2

 その挙動から指輪が欲しいのかと目星はつけていた。
 しかし、アクセサリーに興味が無いラグナはジンがどんなものが好みかまでは解らない。男の子のように振る舞うジンからは全くそんな素振りを見せた事などなかったからだ。
 長い髪は邪魔で、スカートはひらひらして嫌で、アクセサリーは動き辛くなるからと、全部突き離してしまった。
 だからこそ、指輪を憧れるように見つめていた瞳が印象的だった。


「――あ? あいつ、なんで指輪が欲しかったんだっけ?」


 回想に耽っていたラグナは思わず考えていた事をそのまま口にして、そこで意識が浮上する。何日もかけた思い出は太陽を僅かにずらす事もなくぷつんと途切れた。
 懸命にラグナは思い出そうとする。
 ジンが指輪を欲しがった理由。
 確かに、本人の口から理由を聞いたのだ。
 解らないなりに散々迷って、散々悩んで、これだと選んだ指輪にどんな顔をするのかと緊張に胸を締めつけられながら、何も知らされていないジンに渡そうとして、差し出されたラグナからの指輪に戸惑った彼女から。
 恥ずかしそうに顔を赤らめ、しどろもどろに話してくれた。
 それは迚も稚拙で、けれどジンなりの最上の“しあわせ”の形であった筈。
 何であったか、あらゆる言葉を浮かべてみても何一つ該当しない。こめかみの辺りが痛くなる程頭を抱え唸ってみるが、どうやっても記憶は素直に掘り返されようとはしない。
 がしがしと白髪を掻き乱し、あれだけ苦労したのになぜ忘れたと苛々しながら、ふとズボンのポケットに入れていたメモを思い出して取り出す。
 いけ好かない男から貰った、ジンを乗せた魔操船が到着する予定の日付と時間と派遣先の都市名が書かれたメモ用紙。
「…………行ってみるか?」
 そう口にしてみれど、今更指輪の話を持ち出していくのは気が引ける。自分があげたのも忘れていて、まだそれを持っているなど気付きもしなかったのに。
 それに、あの時ジンの言った事を訊き直す勇気があるのだろうか。
 きっと死にたい程恥ずかしい気持ちで告げた筈だ、あの顔の赤さから考えて。
 それを忘れたとなれば、苛烈になったジンの事を考えると今度は自分が殺されてしまうのではないか、あの氷鎌の刃で。
 想像して、跳ね上がる殺意を制御できていないジンならやりかねないとぞっとする。
 そんな事で会ってどうするというのだ。整理のつかない頭をぐしゃぐしゃ掻き回し、持っていたメモを握り潰してポケットに戻す。
 もやっとした胸の内を解決できないままに、今夜の雨風を凌げる程度の安宿を探しに立ち上がった。


  *****


「――で、何だっけ?」
 昼食代わりの具沢山のサンドイッチにフォークを刺しながらラグナは訊ねた。
 ジンは紅茶の飲む手を止め、固まる。
 あれから悩んだ末、ラグナはジンに会う事にした。気にしないよう振る舞おうとしたがもやもやとした違和感を拭う事ができず、軽い命の遣り取りを覚悟して半ばやけでハザマから貰った情報の都市に行く。そこに、ジンはいた。
 出会い頭「デートしよう!」と飛びつかれ、部下が制止するのも構わずとんずらをこいて抜け出し、喫茶店で寛ぐ事になった。
 食しながらぐだぐだと近況なり思い出話をする流れで、意を決し指輪の話を切り出してみたのだ。
 折角紅茶を楽しんでいたのに、あの時の指輪をまだ持っている事がラグナに知られていて、不意打ち過ぎると冷静沈着なジンが珍しく動揺する。
 だが顔を赤くしながらも、鋭さが半減した涙目の眼光で誰から指輪の事を聞いたか問うてくる。疑問ではなく確信で人伝であると見抜いているあたりジンも心当たりがあるのだろう。
 逡巡しながらラグナはハザマと答えた。
「何で兄さんがハザマ大尉と……?」
「ん……。仕事だかでその際俺を見かけたから声をかけたんだと……」
 ハザマは恐らく嫌がらせの為に態々調べて自分に会いに来たのだろうが、ラグナは敢えてそれを伏せた。
 ハザマを庇う為ではない。一方的とはいえハザマからジンの情報を渡されたりで世話になり、ジンに対して後ろめたさがあった。なぜハザマが会いにきたと問われたら、上手く誤魔化せる気がしない。
 会ったのは偶然だと嘘をついたら、有難い事にジンはすんなりとそれを信じてくれた。
「あの男……今度会ったらネクタイで絞める」
 少女然とした泣きそうな顔から、軍人に相応しい敵を前にした鋭く冷たい目付きで窓の外を睨みながら呟いた。
 相変わらずジンのこの二面性は怖いとラグナは思う。しかし、どういった手段でジンから指輪の事を聞いたかは知らないが、ハザマざまあみろと内心で嘲笑っておく。
 不機嫌に眉が上がり荒波立った心を落ち着かせようと湯気の立つ紅茶を飲もうとした所で、ラグナは先の質問に戻る。
「で、何だっけ?」
「……何だっけって、何が?」
 質問よりも指輪の存在がバレたショックの所為でラグナの言葉が上の空になっていて、とぼけるでもなくジンはきょとりと首を傾げた。
「お前が指輪欲しがった理由だよ」
 再度問い直す。平静を装ってさらりと言ってみたが、本当は胆が冷える思いで口にしていた。
 訊かれたジンの眉がひくりと動いたのを見て怒り出すかと無意識に唾を飲み込み、いつ刀が出てもいいよう白刃取りの準備をする。
 けれど気温が下がるような冷気も殺意も湧かなかった。それどころかジンは身動ぎ一つせず丸々とした目でラグナを凝視していた。
「……忘れてるの?」
 問われ、ぎくりと口の端が引き攣る。
「……そういう事です」
 思わず顔を伏せ、意味も無く挙手のように手をあげて敬語で答える。
 今度こそ激昂されるかもしれない。頭を見せているから拳骨で済めばいいが、氷剣だったら間違いなく死ぬ。店内は衣を裂いたような悲鳴で埋まるだろう。なるべくそれは避けたい未来だ。
 ジンの次の行動を待ち構えていたが、少しも動かない気配に何だと伏せていた顔を上げる。するとラグナが見たのは怒りで顔を赤くしているジンではなく、困った様子で視線を伏せがちにしているジンだった。難しそうに眉を潜め、指の第一関節を唇に押し当てている仕草が妙に幼い。
 自分ならともかく、ジンが困り顔になるのはおかしいとラグナは訝しげにジンの表情を観察する。
 一人考え事をしていたが、ラグナが自分の顔をまじまじと見ている事に気付いて慌てて表情を変えようとする。しかし次に言おうとする言葉にどれも似合わなくて、結局眉尻を下げたままラグナの顔を見つめ返すしかできなかった。
「え〜とね……それね、うん、秘密」
 カップを手に取り口へ運ぶ。ほわりと香りたつ紅茶の芳しさが僅かだが揺らめく心の波紋を落ち着かせる。
「はあ?」
 呆気に取られたラグナは自分が思っている以上に大きな声がもれ、ラグナ達が囲うテーブルの周囲の客から視線を投げられ反射的に口を塞ぐ。
 怪我する覚悟で理由を聞きに来たのに、茶を濁す回答にラグナは納得できない。テーブルにつんのめり顔を寄せて何でと訊く。
 カップから唇を離したジンも困惑気味にしながら、やはりラグナとは目を合わせようとしなかった。
「言ってもいいけど、僕としては兄さんに思い出してほしいな。僕の口から言ったら意味が無いし、これ見よがしになるし……」
 胸を撫でながらジンは思い出すように遠くを見る。同じとこを見てもその景色は勿論ラグナに映る訳がない。思い出せないラグナはどうにか聞き出そうと渋ってみるが、ジンは嫌々と首を振って言おうとしない。
「教えろよ」
「いーや」
「何でだよ?」
「恥ずかしいから」
「そんなに恥ずかしい理由だったか?」
「多分今だと、兄さんの方が恥ずかしいんじゃない」
「は? 俺?」
 突然自分が指摘されてラグナは虚を衝かれた。
 目を丸くする兄を妹はくすくすと笑う。
「そう、“俺”」
 鸚鵡返しするジンは悪戯をする猫のような顔でにこりと微笑み返した。


  ◇


 散々寄り道をしてついぞ終えた使いにほっと息をついて、ラグナは急ぎ足で家族が待つ教会への帰り道につく。
 お小遣いがラグナの目標として決めた額に届いた時、シスターから町に行く使いを頼まれた。
 それはシスターなりの気を遣った計らいで、妹達は留守番をしてラグナが一人で町におりれる口実になり、一人で熟考できるという訳だ。
 ラグナだけが町におり、シスターの使いを後回しにして、ジンにあげる指輪をどうするかにたくさんの時間を注いだ。
 いざと望んだジンと一緒に見た露店は、その日に限ってその場に無く、嫌な汗を流しながら町中を駆け回って探す羽目になったのだ。
 よくよく考えれば玩具の指輪を買うのなら別の店でもよかったのだが、子供独特の思い込みであの露店でなければいけないと焦っていた。
 その所為で時間はかかったが、ラグナについて行きたくても留守番せざるを得なくなったジンが寂しそうに見送った姿を思い出しながら、あの沈んだ顔が何を選べば満面の笑みになってくれるかばかりを考えていたので時間の流れなど一切気にならなかった。
 町中を走り回った甲斐あって、場所を変えていた露店商に会えた時は叫んでしまう程に安堵した。
 泣きたくなる程焦らされた腹癒せに文句なりをぐちぐちとぶつけながら露店商と相談してジンに似合いそうな指輪を選び、目的を果たした頃には漸く時間を思い出してまた走って町を出る。
 行きと違って荷物も増えて大変だったが、クラシックな田舎育ち故の体力もあって早々にはばてなかった。
 舗装もされてない砂利道を急ぎ足で駆け、風が自由気儘に疾る草原を行く。
 風と草が囁く音の中に水音も交じり出し、教会の近さを知る。小さな河川の橋を越えればもうすぐだと前を見遣る。するとそこに、小さな影が端の欄干に凭れていた。
 遠目でもくっきりと映る鮮やかな金の髪は襟足まで切られててさらさらと風に遊ばれている。
 その名を呼ぼうとする前に俯いていた顔がふいと上がり、ラグナを目に収めると嬉しそうに目元を細め、笑顔で駆け寄ってくる。


 

prevnext


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -