スノー・トリップ《2》

 駅でもそうであったが、田舎よりも閑散としたこの町は、否、町と呼ぶには建物も人影も少ない僻村は雪に覆われていた。建物の屋根を、道を、山々を厚く雪が積もっている。
 ぽつぽつと平屋の前や屋根の上を雪かきしている人が昼を過ぎてもちょくちょくいた。農業を糧にしている人達は社会の喧騒から離れた代わりに、朝から晩まで自然の気儘さに付き合わねばならない。
 そんな日常を遠目に眺めて、ラグナ達は観光客用の大通りを歩く。
 階段を登りきってすぐに目につく、村を貫くように伸びる石敷きの道。その脇に、通りがかりに買い物してもらえるよう店が顔を並べている。
「あれ美味そうじゃん」
「僕はそれの隣がいいな」
 表に出された品々を眺めながら、ラグナはジンとあれこれと指差しては料理や土産の話をする。
 けれど買い物を今はしない。友人や親戚に何を買おうか簡単に目星をつけて、嵩張る荷物を早く下ろしてしまいたい欲求に従って足を止めず宿泊予定の旅館へ向かう。
 溶けた雪に濡らされた道を歩いていくと疎らにいた村の人間がラグナ達に目をくれる。
 人が少ない土地なら見知らぬ人間が立ち入ればすぐに解るのだが、視線の意味は訪問者への不審でも怪訝でもなく、好奇心だった。
 寄せられる視線は嬉しいものではないが、ラグナとジンは仕方無いと思っている。嫌でも視線が集まるのも無理はない。後ろでは、ケイスがシンを抱えたままなのだから。
「降ろしてよ兄様の馬鹿ぁ!!」
 腰を押さえる手を叩きながら顔を真っ赤にしたシンが怒鳴っている。その声で余計に自分達が目立っているが、本人もやけくそになっているのかもしれない。
「暴れんなよー。足場濡れてんだからブーツ汚れるぞ」
 抱える腕や無防備な背中を叩かれたりしてもケイスは知らぬ顔でシンを運ぶ。それどころか、店の入り口で寛ぐ主婦や年寄りに微笑ましそうに「可愛いわね」と言われて「可愛いだろ」と笑みを返していた。
 前にもそんな遣り取りがあった気がするなとラグナは笑う。
「もう少しで旅館に着くから辛抱していろ。大声でみっともない」
 騒々しさに堪えかねたジンが鋭く一瞥をくれる。
 冷たいジンの物言いに怒っていたシンは不満げに口を噤んだ。
 シンが顔を顰めたのは、ジンの物言いが気に入らないのではない。はしたない行為は自分達にとって恥ずべきものだ。
 常に落ち着きをもって、自身の情けないところを他人に見せないようにする。育ってきた環境が彼らの感情表現を阻害するなどよくある事だ。
 ラグナ達といる兄妹はそこいらによくいる賑やかな高校生に見えるが、実際は年齢に相応しくない大人しさと落ち着きと他者を見下す矜持を備えた人物だ。普通なら騒ぐような事はしない。
 抱えていた矜持を思い出したように表情が変わり、唇をきつく結んで静まったシンにケイスはよしよしと満足気に撫でる。しかし、手は尻のラインを撫でていてシンに頭を殴られる。
 結局また降ろせと怒って騒ぎ出した弟と妹にラグナとジンは肩を竦めた。
 もういいかと見放して足を進める。
 並んでいた土産屋や人家が控えた瞬間に、遠くに見えていた竹林が背高く聳える。
 道を敷いた所以外は人々と境界を引いたように視界を塞ぐ竹林の壁。暗いイメージを与えがちの竹林は手入れがされていて、均等に背を揃え程好く陽が射し込み、多すぎない枝から細い葉を垂らす。
 トンネルのような竹林を進むと、今度は大きな門が出迎える。門扉は開いているが、見える範囲では庭の一部しか見えない。門を入った瞬間からつるりと綺麗に磨がれた丸い石が敷き詰められ、大きな飛び石が並んで中へと案内していた。
 高い塀が囲む向こうがどうなっているか解らないぐらいに空気は閉鎖的で、けれど見上げれる程の門の厳かさに、偉いお侍が住んでいるような屋敷を自然と彷彿させる。
 門をくぐると、ラグナ達は更に感心する。雑草は勿論、植えてある木々の落ち葉が一つも無い白砂が目映い真っ白な空間だった。
 朝なら雪が積もっている風景も見れただろうが、昼日中の今では溶けたからか片されたからか積もっている所はない。
 「でけえな〜」とにべもない感想を言うラグナを誰も笑いはせず、玄関へと向かう。そこまで来るとケイスもシンを降ろしてラグナに預けていた荷物を受け取る。
 戸をくぐると、寒い世界から一転、萎んでいた花が開きそうなぐらい活気に満ちた暖かな空気に包まれる。
 一度に十人立っても余っていそうな広い玄関からは芳しい木材の香りがした。靴箱の上には白い花を際立たせるような彩りの花々が花瓶に活けられ、そこからも香りを醸している。
 つるりとした三和土を汚すのも勿体無いと思っていたら、奥から一人、中居であろう若い女性がやってくる。
 いらっしゃいませとラグナ達を迎え、名前と人数を改めて確認し、当てられた部屋へと案内をする。
 部屋の設備、食事の時間、風呂、館内のサービスを説明してもらい、気になる点はないかと訊ねられたところでもういいと中居に下がってもらう事にした。
 説明を聞くのもいいだろうが、折角だから自分達で好きなようにやりたいのだ。
 それに長々と話を聞ける性分でないのが二人いるので、聞いてすぐ頭から抜けるなら解らない時に訊ねるのが二度手間にならず楽であろう。
「じゃあ何するよお前ら?」
 荷物を下ろしきったラグナが確認するように訊ねれば、即答したのが二人。
「私は旅館にある書庫で本読んでくる」
「さっきの娘も可愛かったけど、ここの女将さんがすんげー美人だって訊いたから是が非でも拝んでくる」
「お前ら早速不健康で不純だな」
 シンは知的好奇心が強く、気になったなら片っ端から本を読む癖がある。館内を説明する中居の「旅館に郷土資料を置いてある」と聞いた時の反応をラグナは見逃していなかった。
 シンはコートを脱いで早速移動しようとしている。余所の、尚且つ閉鎖的な土地なら面白い噺があるのではと既に好奇心が疼いているだろう。
 ケイスは本気かどうか解らないが、まあ勝手にしてくれるだろう。もうどうでもいいとラグナは気にかける事をやめた。
「ジンはどうするよ?」
「僕ねえ。やりたい事はないな。兄さんに付き合うよ」
 言いながらスマートフォンをいじっているが、やはりかと呟く薄い唇。ラグナも自身の端末を確認すると、アンテナにバツマークが入っていた。
 やはり、ここには電波が無い。
 駅の辺りから不穏な気配はあったが、階段に従って山を登る度予感は色濃さを増す。確信したのは、部屋に行く際に見かけた現代には珍しい回転ダイヤル式の黒電話、通称『黒ベル』であった。
 この村では携帯電話など使えない。建物の中ならまだしも、外ではぐれでもしたら面倒であろう。
「おい、お前ら。ケータイ使えねえから外に出る時は誰かに言うなり、部屋にメモ残したりしろよ」
 当に背中を見せているケイスとシンにそう投げかけると後ろ姿のまま二人は生返事をする。
 ちゃんと解ってんのかと言いたくなるが、いい歳をした輩に構い過ぎるのも問題かと口を噤んだ。
 二人が戸口の向こうへ消えるのを見送り、さてと部屋を見回すが、あるのは旅館には珍しいカードの要らないテレビぐらいだ。ゲーム機など当然無いので、映るものはチャンネル任せだがだらだらとテレビを観るのは好きではない。
 一応には待ち時間を潰すように携帯型ゲームを持っているが、今使うタイミングではないだろう。
 土産でも選んでおこうかとも思うが、弟達と見た方が内容も被らないだろうからそれも今はいいと結論づけた。
 浮かぶ案を次々と蹴り、なら他に出来る事はと考えて、ジンに声をかける。
「風呂やメシまで時間あるし、一緒に散歩に行くか」
 ジンならこのまま部屋で何をしなくても気にしないだろう。だか折角遠出をしての旅行だから、部屋でじっとしているのは勿体無いとラグナは思う。
 ひっそりとした山奥に観光といえる程見れるものがあるかは知らないが、それでも身体を動かせば幾らかの発見もある筈だ。
 どうだとジンの返答を待っていたが、スマートフォンから自身に合わせられた目には嬉々とした色合いは見られない。寧ろ外に興味が無いと言いたげな、気怠そうな濁った色をしていた。
「……………………」
 緑の双眸は無言で否定を伝えていたが、ラグナはそれをガン無視して座布団に腰を据えていたジンの手首を引っ掴み、引き摺るように旅館の外へと出ていった。


《終》
 




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