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 件の人物はリンファの案内で待合室代わりの壁際の長椅子に座って待機していた。リンファに頼まれて待っていたものの、そう時間はかからずライチが診察室に戻ってくる。
 さっと立ち上がり、ライチに向け会釈をする。
 目的は薄々察しているが、ライチは努めて友好的な笑みを浮かべて素知らぬ様子で振る舞う。
「あら〜。お久しぶりね少尉さん」
「お、お久しぶりですライチさん。お忙しい中、時間を割いて戴きありがとうございます」
 礼を言って、今度は頭を深々と下げる。
 青の統制機構の制服を纏う少女はノエル=ヴァーミリオンで、階級はライチが呼んだように少尉である。
 軍人として凛々しく振る舞おうとしているが、幼さが抜けない顔つきに根の優しさと不器用さがあっていまいち理想には近づけていないでいたが、ライチからすれば可愛らしい少女が無理をして勿体ないと嘆息してしまいたくなる。
 頭を上げたノエルはふとライチの目線より高い所へ目をやると少し戸惑ったような反応を見せた。ライチには理解出来なかったが、いつもいる筈の存在がない事にショックを受ける顔だった。
「あ、あの……パンダさんは……?」
 恥ずかしそうに、恐る恐る訊ねるノエルに「あっ……」と思わず声が出る。
 髪留めとして優秀に働いてくれるパンダさんもといラオチュウは先程ラグナの頭にくっついてしまったまま離れないので、今は仕方無く代理の髪飾りで留めていた。
 ノエルは小動物など、つまり“可愛いもの”が好きで、見つけるとぽわっとした表情で飽く事なくそれを見つめ続けるのだ。そんな彼女だからこそ、来訪した患者達が気にもかけなかったラオチュウがいない事に対して指摘をしてきた。
 下手に隠そうとすればバレた時が大事になるだろうという懸念からラグナの事は暗に伏せ、尤もらしい事を言ってその場を凌ぐ。
「ああ、あの子は今食事中なの」
「ゴハン……っ」
 一瞬の早さでノエルの目がぱっと輝いたように見えたのは気の所為ではないだろう。きっと頭の中ではさぞ愛らしく餌を食べているパンダさんの姿が描かれている筈だ。
 マイナスイオンを出さんばかりのほわほわとしたノエルのうっとり顔にライチがくすりと微笑うと、ハッと我に返って緩んだ顔をぺしぺしと叩いた。
「えー……、すみません。大分話が逸れてしまいましたね」
 ノエルは慌てて咳払いをして場の空気を締めようと気を取り直した。
 それと同時にライチの微笑みも固いものになったが、気にせずノエルは用件を述べた。
「住人からの通報があってこちらへ赴きました。指名手配中のラグナ=ザ=ブラッドエッジと思われる人物が統制機構の衛士らしき人を連れてこの周辺を徘徊していたとの事です。何か心当たりはありませんか?」
 ぴんと伸びた背筋のように、真っ直ぐライチを見据えてノエルは尋問した。
 予想をしていた展開に、ライチも目紛るしい早さで幾つかの返答を考える。
 いい加減や身のない誤魔化しでは通じないだろう。ノエルの淡い緑の目はうっすらと猜疑心を帯びてライチの言動一つ一つを見落とさないよう観察をしている。
 以前起こしたいざこざもあって、ノエルは最初からライチを疑いかかっており、全てを鵜呑みしてもらえる程の信用はないだろう。
 幾らドジが目立つ可愛らしい女の子でも、決して彼女は“愚か”ではない。安易な発言をせぬよう、慎重に言葉を選んでライチは答えた。
「そう? そんな凶悪そうな人は見てないけど」
 態ととも取れる驚いた顔をしてみせる。恐らくこれぐらいの仕草ならまだ半々の意味で捉えてもらえるだろうと読んでの行動だ。
 ノエルもはぐらかされる事を前提に訊いていただろう。ここぞとばかりにもう一つ、有力な情報を告げる。
「こちらの建物へ入った、との情報もあります」
 視線に鋭さが混じる。隠さず素直に情報の提供を要求する軍人の目つきである。
「通報が確かなら、こちらとしても統制機構の衛士が凶悪な犯罪者に拉致されるという事態は看過出来るものではありません。どうか、ご協力をお願いします」
 袖から折り畳まれたラグナ(のような何か)の顔が描かれた指名手配書を差し出され、ライチの眼鏡越しの瞳が紙面をじっと見据える。
 ノエルの思う事は解る。統制機構としての義務を全うするのは当たり前であり、そして結果を出そうとするのも間違っていない。それどころか、その結果は決して自分の為だけでないと、何となくでだが解る。
 猜疑心はあれど敵対心は一切無いノエルから誠実に協力を請われるが、だからとはいわかりましたと首を縦に振る事は拒まれた。
 以前にも、ライチはノエルからラグナを庇った経緯がある。
 彼の持する『蒼の魔道書』はライチの願いを叶える『可能性』の一つを担うものとして欲した。しかし得る事は叶わず、いまだ魔道書の事は諦め切れていない。
 しかし魔道書を得る以上に、身内のように思っているリンファや、自分を慕ってくれる街の人達に被害が拡がらないようにしたかった。
 敵対する彼らが鉢合わせればきっと戦いになってしまう。もしその戦いの中でラグナが『蒼の魔道書』を起動させてしまえば、どれ程の被害が出るか想像もつかない。
 統制機構の支部を一人で壊滅出来る程の代物を、こんな街中で容易に使わせてはならない。
 誰も傷つかせない為、二人を頑なに対峙させないのが一番の静かな解決法でしかない。
 しかし、ノエルの意思はライチに劣らぬ強さを以て更に攻めてくる。
 望む方へと動こうとしないライチに意を決し、一息吸って強かに発言する。
「――失礼ですが、中を改めさせてくれませんか?」
 一番言って欲しくない、場合によればラグナとかち合わせるよりも気まずい科白が直接脳に吸い込まれるように耳を通る。
 断れば不自然が凝固し、もう後には退かなくなるだろう言葉を前にしてライチの表情が完全に崩れそうになった時、場違いな音が間に割って入った。
「おい姉ちゃん。ちょっと漏斗みたいなもんねえか?」
 私生活の入り口である私室の扉からラグナがひょっこりと顔を覗かせて場の空気など関係無しの口調でライチへと声をかけてきた。
 二人の視線がそこに向けられ、同時に顔が引き攣り、誰よりも早くノエルが最初に叫んだ。
「ラッ……ラグナ=ザ=ブラッドエッジ!?」
「げっ……」
 ノエルの顔を見てラグナは盛大に、心情をそのまま吐き出すように思いっ切り眉間に皺を寄せて顰めっ面を作った。
 渋面の理由は敵対関係の統制機構だからではなく、彼女の顔は『妹』の顔と瓜二つで、様々な感情が脳裏を掠めて見ていて正直いい気分になれなかった。
 ちっ、と舌打つと扉をバンと大きな音をさせて閉めた。
 ラグナの動きにノエルが固い表情で構えようとしたが、場の空気が動いた事によりライチの瞳がちかりと光ったと同時にラグナに言い聞かせるように声を張り上げた。
「もうっ! あなたまだそんな格好して! あれほどやめなさいって言ったでしょ!!」
「は……? え……?」
 出てきた早々、いきなり叱られたラグナは訳が解らず目を点にするが、ライチの傍らに立つ青い制服と見合わてなるほどと彼女の言わんとする事に合点がいった。
 深呼吸するように息を吸い、面倒臭いとふてぶてしく溜め息のように吐き捨てた。
「うっせぇーな。んなの俺の勝手だろ」
「こらっ!」
 外方向き、煩わしいと言いたげに頭をがしがしと掻く様はまるで注意をしてくる母親に対して取る反抗期の男の子のようなそれだった。
 反抗的な態度を見せるラグナにライチは尚も叱ろうとするのを、端から見ていたノエルが宥めに入った。
「えっとぉ〜……、あの、ライチさん、落ち着いてください。その辺で止しとしませんか」
 あれほど任務に忠実な軍人として振る舞っていた少女はあっという間に本来のお人好しな人柄に戻っていた。
 ラグナとライチが会話してるのを遠目で見つけた時にも詰問をしようとしたが、ライチの二の句を継がせない強引な押しで身内だと丸め込まれた事がある。その時のままの勢いでそれを思い出させ、事を有利に運ぼうとするライチの意図はあながち間違いではなく、今回もまたそれで納得してしまいそうなノエルを見て胸裏でほっと一息をつく。
 飛び火しないよう二人から視線を外して出てきた扉の周辺の白い壁ばかりを見上げているラグナもさっさとノエルが退場するのを願っていた。
 だが、もう一つの問題は息つく暇もなく自らの足で扉の向こうから気配もさせずやってきた。
「兄さん、大きい音させてどうした…の……」
 カチャリと控えめな音で扉が開き、中からひょこっと身を出してきた人物はノエルと同じ金髪の持ち主――ジンだった。
 ジンが出てきた瞬間、先程のラグナの出現時よりも空気が固まった。
 その時の空気はジンの操る氷のように、冷たく張り詰めて触れるだけでも肌に痛みが走るような鋭さだった。
「…………え? キサラ……」
「――――」
「うおぉぉぉぉいっ!!」
 唖然とした様子でノエルがその名を呟きそうになり、扉から顔を覗かせた時とは打って変わって表情が消えたジンの唇が薄く開いた時、ラグナが奇声に近い大声を上げて大きな体躯で隠すようにジンを覆った。大きな声にノエルもライチもびっくりして身を引く。
「駄目だろうが部屋から出たら! 体調悪いんだろ!! ほーらっ、いい子だからさっさとベッドに戻ろうな!!」
 説明的な台詞を叫びながらジンを抱えて逃げるように部屋へ引き摺り戻っていく。
 けたたましく扉の向こうへ二人が消えていき、取り残されたかのようなノエルとライチに暫しの沈黙が流れた。
「先程のは……」
 驚きが抜けていないノエルの声にライチもはっと意識が戻り慌てて新しい言い訳を考える。
「あっ……あの子はさっきの子の弟なの! どうやら風邪っぽくて私の所に来たんだけどね」
 英雄と評される機構の人間だから顔を知っているだろうと懸念していたがそれはやはり間違いではなく、また追求されるのではと焦りが生じる。
 既に顔を見てしまってるので苦しい言い訳になると思ったが、意外にもノエルはあっさりと「わかってます」と頷いた。
 「へっ?」と呆気に取られているライチに向かってノエルは清々しい笑顔で言った。
「確かに最初は似ていると驚きましたが……。私の知っているキサラギ少佐は、あのような楽しそうなお顔をしないので!」
 だから違うと断言する様は小さな胸を張って自信満々にしているように見えた。
 それを聞いたライチがジンを不憫に思ったり目の前のノエルがさらりと酷い発言しているのにどういう顔をすればいいか困ったのは言うまでもない。


  ◇


 

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