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 所詮は血かと難ある性格に一人笑いながらジンの背後に落ちている帽子を拾い、軽くはたいてジンに投げて渡す。被ってた本人もラグナに抱きついた時に外れてしまった帽子を思い出して咄嗟に手を出して受け取り被り直す。
 広がる髪を整え帽子を被ると、服が和の仕立ての所為か少々不釣り合いだが顔だけで見るとベレー帽は似合っていた。淑やかに微笑めば、事務だのインドアの作業をてきぱきと熟せる有能な秘書でもいけよう。
 しかしそんな有能さに不釣り合いな言葉遣いにラグナは首を傾げた。
「お前、まだ自分の事“僕”て言ってんのか?」
 小さな頃に女の子だというのにいつの間にか自分の事を“僕”と呼び出した少女。困った事に少年然として似合っていたが、それが大人になった今の外見との齟齬だと漸く気付く。
 言われたジンは「え」と心外そうな声を出した。
「僕、そんな喋りをしてた……て、アッ」
 言って、気付き思わず唇を押さえる手。
 してるな、とラグナが言うと、そのようだね、とジンも頷く。
「おかしいな、いつもは『私』なんだけどな……」
 どうやら本人も無意識からだったようで、今まではずっと普通の一人称を使っていたそうだ。変だなあと首を傾げている。
「おいおい……」
 ラグナも腰に手をつき肩を竦めるが、何となく察しがついた。つまりは、ラグナがいるから、ジンの一人称がおかしいのだ。
 直ってたと思っていた一人称はただ鳴りを潜めていただけで、あっさりと蓋を開けた。
「ちゃんと直しとけよな、ジン。お前、女の子なんだからさ」
 “女の子”を強調してジンに言う。子をつけるには複雑な歳かもしれないが成長してない感があって、兄の目からすればずっと幼い。
 そんな揶揄を込めて言ったのだが、何に虚を衝かれたのかジンは喉にものが詰まったような貌をしていた。
 唖然としているように見えるそれだが、次第に唇がわななき、顔を真っ赤にさせた。
「お…女の子って…………っ! やめてよそういう言い方!!」
 何が気に入らなかったのか、よりによって強調した部分を殊更怒って肩を怒らせた。
「んだよ、俺は本当の事を……」
「煩い煩い! もうっ、兄さんの馬鹿!」
 余程恥ずかしいのか、又は悔しいのか、強く胸を突き飛ばされ外方を向かれる。
 何だよと文句を言うが、ジンは振り向きもせず無視をする。
 いきなり不貞腐れたジンにまいった様子で頭を掻くラグナ。
 どうするかと考えを巡らそうとしたが、その時周りが視界に映った。
 辺りに転がるジンが打ちのめした無法者の成れの果てを見てまだここが物騒な場所である事を思い出す。
 折角数年以来の再会だというのにこんな薄汚い場所で話し込むのもなんだとラグナは移動を促した。
 ラグナの思わぬ催促に機嫌を損ねていたジンもついとラグナに視線を遣るが、自分が勤務中である事も頭の片隅に残っていた。
「……そうしたいけど、僕も今巡回中だからなあ……」
 残念そうにぼやいたジンに忙しそうだなと同情したくなったが、その呟きにラグナはずっと心に引っかかっていた疑問をはっと思い出した。
 己の身にかけられた理不尽。図書館の軍服を纏うジンなら何かを知っているだろう。
 ラグナは知らず前に詰めて、問い詰める口調でジンを呼んだ。何と小首を傾げるジン。
すうっと一つ息を吸い、怪訝な目で訊いた。

「――何で図書館は、“俺に賞金をかけた”?」

 ここ二年前から、いきなり人に襲われるようになった。最初は驚きながらも撃退しつつ、打ち負かした相手を強盗目当てかときつい灸を据えてやろうと詰問したが、どうやら相手は強盗ではなく、その逆の『咎追い』らしい。
 咎追いといえば、指名手配された犯罪者を捕まえ統制機構に突き出して報酬を貰う生業だ。
 だが待てとラグナは思う。

――犯罪者? 俺が?

 シスター亡き後は新たな親代わりでもあり剣の師である獣兵衛の修行を終え、探しものをする以外はのらりくらりの気ままな旅をしていたが、犯罪に手を染めた事はない。
 魔素で凶暴化した獣達を殺める事はあれど、人を殺した事はない。盗みもしていない。道徳に背く事は何一つしていなかった。
 咎追い達にどんな罪科だと問い詰めるが、おかしな話で誰も知らないという。知らないのに、自分は犯罪者として、穏やかな生活が危険に晒されているのか。
 謂われの無い罪科を負わされ、統制機構がラグナの怒りを買ったのは明らかだった。ただでさえ選民思想の輩を嫌うラグナはより統制機構を疎むようになった。
 そこに街の話題に取り上げられた統制機構の『イカルガの英雄』が自分の妹だったのだから複雑極まりない思いになったのも記憶に新しい。
 だが、今こそその真義を聞き出すチャンスだとラグナはジンに取っ付いた。だが、肝心のジンは驚いたのかぽかんとしている。
 兄が手配された事をまさか知らなかったのかと不安を抱いた時、思わしげな様子でジンは腕を組んだ。片手は唇にそえ視線はラグナを見ておらず遠くを見て思案する様子だ。
 ふむと小さく唸って一度首を巡らせ、頭を伏せたがぱっと顔を上げる。
 じい、とラグナを見つめ、笑っている訳でもないのにからりと弾んだ声でジンは答えた。
「うん、兄さん。それはきっと僕の所為だね」
「…………ハ?」
 頓狂な声を上げたラグナから視線を逸らす事もなく気まずい様子でもなく冷静な貌は滔々と続けた。
「僕の引き取られ先、帝に直接仕える『矛十二士』といわれる名家の一つなのは知ってる?」
 あまり馴染みが無いが、十二と聞いて『十二宗家』を思い出す。確か、統制機構御用達の金持ちの集まりだとラグナは記憶している。
「えーと、キサラギ……だっけか?」
「そう。僕もまあ歳といえば歳でね、家の関係で見合いとかの話を持ち出された事があるんだ」
「見合い!!?」
 声の裏返った間抜けな音が出てしまった。ラグナも若いがそれよりも歳下のジンにそんな話を聞かされるとは思っておらず、信じられないといった顔で見てくるラグナにジンも至極嫌そうに顔を顰める。
「僕だって嫌だよ。当然そんな話は蹴った。でも、家に戻る度にあれやこれやと相手の写真や経歴を持ってきてさ。どうやら現当主は僕を次期当主にしたいから、どうしても優秀な男と結ばれてほしいようで」
「次期当主って……。何か、面倒臭い話になってんだな……」
「まあね。けど僕はそんなの興味も無いしなりたくないし。で、あまりにその手の話題がしつこいから僕も流石に頭にきてね。『自分は心に決めた人がいるから、その人以外と契りを結べと言うならこの家を出ていく』――って怒鳴ったんだ。したら、顔を真っ青にしてそれは止してくれと懇願された」
 まさか養子入りした娘が名家の当主を脅迫しようとは、我が妹ながら末恐ろしいとラグナは感心するような吃驚するような面持ちだ。だが、じわりじわりと汗と一緒に嫌な予感が込み上げてくる。
「で、そう言ったら今度は当主の妻、つまりは養母なんだけど、その人がどんな人だ、宗家の誰かかって興味津々に訊いてきてね……」
 いやはやと呆れるようにジンは笑う。
「僕も言う気は無かったんだけど、それはもう養母がしつこくて面倒になってきてね、つい、ね、言っちゃったんだ」
「何て……?」
 答えは大体想像がつき聞きたくもないが、敢えて訊いた。一抹の違うという希望を込めて、だ。
 ラグナの白々しい問いに、ジンはにこりと、花が開くように穏やかに微笑んで答える。
「――『ラグナ』て」
「お前って子はぁぁぁぁ!!」
 ラグナは天を衝かんばかりに叫びジンの肩を思いっきり掴む。
「さっきも言ったけど言う気は無かったんだよー。それに誰も名前だけで“兄さん”だってわかりっこないでしょ。まあ、それでも僕の言った『ラグナ』は優秀な諜報部が探り当てたらしいけど……」
 そこまでは考えてなかった、と何の反省の色も無いジンが宣う。
 確かに、名前だけで他が特にどうこう説明をした訳でもないのだろう、ジンの性格からすれば。
 だが憎たらしい事に、どんぴしゃで“本人”を当ててくるのだから質が悪い。髪の色も眼の色も変わった事をジンは知らないのになぜそれで該当するしと諜報部とやらに小一時間問い詰めてやりたい。丁寧に似顔絵まで用意をして――――だが似顔絵は微塵も似ていないと文句と一緒に拳も叩きつけてやりたいものだとラグナは思う。
「でもまさかキサラギ家が手配するとは思ってなかったけどねえ。余程焦ったのかなあ。“生け捕り”が絶対条件だったよね」
 あははと他人事に笑う妹に笑うなと怒鳴るが全く止む気配は無い。そろそろ頭に鈍痛を感じる。
「……今すぐ手配を解け」
 凄みながらジンを威圧するように言う。しかし竦むどころか逆に妹の目付きは細く挑発的なものに変わっていった。
「そう? でも兄さんが家にきてくれないと僕好きでもない男と結婚させられるよ。兄さんは良いの?」
「そういうのは良くないが、俺が出ても問題は解決しませんよ」
「そこはほら、僕らが秘密にしてたら誰も僕らを兄妹だなんて思わないよ」
納得ができなくもない言葉だった。同じ親から生まれた筈なのに容姿も大分異なり端から見た分では兄妹と気付かれないだろう。だがそんな問題ではない。
 何をどう説明すればこの妹の暴走は止まるだろうか。頭の螺が一本二本外れてるどころの話ではない。
「いや、だから、俺は……」
「――《ユキアネサ》」
 根気よく説得を試みようとしたが、突如言葉を遮るようにジンが氷の化身の名を呼んだ。すると同時に地面からバキバキと空気中の水分を集めて凍らせているような音を立てながら氷の柱が生まれた。
 ジンが両手を翳すと氷柱に罅が入り、“カシャン……”と粉々に砕ける繊細な音がした。砕ける氷の中で先も見た一振りの刀が淡い光を纏ってふわりと浮いていた。
「ジン…さん……?」
 なぜ急に武器が出てきたのかと頭が混乱しているラグナを余所にジンは刀を手に取りゆるりと抜刀の構えを取る。
「これはね、ユキアネサていうんだ。僕の相棒ってやつ」
 中々綺麗でしょ、と刀の銀の装飾とは違う種類で美しく微笑むジンの笑みはなぜかひどく冷たく、冷艶という言葉が相応しかった。
「何でそれが出てきたんでしょうか?」
 刀はどう考えても必要無い筈。会話中、刃物が出る時は脅しだと相場が決まっている。
 ジンは左の手を唇にそえ、にこり、とあどけない恐怖を引き連れてラグナに言う。
「兄さんが僕のとこに来てくれないなら……――氷漬けにしてでも連れていく!!」
 言葉と同時に腕をラグナに向けて弾くように振り抜く。周りの温度が下がったような寒さを感じ、反射的に腰の大剣を引き抜くと目の前からジンが発動した術式の氷の刃が飛んできた。
 刃の腹で氷の切っ先を受け防ごうとした。ガツン、と体が押し出されそうな衝撃を受ける。しかしラグナが目を瞠ったのは、突き刺さった氷剣が覆い尽くそうと氷を走らせ見る見るうちにセラミックソードを氷漬けにしていく様であった。
 まさかと思い、直感で右手に力を込めて氷を殴る。派手に砕けた氷は刃の半身を凍らせるだけで留まった。
「へえ、それを咄嗟に止めれるだなんて。流石は兄さんだなあ」
 感心した様子で言うジンの様子は余裕そのもの。反対に、ラグナは憔悴した顔で戸惑っていた。
 戦い慣れをしているが、まさか妹を殴る訳にもいかずどうすると辺りを窺う。
 まさか、数年振りに会った妹に刀を向けられ拉致を迫られるとは誰が思っただろうか。
 急展開に言葉も発せずじりじりと詰め寄るジンとの間合いに気を付けながらラグナも後退る。
 どうしてこうなったのか。そういえば、最初は青い制服から始まった気がすると遠いものを見るように思い出す。
 そこらへんに転がっているごろつきは連行しなくていいんですかと訊こうとも思ったが、どう足掻いても無駄だと瞬時に悟る。妹の目が自分だけを見据え、ただ怖かった。
 やはり図書館は嫌いだ。
 刀を抜いて走り出した妹に背を向け全力疾走で逃げながらラグナは気持ちを改め直すと、統制機構に軽く復讐を誓った。


《終》
 

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