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 世界虚空情報統制機構本部の佐官以上にあてられるジン=キサラギの執務室にて、部屋の主の許可も貰わず勝手にデスクの引き出しを開けたハザマは目を眇めた。
 一番上の引き出しに備えられた小物を入れる補助棚に安全ピンやクリップに混じって置かれている小さな箱。外は肌触りの良い皮で覆われた本格的な指輪のケース。
 全く色沙汰の無いジンが、誰からの贈り物を残しているのかと好奇心が疼いて躊躇わずケースを手に取り蓋を開ける。
 ばくんと開いたケースからはハザマが想像していた通りの細工の造り込みが素晴らしくきらびやかに輝く大きな宝石が填められた指輪が――あった訳では無かった。
 指に填める環は金属ですらないプラスチック製で、確かに大きめではあるがどう見ても石の輝きとは違う宝石に似せた緑色の硝子だった。
「玩具の指輪……?」
 思わず口にして、窓際に立って書類を読んでいたジンがハザマの不躾に気が付いた。
 物凄い早さで振り向いたジンはハザマが手に持つ指輪を見て目付きに更なる険を含ませ、大股で彼にどかどかと歩み寄った。
「何を勝手に見ている! ――それに触るな!!」
 引ったくろうと手を振るうが「おおっと」と楽しげにジンの手を躱して距離を取る。
 避けられたのにも腹が立つが、取り返せなかった事に血が昇り「返せ!」と怒鳴りながら高い高いをして指輪を掲げるハザマに食ってかかった。
 ハザマのシャツに皺が入るのも構わず片手は胸倉を掴み、背伸びをしながら手を伸ばしても、ハザマの方が背が高くあと少しが足りない。苛立たしげに奥歯を噛み締める。
 普段鉄皮面で表情の無いジンが眉間に深い皺を刻み柄にもなく必死に取り返そうとするのを見ていたら、指輪に固執する理由が気になってくるもの。
 ハザマはにたりといやらしい笑みを浮かべてジンに訊ねる。
「この指輪如何したんですか? お聞かせくだされば、お渡し致しますが?」
「それは本来私の物だ!!」
「今は私の手元にあるので」
「ちぃっ……!」
 何とも横暴な物言いだが、このままでは本当に指輪は返されず持ち出されてしまうのは目に見えていた。力尽くで取り返そうにも、逃げ足の早いハザマを捕まえるのはそう容易ではない。
 あれこれ考えても良策が生まれず悔しげに奥歯を噛み締める。
 頭上でニタニタと笑うハザマの笑みが気に入らないので、彼の首に巻かれているネクタイを思いっ切り引っ張り喉を圧迫する事によって一先ずの逆襲は済ませておく。


  *****


「こんにちは、ラグナくん」
 やたら上機嫌なハザマの声を聞いて反対にラグナは表情がげっそりと落ち込んだものになる。
 鬱陶しい、と目線で訴えてみるもどこ吹く風と気にせずハザマはどうも〜と芝居かかった動作でラグナに会釈をする。
「いやですねえ〜。折角あなたの愛しい妹さんの次の派遣先をお教えしようと来ましたのに」
「アーハイハイありがとーさん。さっさと教えてどっか行ってください」
 全く感謝の意が込められていない言葉を述べてハザマを追い払おうとする。
 何の下心があってジンの滞在都市を教えにくるか意図は掴めないが、それが親切心からだろうとラグナはハザマという男をどうやっても好意的に捉えれない。
 ジンに纏わりつくのも許し難いが、何より存在が嫌いだった。生理的嫌悪感、細胞レベルでハザマを拒絶しているので顔も見たくないし声も聞きたくない。
 隠さず表にその感情を出しているというのに、ハザマは自分達兄妹に纏わりつくのでいい性格をしている。
 ごそりとポケットをまさぐると、小さなメモ用紙をラグナへと差し出す。ハザマからぶっきらぼうにそれを受け取り、メモに書かれた癖の強い字を辿る。何だかんだ、こういう情報を貰うあたりはラグナも大概だが。
 短い用件を済ませると、じゃあなとラグナからハザマに別れを告げる。必要以上に顔を合わせたくないのだが、しかしハザマにはまだ用があったらしく「そういえば」とラグナの背中に言葉を投げかける。
「キサラギ少佐、面白い物を持っておられましたよ」
「面白いもん……?」
 無視をしてもよかったのだがジンの名前が出てついと首だけで後ろを振り返ると、ハザマはやはり食いついたと得意気な笑みを浮かべているのでかなり癪に障る。
 殴りたいと苛立つラグナを余所にハザマは言葉を続けた。
「玩具の指輪」
 見せつけるように指を広げ、何もつけていない指の付け根を指して言いたい事を示す。
 ラグナは意味も解らず目を細めるが、ハザマはやれやれと呆れながら掌を上に向けてラグナを指した。
「昔、あなたに貰ったという玩具の指輪を持ってましたよ」
 言われた事を反芻して、暫しの間の後にラグナは心当たりを一つ思い出す。
 確か、教会に住んでいる頃、町にシスターの使いで下りた時に一緒に連れていたジンが物欲しそうに見ていた玩具の群があった事を。今なら大した物ではないが、当時は子供のお小遣いでは高くて中々手が出せないトイジュエリーだ。
 それがどうしたと目で訴える。
 ラグナはいまいち解っていないが、ハザマは愉快だと笑いながら遠回しにジンとラグナを揶揄する。
「子供の頃に貰った玩具を今も持ってて、しかも、仕事場に持ってくる程の愛着っぷりですよ。“あの”キサラギ少佐が。それって凄いんじゃないですか〜?」
 特別執着するようなものが無いハザマにとって、ジンの度合いを超えたブラコンぶりは見てて滑稽過ぎて感動を覚えるぐらいに清々しいと思っている。
 なので、兄への情が暴走気味のジンの行動をラグナへ教えて、シスコンの入ったラグナの反応を見るのを楽しみにしていたのだが、今回は想像したのとは異なってラグナの顔は難しそうな顔をしていた。いつの間にか体もハザマへ向いていて口元に手を当て考え事をしている。
 何を真剣に考えているのかと思いながら「ラグナくぅ〜ん?」と声をかけると、ラグナは俯いたまま訊いてきた。
「…………その指輪、緑色の硝子玉じゃなかったか?」
 頭痛に悩まされるように額に手を当てる様は、何か重大な過ちに気付いた罪人のような面持ちだった。
 ハザマの記憶にある指輪を思い出してそうですねと答える。
 頷かれて、「マジか……」と重々しげに吐き捨て目を泳がせていったのがやたら印象的に映る。
 何があるのかと探ろうとするが、ハザマの思考を読み取ったのだろうラグナはそれ以上何も言わずハザマに背を向けた。
 脅しをかけてもよかったが先にジンに意地悪をした事もあって絶対に喋ろうとしないだろうラグナの意思を尊重し、今回は大人しく引き下がるハザマ。代わりに――。
「あ、お探しの迷い犬ならあちらで見かけましたよ」
「マジか!?」
 バイト中であろう、ラグナの仕事の手伝いをしてやった。


  *****


 今日のバイト代を確認し、今晩の宿をどうするか悩むラグナ。
 腑に落ちぬがハザマの助言があって無事迷い犬の捜索は完遂し、依頼主から依頼料を受け取れた。
 ラグナが捜し物をしていたのをなぜハザマが知っていたかは今更驚くものでもないので追求はしない。取り敢えず、明日へ繋がる金銭が懐に収まった事を喜ぶ。
 しかしバイトを終えて落ち着き腰を下ろしていると自然、ジンの事を考える。ラグナは呆れるような、感心するような息を吐いて頬杖をつく。
「あいつ……まだ持っていたのか……」
 ハザマから聞いた話を思い出す。正確には、その指輪に関する昔の事を。
 シスターの頼みで町に傷薬や食事の材料を買いに行った。物が多いからと、ジンと二人で行った使い。
 ごちゃごちゃした商店街をはぐれてはいけないと手を繋いで歩いていたらふと立ち止まるジンにどうしたとその視線をなぞると、露店に並ぶアクセサリーの数々。
 大人用の大きな装飾品から、子供向けの小さく安っぽい作りをした玩具が一緒に並ぶ変な露店に、ジンの目は釘付けだった。
 男っぽい格好をしている割に、そういうのを見る所はやはり女の子だなと感心しながらラグナは「気になるのか?」と訊ねると、ハッとしてジンはううんと首を横に振った。
 気になるのなら近くで見ればいいのにと思いながら目のいいラグナは遠くからアクセサリーを見ていったが、傍らの添えてある値札を見てなるほど確かにこれはと引けを取った。
 二人が持っているお小遣いでは手厳しいのは解っている。シスターから渡されたお金のお釣りで買うには予算ぎりぎりだし、そもそも玩具を買ったとなれば大拳骨を貰うだろう。
 ラグナが難しそうに露店のアクセサリーを見ていたら、場の空気に気まずくなったジンが誤魔化すようにシスターが待っていると切り出し、早く行こうと慌てて手を引いてくるのでその日はそれで終了。
 懐かしいと、当時を思い出す。
 その日の夜に、ジンに内緒でラグナはシスターに事情を話した。
 普段我が儘を言わないジンが珍しく物欲しそうにしているのを見たから気に留まったのか、それとも、ただでさえ身体の弱い末の妹が風邪を引いてしまい一日の大半を使って看病についていたので、自分に構ってほしいのに遠慮をして我慢させていたジンへの罪悪感があって、どうにかしてやりたいと思ったのかもしれない。
 引っかかりがどちらかは解らない。けれど、理由がどちらだろうと結果としてジンに何かしらプレゼントしたい気持ちは変わらない。
 それからは、とにかく手伝いなり使いなりを熟して小遣い稼ぎの毎日。
 裕福とは言い難い生活を送っているので、子供であろうとほいとお金を渡されて玩具といった娯楽を得るのは容易い事ではない。
 今のラグナを振り返れば、あの時が一番の働き者だったのではと、皮肉な笑いを浮かべてしまいそうだ。
 忙しくて疲れてしまうけど、楽しかった。
 少しずつ膨らんでいく小銭入れに胸を弾ませながら、どんな物を買ってやろうとそればかりを考えていた。
 ジンが何を欲しがっていたかは聞いていない。
 あの日結局恥ずかしがってアクセサリーを見ようともしなかったジンであったが、買い物途中ちらりと自分の指を見つめている姿にラグナは気付いていた。


 

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