気になってならない。


 




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