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 『図書館』は嫌いだ。
 統制機構の話が出るとラグナは大抵そう口にする。
 横暴な遣り口も、傲慢に見える態度も、全て自分を苛立たせる。
 “統制”と口にはしているが、それは“弾圧”の間違いではないかと謗りたくもなる。
 そして貧富の差を嫌味な程に顕現する為、下に属すラグナにとっても聞いてて良い話など殆ど無い。
 それだけ明暗がはっきりして人から煙たがられている組織でも、世界のどこへ行ってもそれは存在する。
 現に、先程前を素通りした女の纏う衣服は『青』だった。
 ラグナが使う小狭い道から抜けるより先にすっと通り過ぎて行った軍服の色だ。街の警護に当たっているのは陸軍が主で、その他にも部隊によって色があるそうだが街中で見かける機会はほぼ無いだろう。
 見ただけで「図書館か……」と思わず舌打ちをしそうになるほど気分を悪くさせる輩であったが、珍しい事にそれよりも不快になるものがあった。
 統制機構の女とは反対の方へ行こうとすると、如何にも育ちのよろしくない、悪行に何の躊躇いも無さそうな四人組の男がいた。明らかにその足取りは女の後を尾けている。
 ニタニタと下品で気味の悪い笑みを浮かべるそれらとすれ違い、ラグナは肩越しに後ろを振り返る。
 昼間の時間帯でも薄暗いこの下層に近い路地は、あまり治安が良いとは言えない。
 先程のごろつきも、たまたま前を往く女性と同じ道でしたという事はないだろう。
 だが、先程の女衛士はそういう事情を把握しての見回りであろうからこの辺りを歩く分には実力も伴っている筈だ。それに何より、一般人である己の与り知るところではない。
 知ーらね、と前を向き飯を食いに行くかと思ったが、もう一度だけ後ろを見ると女衛士が表通りから路地裏へと続く道に入っていくのが見えた。それと同時に、ごろつき四人が小走りで女衛士に追いつこうとするのも。
 ぴたりとラグナの足が止まる。
 無表情だった口元は、いつの間にか気難しそうに口角が下がっていた。
 『図書館』は嫌いだが、それに関わらず今は頭の悪そうな粗暴の輩の方に完全に敵意と嫌悪が向かっている。
 結局我慢した筈の舌打ちをして白髪をがさっと掻き乱し、下らねえと一言だけ吐き捨てると踵を返し、自分も女衛士の後を追った。
 しかし飽く迄統制機構を嫌悪するラグナはそれの為に流石に走って駆けつける気にはなれず、歩く速度のままではある。
 急がなくても手遅れになる事はなく防戦ぐらいはできてるだろうと適当に言い訳を作った。
 助ける気が無いのに何で助けに行ってるんだかと自身に皮肉を言ってクソと独り言ちていたら、件の曲がり角へ辿り着いた。
 この角の向こうで下らない遣り取りがされているのかと思うと反吐が出そうになるが、行くと決めたからには行くしかない。
 そう言い聞かせて路地裏に足を踏み込んだ瞬間、固いような、柔らかいようなものを踏んで妙な音が聞こえた。
 あん?、と訝しげに足元を見ると、男が転がっていた。さっきすれ違ったごろつきの一人だ。多分、さっきの妙な音はこの男の悶絶だろう。そこより先には建物の壁に寄りかかるようにして気絶している男、ゴミ捨て場であろうゴミ袋の山に刺さっている男。
 「おおう……」と言葉にし難い感想を口にしながら視線をより奥に遣ると、男がこちらに背を向けて立ち往生していた。眼前に怪しく光る刀の切っ先を突きつけられれば無理もない。

――ああ、やっぱりコイツらバカだな。

 冷めた目で足元の背中を踏み躙りながら刀の持ち主を見た。
 女であろうと、護身術ぐらい身に付けているのが軍人だろう。
 確かに数の不安はあったがそれは幸か不幸か、自分の懸念は無駄に終わる程の実力の持ち主であった女衛士は一分の隙も無い構えで男を牽制していた。
 どこに収められていたかは解らなかったが、鞘から解き放たれた刀は異質な力が備わっているのであろう冷気を纏うそれを難無く女は制御しているが、世界最強の猫の元で修行している身であるラグナには、場の空気すら操っているのが解った。
 女もごろつきとは違う雰囲気の男が増えたのに気付いて刀を構えたまま、通路の入り口側に立つラグナを見た。
 光の反射に、影がかかってと互いに見え辛かったが、様子を窺う目と合うと「えっ……」と、言葉にはならなかったが両者の唇がその形に開かれた。
 女の気が逸れたのを隙と捉えて、刀を突きつけられていた男は仲間がのびているのも構わず一目散に逃げ出そうと身を翻した。
 「ヒイイイ!!」と恐怖で上擦った声が耳障りだとラグナは眉を顰め、右足を軸に左の足を浮かし、遠心力を使って回し蹴りを入れた。
 男はラグナの回し蹴りを喰らって膝をつくのであれば、幸せだったろうに。だが悲しい事に、ほぼ同じタイミングで、背後に回った女からも同じように回し蹴りが入っていた。
 男は腹と背中、両方にどぎつい衝撃をもらい、加減の無い一撃に内臓が破裂してしまわないかと不安を覚える間も無く意識を手放した。
 たった、一瞬の出来事であった。


  ◇


 ドサッと、薄暗い路地裏に重い音が響いてからラグナはハッと気付く。たった一瞬で苛立ちから殺意に昇華した感覚を。
 この激情は、幼き頃から今ほど物騒ではないが近い形で内包していたものと同じで、それはつまりと頭が理解する前に身体を捻ろうとした。
した、が、何もかも手遅れでもあった。
「兄さぁぁぁぁんっ!!!!」
 気絶した男を踏み台にして、青い軍服を着熟す女はラグナに飛びついた。あまりの勢いの良さに、被っていた青い帽子が外れて路に落ちてしまった。ふわりと舞った長めのブロンドがさらりと靡く。
 肩口に体当たりされるように飛びかかられ、危うくバランスが崩れそうになるが、路上に倒れる趣味のないラグナは足を奮わせて衝撃にたえる。
 先程までごろつきと対峙していた冷厳な態度とは真反対の、熱烈で狂的に叫んでラグナに飛びついてきたのは世間的にも有名で、若年且つ女性の身でありながら『英雄』と謳われる、統制機構内でも屈指の強豪であるジン=キサラギだった。
 キサラギ家の養女である彼女には数少ない『血縁』がいるのだが、それを知っている者は皆無に等しい。
 その数少ない血縁者が、今しがた兄さんと呼ばれたラグナ=ザ=ブラッドエッジなのだが――――。
「えー、やだー、まさかこんな所で兄さんに会えるだなんてー。まさかこれが『運命の再会』ってやつ? でも兄さんこんな汚ない所で何してたの? ……あっ、まさか兄さん、僕を襲おうとしてたの? キャーッ! ヤダー! 兄さんのエッチー!!」
「バッ……、馬鹿かてめえは! んな訳あるか!!」
 襲おうとしてた? ――の科白を嘆くでも蔑むように言うのでなく、期待しているように言ってしまう、危ない癖がジンにはあった。
 頬をポッと赤らめ身を捩って恥じらう姿は見ようによっては可愛いらしいが、内容が内容で、ラグナも流石に大きな声を出さずにはいられなかった。
 怒るラグナにわかってるよーと唇を尖らせ不満そうに言うジンだが、本当に解っているのかと疑いたくなる。
 小さい頃から兄さん兄さんと後をずっとついて回るような妹だったが、成長してからも尚、それどころか悪い方向に伸びてしまっているようだった。
 刀を抜いてる時とは全く雰囲気が違って、性格が変わったのか変わってないのか解りづらい妹だが、それでも見た目だけは明確に変わったのは観察眼の鋭くないラグナでも解った。
「……しかしでかくなったな」
 改めてジンを、つま先から頭の天辺までを見遣ってしみじみと呟いてしまう。
 二人の間には『家族』から乖離した時間があって、互いの成長は空白の記憶となってしまっている。今、この路地裏に立つまで記憶の中の家族は幼少時のままでいたのだから。
 軍人になったと話は聞いていたので心配はしていたが五体満足で目立つ傷も見当たらないのでほっと一息をつくが、反対にジンはなぜか怪訝に眉を潜めている。
 考えてるような、疑うような眼差しだったが、ハッと一瞬目を見開くと、そっと腕を胸の前で交差する。
「…………兄さん……どこ見てるのさ……」
 ひどい、と非難する目と言葉を受けてラグナは慌てて弁解をする。
「違っ……!! いや、違わないっ……が……違うッ!! 全体の事だよ!!」
 顔を赤くして着物の合わせ目から覗く胸元を隠しているが、腕に押さえつけられて悩ましげに形を変えているのが解る程ジンの胸は成長していた……が、ラグナの言いたい事はそれではない。決して。
 幼少は男の自分とよく野外で遊んでいたので泥や砂埃にまみれるのが当たり前だったのでひらひらしたものやきらびやかな服だとかに全く興味が無く、綺麗な金糸も邪魔だからと伸ばさず襟足までにしていた。身長も自分よりは低かったものの、活発に動いていたからかそこそこあった。
 当時のラグナからすれば遊び相手になって何の問題も無かったが、育ての親であるシスターや周囲の大人が心配する程で、それだけジンには女っ気が無かった。
 けれど離れてしまってから子供には決して短くない月日が流れ、久々に再会した家族は見違える程の変化を与えていた。
 ジンの着ている軍服は街中で見かける衛士とは違って滅多に見ないデザインで、青の羽織の下に白い単のようなものを着ている。それが短い丈で、見慣れない者にはスカートのように見えるのだが、幼い頃はあれほど嫌がって穿かなかったスカートのようなそれを違和感無く着熟していた。そこから伸びるすらりと引き締まった足がまた隙が無く、男女共に見惚れてしまう程だ。
邪魔だと短く切っていた髪もどういった心境の変化かは解らないが肩胛骨程の長さまで伸ばされていた。
 中性的だった顔立ちはすっかり本来の女性らしさをたたえ、男の子のようだった面影は一つも無い。まるで絵画で見る女剣士のような凛々しさがあった。
 雰囲気ががらりと変わって、知らぬ人間に幼少と現在を見比べさせても同一人物だと思えないだろう。家族として過ごした記憶がなければ、本人だと気付かないぐらいの著しい変化ぶりだった。


 

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