スノー・キッズ《2》
性急に答えを、そして絶対的な返しを求めていないラグナは肩口に乗っているジンから聞こえる息遣いにぼんやりと耳を傾けた。
冷えた空気の中だと沈黙が更に重くなる。静かな空間で、離れている子供達のはしゃぐ声がよく通る。
山に近づくほど深さが増す白く茫洋な景色を眺めていると、腕に絡む力が強くなった。甘えて抱きついていたジンが額を埋めて、昔を見つめるように遠くを見ている。
隣り合って無かった距離を更に縮めてきて、ぐいぐいと身体を押しつけてくる。身体が倒れるまではいかないが、このままだと椅子から落とされるのではと懸念したラグナは何だよと目で訴えていたら、ころんとジンの翡翠が上向いた。
「……兄さんは違うから」
真っ直ぐにそう言った。
「は?」と疑問符を口にしたラグナにジンは言葉を続ける。
「他人は僕に全人であれって言う。他人よりも優れ、他人に弱さを見せるなって言う。けど、兄さんはそんな事を求めはしない。恥じるべきところを許してくれる。僕が『僕』でいいって、唯一認めてくれたから――だから、兄さんは特別なんだ」
そうして、笑う。ふわっと弾むようで、包み込むように笑顔が花咲く。
怜悧で大人びた顔が幼く微笑みかけてきて、ラグナは不意を衝かれて目を瞠る。緋翠にじっと見つめられ、照れてきたのかジンは肩に額を押しつけえへへと笑う。ぎゅうぎゅうに抱きつかれて、照れが伝染していったのかラグナの頬にも赤みが差す。
そういう風に言われてしまうと、逆に申し訳無かった。そこまで考えていなかったが、ラグナが気にかけてやってきた事はジンにとって大きな救いになっていたらしい。
大人に縛られて息が詰まりそうな窮屈な場所から、扉でも窓でも少しでも顔を出せるぐらいに息抜きが出来ればと、安く考えていた。しかしどうやら窓どころかもっと遠く、囲いの外にまで連れ出していたようである。
手を引いてやってきた事は間違いではなかっただろうかなど気になってしまうが、ジンの笑顔を見ていて考えるのはやめてしまおうかと思い直す。
ジンを立派にするとか、まともな大人にするとか、そんな大層な意識をもって接していた訳ではない。
ジンの心が潰れてしまわないよう、支えるのを手伝ってやりたかっただけだ。今こうして肩を貸しているのもジンの支えになれるなら、やすいものだ。
要らぬ事を考えすぎた所為か、いやに疲れを感じて身体から力を抜く。ラグナもジンに凭れ、ジンの頭に自身の頭を預けると、くしゃりと髪がからむ音がする。
寄りそうあたたかさに心地好くて目蓋をおろしていくと――
「らぶらぶだにゃー」
「おにーちゃんのかのじょさんー?」
「もしかしておよめさんー?」
「ちゅーするのー?」
ラグナ達の周りに、遊んでいた筈の子供達が集まって二人を眺めている。
花畑を見て喜んでいるような子供の、悪意の無い好奇の目に見つめられ、ラグナはどうしようもない程の気恥ずかしさを爆発的に煽られた。
「こいつは男だーっ!!」
熊のように両手を挙げて威嚇をし、子供達を怒鳴る。また、キャーと楽しげに散っていく子供達。
跳んでベンチから離れてしまったラグナにもうと唇を尖らせるが、子供達に言われた事が満更でもないジンは薄く笑っていた。
「おにーちゃん、かおあかーい」
「まっかっかー」
「やかましゃー!!」
過剰な反応をしてしまった所為で子供達に面白がられ、折角の無邪気さに棘が生えて茶化し始めてくる。
さっきまでと打って変わって生意気に見える子供達をおらーと叫びながら追い回していたら、“ずるっ”と足が地面を舐める不安定な摩擦に捕らわれた。
「やばい」と思う前に足は宙を蹴り上げ、ラグナの長躯は背中から雪が敷き詰められた大地に叩きつけられる。
「いまだー!」
「やっつけろー!」
「埋めるなー!! つめてっ、服に入った!! や、やめろおー!!」
肺を貫いた衝撃に悶絶している隙に、子供達はラグナの両サイドから雪を掻き寄せ被せていく。
ブルドーザーで押し出されるように雪が雪崩れ込み、マフラーも巻いていない襟元から雪が飛び込んできて冷たさに身悶える。
「やめ、テメェらこの……って、ジィーン! お前もやめろ!!」
「あ。バレた?」
子供達に雪をかけられ腕で顔や首を守っていたら、はしゃぎ騒ぐ声の横でジンも地面の雪を蹴り上げてラグナにかけていた。
がなり散らしてようやく雪をかける手を止めてもらい、ラグナは後ろ手を突いて上半身を起こした。折角はたき落とした雪がまた頭や服に纏わりつき、体温で溶けて濡らしてくる。
「たくっ、散々な目に遭ったぜ……」
嫌味を交えて口にすると、そんな嫌味を微塵も怖じず子供の一人が胸を張った。四人いる子供の中で一番背の高い、表情が見えづらくなるほどフードを深く被った少女だ。
一番歳上であろう女の子だからか、他の子とは違って言葉に「にゃ」と猫のような訛りが入っている。フードに付いている三角の耳がらしさを手伝っている。
「身体が冷えるのはよくないにゃ。早く宿の温泉であったまった方がいいにゃ」
冷たくなったのは自分達の所為であるのに反省も悪気も無くラグナに言う。
少女の提案にそれがいいと残りの子供達も賛同した。
「おやどにはとっておきのおんせんがあるもんねー」
「おにーちゃんたち、おそとからきたんでしょ? ラッキーだね! “せいじょさま”のごかごがあるよ〜」
「ちがうよ、“ゆきのめさま”だよ〜」
あれだよこれだよと、ラグナ達を置いて子供達は何やら揉め出した。
ジンに手を引いてもらい立ち上がったラグナは何の事だと小首を傾げる。
「“ユキノメ”……雪女か」
一緒に聞いていたジンがそう言うと、子供達が揃ってそれだと肯定した。だが、ラグナは意味が解らないと眉を顰める。
なぜそこで妖怪の名が出るんだ。
その疑問に少女が答えたが。
「この山には雪女が住んでいたと言われるにゃ。え〜と、あーだこーだ、色々あって〜、いなくなったのにゃ」
「……全っ然、わかんねえ」
少女も噺を碌に覚えていないようで、全く概要が解らなかった。
「セイジョって何だ?」
この疑問にはジンが答えた。
「“青い女”と書いて『青女』。霜や雪をふらすという女神らしい。雪女は書いて字の如く雪にまつわる妖怪だから、解釈が捻くれて神格化したのかもしれないね。歳神みたいな一面を持つ伝承もあるから、それが手伝っているのかも」
つらつらとなめらかに話すジンの滑舌に聞き惚れながらもよく解らない単語が出たりして首を捻るが、訊いてもどうせ忘れるだろうから敢えてスルーをした。
自分達が泊まる旅館にそんな噺があるのかとラグナは感心していたら、子供達は突如ジンの周りをぐるぐると駆け出す。
囲まれたジンも見ていたラグナも慄く。
「ゆきのめさまはこどももすきだから、あかちゃんがほしいってひとはよくおねがいしにくるんだ」
「おにーちゃんのおよめさんも、かわいいあかちゃんがうまれるよ〜」
ねー、と子供同士仲良く相槌を打って無邪気に笑う。まるでサンタにプレゼントをお願いして、朝になるのを楽しみにしているようだ。
しかし子供を授かるサイクルを知っている成人にはあまりにも恐ろしい会話の内容だった。
ちらりと視線をジンにやると、ジンは子供達の言葉にぽかんとしていた。だが、ラグナの視線に気付くとハッと頬を紅潮させ、もじりと身を捩る。
「やだ兄さん……」
ラグナを呼ぶ声に少し甘さを滲ませながらジンは視線を逸らし、そろりと自身の腹部を押さえる。口元を揃えた指先で隠してしまうくらいには照れているようだが、その恥じらいはおかしいだろうとラグナは血を吐きたい気持ちになる。視線を投げたのは期待でも誘いの意味では無い。間違い無く。
できねえからと叫びたかったが、なぜ子供ができないのか、どうやってできるのか、それらを訊かれるのが恐ろしくてラグナは真一文字に、歯の根が軋むほど噛みしめる。
つっこんだら負けだ。下的な意味ではなく。ちゃんとした意味で。
もやもやする頭でラグナは言葉を抑える。
場が荒れるのを恐れて言葉を噤んだラグナに目聡く気付くのがジンで、すりりっ、と傍らに近寄る。目映く輝く瞳は、本日二回目ではなかろうか。ラグナは遠いところでそんな事を思い出す。
隣り合い、赤の名残を残す頬のまま「幸せになろうね兄さん……」と囁く言葉は、なんたる甘美な響きか。
ああ、これが普通なら言われた相手も赤くなってしまうようなシチュエーションであるのに。
『――だが、男だ』
この一言が、全ての幻想を破壊する。
「おいおいおいおい……」と、つっこみたい言葉は浮かび上がるのに口に出来ず、抗議を示す呼びかけを反復する。
ジンを男と言ったが、聞こえなかったのだろうか。はたまた、男同士への理解があるのだろうか。最近の子供は一体どこで仕入れたと疑いたくなるような知識を持っていたりするから舐めてかかると痛い目に遇う。
だがもう性別とかそんな事はどうでもいい。取り敢えず、この場の子供の興味の対象が離れてくれないかと話をほじくり返さず、無言で青い顔を貫く。
◇
腕を取ってにこにこしているジンと、自分達を微妙な目で見る少女と、はしゃぎ回る子供達を眺めていたら、広場から離れた小道、山へと繋がる道から降りてくる影二つにラグナは気付いた。
《終》