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「はい、あなたたちにこれをあげるわ」
 武器を使った殺し合いができないのでソファーを占領し指相撲で戦っていた兄弟に、ライチは綺麗に畳まれた赤と青の衣服を差し出した。
 二人は訝しくそれを見遣る。
「何だそりゃ?」
 フェイントをかけながら相手を誘う動きを交互に繰り返しながらラグナは訊いた。訊かれたライチはよくぞ訊いたと嬉しそうに顔を綻ばせて答えた。
「これね、患者さんから貰った男物の服なの。私には合わないからあなたたちに着てもらおうと思って」
 二着の内一着をソファーの背凭れに置き、一枚を広げてみせる。
 紅緋色の厚手のジャケットで、前開きのサイドに縦の向きでベルトをあしらったデザインだ。ラグナが普段着てる深緋のジャケットの丈より少し短めで動きやすそうだ。
 一緒にインナーのスリーブレスの黒いインナーに、ぴっちりと足を引き締めるパンツも用意してくれている。
「へえ、中々いいんじゃねえの」
 ラグナは好感触に褒め、ジンはふうんと眺めるやる。互いの親指の腹が鍔競り合いのようにぎりぎりと押し合う。
「で、こっちがこう」
 赤いジャケットを置き、代わりに青の布を広げる。 どんな衣装かと思ったが、ラグナはうっと息を飲んだ。
 戦闘時にアジア系の衣装を着るライチの物と似た、杜若の色をした旗袍に白い襟がついた涼しげな衣装だ。ノースリーブだが、セットとして二の腕で留める袖もちゃんとある。軽装でゆったりとしてそうだが、服の丈が問題だった。
 腰の位置にもよるが、ラグナの目からすればいやに短い。ミニスカートの丈より長いかもしれないが、サイドにスリットがある。公然猥褻にならぬよう、中に白い布で太腿が隠れるようになっているがやたらあざとさを感じてこれはと思わず目を眇めた。
 どんな意図を込めてこれを持ってきたのかとライチの方に、怪訝な眼差しを送りたかった。
 弟の反応が気になってちらりとジンを盗み見るが、ジンは無感動に青い衣装を見ている。一歩間違えたら性別を間違えられそうな横顔からは微塵も怒りや嫌悪を滲ませておらず、いつもの鉄皮面だった。
 確実に着る人間を選ぶ衣装を前にしても動揺しないあたり、中性的な容姿を持つ人間の強みなのだろうかと僅かばかり尊敬しそうになるが、耳を疑う言葉がジンの口からこぼれた。
「そうだな、では赤い方を貰おうか」
 「へ?」と言いたげに勝手に口が開いた。声にならなかったのは驚きのあまりからだろう。ライチの唇も同じ発音をしていた。
 ジンが空いている手でジャケットを取ろうとするのですかさずラグナは制止の声をあげた。
「おい待てジン。そりゃどう考えてもおかしいだろ」
 手首を捕らえて抗議の旨を申し立てる。おかしい、という言葉にジンの柳眉が僅かに逆立つ。
「おかしい? その発想はどこからだい?彼女は一言も名指しをして服を出してきた訳ではないが」
「確かにそうだ。だが、どう見てもサイズが合わねえ。お前、俺が青い方を着るの想像できるか?」
 言っておきながら自分があの際どい服を着ている姿など欠片も想像したくないので思考は圧し殺している。真横でライチが噴き出そうが知った事ではない。
 ジンがぼんやりとした様子で空白の間を作るが、想像がついたのだろう。にこりと、ジンは言った。
「割にいけるんじゃないかな?」
「馬鹿かテメェ」
 しらっと本音か否か判断つけ難い笑みで宣うジンにコンマの隙も与えず誹る。
 下らない事を言われてつい今しがた封殺したばかりの姿を想像してしまった己の精神的損傷をどうしてくれると責めたかった。
「とにかく、お前は青だ。赤っつったら俺だろうが」
 ジャケットを引ったくるように掻き寄せようとしたらジンもジャケットを引っ掴まえて譲らない。
「僕は別に好きで青を着てる訳じゃないよ。仕事上、規定の色を纏っているだけで青に限定される謂われは無い。僕だって兄さん色に……」
「別に赤が俺な訳でもねえし、俺が赤な訳じゃねえから。そんな理由じゃあ頷けねえなあ」
 布を傷めないようにしながらも両者退く様子も無くぐぐっとジャケットを引っ張る。
「……………………」
 無言で睨み合い、寡黙ながらも刺々しいオーラが空気へと広がり出して見ていたライチの方が不安になり出した頃に、ラグナの指が素早く動いた。
 指相撲で組んでいた指をぎちっと締め、首を掻くように親指を瞬時に滑らせた。痛いほど親指の爪に負荷がかかった時、押さえ込まれたとジンは気付いた。
「んじゃあ指相撲で勝った奴が赤い方な」
「なっ……!ずるいよ兄さっ……」
「はいっ、ジュウー、キュウー、ハーチ……」
 突然始まったカウントにジンは焦りを見せた。歯を喰い縛り、ありったけの力で親指の拘束を解こうとするが、押さえ込むラグナの力が増すだけで本来淡い桃色をしている箇所の爪が白くなる程に潰されて端整な顔が歪む。
 徐々に減っていく数字に比例してジンの顔に朱が注さるが、悲しい事に力で敵わない事実が待ち構えていた。


  *****


「バーカ。兄さんのバーカ」
「へいへい。好きなだけ言ってな」
 互いに背を向けながら同室で着替えているラグナとジン。
 指相撲は不意打ちもあってラグナの圧倒的勝利で紅緋のジャケットは掻っ攫われていった。
 決まったのなら是非着てほしいとライチに推され、彼女は気を利かせてお茶を淹れてくるわと部屋を出ていったので気兼ね無く着替えているのだが、向かい合って裸を晒すのも薄気味悪いものがあるので自然と背中を晒す形になる。
「バーカ、バーカ、好ーき、バーカ」
「おい、間に何か変なもん雑ざってねえか?」
 無駄口を叩きながらばさばさと布を鳴らしてソファーの背凭れにかけた服を取り、袖を通していく。
 小型のソファーを二つ並べ間に木製のテーブルを挟んだ形になっているので自然と脱いだ衣類がそこへ放られていく。
 ジャケットはやはりラグナの肩幅に丁度で、細身のジンには似合わないなと一人相槌を打つ。
 袖の裏生地を捲っても平気なようデザインされているので肘の辺りまで捲る。いつものジャケットは体にぴったり沿う素材なので夏場は蒸されるように暑いのが悩みだが、これなら通気性もあって涼しい。良いものを貰ったと喜びながらジャケットの上から細いベルトを巻く。
 ジンも悪口を言いながら杜若色の服を着ていく。
 サイズ的にも見た目からしても自分がこちらを着るように言ってくるのは百も承知だった。だが勧められるがままというのも釈然としないのでもう一つを選んでみたが、流石というべきか兄はやはり強引だった。
 悔しいなあと思いながらも全く腹を立てている訳でも無いジンは袖を留めた辺りで気付く。

――腰が心許無い……。

 腰から太腿にかけるラインが寂しい。
 今回は七分丈のパンツも用意されていたからそれを穿いているが、心做しか締めつけが足りない。
 いつも単を留めるのにベルトを巻いていたからか、違和感があった。
 何か良さげなものはないかと辺りをぐるりと見回す。脱いだ軍服のは使いたくないし、ラグナにと渡されたものは全部着け終えてて余り物は無く、ラグナはベルトを巻くのに夢中だった。
 ふむと小首を傾げると、ソファーに放られた兄の衣服が目に入る。無造作に放られた赤と黒の中に目を惹くものが映り「これは……」とジンは瞳を輝かせた。
 ライチに教えられたお洒落だというベルトの巻き方を慣れない手付きで時間をかけながら漸く仕上げたラグナの耳にカチャ、と金属音がしてジンもベルトを巻いているのが解った。
 着替え終わったかと振り返って、噴き出しそうになる。
 振り返るとジンは腰から少し下、裾を捲って太腿に被せるようにベルトを締めているが、裾が浮いてちらりと覗く太腿よりもベルトが問題だった。
「オイィィ! それ俺のベルトォォォォ!!」
 背凭れに手をついて怒鳴る。ソファーに放っていた私服から、腰に交差して巻くベルトが一本減っていた。なぜなら今ジンが身に付けているからだ。
 叫ばれて目線を変えたジンは太腿からベルトがずれないのを確認してから見せつけるように足を一度はたき、威張るようにラグナに居直った。
「どう兄さん。似合う?」
 やけに偉そうに胸を張る意味が解らないラグナは馬鹿かとお決まりの文句をつけて抗議した。
「人のもん使ってんじゃねえよ!」
「いいじゃない、二本もあるんだから一本ぐらい貸してよ」
 師から貰った大事な服の一部を勝手に拝借されるなど許せるかとラグナはジンを睨みソファーの脇を抜けてずかずかと大股で歩み寄る。
 睨まれても平然としているジンの目の前に立ち、声を凄めて命令した。
「返せ」
 低く怒気の孕んだ声は射殺すような視線と同じで鋭く冷たかった。けれどジンはそれに負けぬ穏やかな冷笑を浮かべる。
「い・や・だ・ね」
 挑発的な目付きに短気なラグナの頭にかっと血が昇った。
 襟を掴まれ強引に引いてくるので首が絞められる。そこまではジンも予想をしていたが、不意に体が浮いてバランスが崩れ、目を見開く。
「うわ、わ……っ」
 床が傷むのでないかと心配する音を上げて傍らのソファーに二人揃って雪崩れ込んだ。
 狭いソファーに押しつけられ腰に手が回るのに気付いてジンは手首を捕らえようと藻掻いた。
「この……、返せっつうの!」
 留め具を外そうと爪を引っかけようとするがジンの抵抗は激しくラグナの手首を掴んで何がなんでも外そうとしない意思を見せている。ラグナも負けじと胸を押すジンの手首を掴んでソファーに沈める。
 ソファーのスプリングが軋む度に苦しげな声を上げるジン。乗しかかられ、不利な体勢で抵抗を続けるには体力が要った。
「うぅっ、くっ……!」
 押し込まれる強さにぷるぷると手が震え、途切れ途切れに息をもらす。
 苦しげな様子にあと少し、と気合いと力を入れると、両手に力がこもった所為で握り締めていたジンの手首がみしりと軋み苦悶を浮かべる。
 痛みに反射的に力が抜けた所為で抵抗が弱まり、ラグナの爪は留め具に届きバチンと大きな音を立てて外れた。
 「あっ……!」とか細い声を上げて翡翠が見開く。しゅっと布の上を滑りベルトはラグナの手に戻った。
「――しゃあっ!」
 取り戻せたベルトに喜びの声を上げていたら時間が経っていたのだろう。ドアをノックする音が聞こえて、続いてライチの声がした。
「二人とも着替えれた? 開けるわよ」
 早く着替えた二人を見たかったのか返事を待たず嬉々とライチは部屋に入ってきた。
 にこにこと人の好いお姉さんの笑顔のライチは茶がはいった事を伝えようとした。
 しかし、ラグナがジンをソファーに沈めて馬乗りになっているのを見てライチの周りの空気が凍る。
 無理も無い。ラグナの手には今しがた外したのであろうベルトはぶら下がっているし、ジンの足を覆う裾も際どい捲れ方をして男にはない色気が醸し出している。
 ラグナは固まったライチの笑みを見て何か勘違いをさせている事に気付いて状況を見直し、理解した。
「あの、いや、姉ちゃん違うんだこれはだな……」
「――何やってるのあなたはーっ!!」
 カッと、頭に鬼の角が生えんばかりの怒りの形相でライチはラグナを怒鳴り、開け放していたドアからライチご愛用の遠隔操作可能の武器、萬天棒を呼び出しラグナの顎に叩きつけた。
 高速で飛んできた長い棒は一片の慈悲も無くごりっと骨が砕けんばかりの勢いで顎を殴りラグナはソファーから転げ落ちる。
「痛ってえなあ!! 人の話を聞けよ!!」
「言い訳無用!!」
 無理矢理なんて最低!! そう言いながら棒でばしんばしんと虫をたたくようにラグナをはたきまくり、ラグナは頭をかち割られないように腕で庇い馬鹿かとライチに怒鳴り返す。
 何が何だか解らないジンは座って乱れた裾を直し、何事だと怪訝な顔をして二人の様子を見ていた。起き上がったジンにライチが気付き「もう大丈夫よ!」と真摯な顔で言われたのだが、何が大丈夫なのか解らず曖昧に「はあ……」としか呟けなかった。


《終》
 

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