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 けれど引き出せる手も、説得出来る言葉もラグナには無い。
 何をしても、何をやっても一方通行のすれ違い。ジンの思いも、ラグナの思いもすれ違いで終わってしまう。
 かけ違えたボタンのようには簡単に擦れは直せない。それだけ二人の確執は大きかった。
 穏やかに殺意を表明するジンを見据えていたが、ラグナは無表情を取り繕ったままついと視線を逸らし、何も聞かなかったかのようにジンを無視して扉へと向かっていった。
 今度は静かに、引き止める様子は微塵もなくジンも遠ざかる靴音と背中を見送る。
 思考が違い過ぎて互いに理解出来ない事は多いが、ジンの方が心の機微が読める鋭敏さがあった。今もラグナはぎりぎりの許容でジンの前にいたが、それを超えそうになったから立ち去ったのだろう。ラグナの心境を思ってジンの笑みは苦いものに変わった。
「馬鹿だね、兄さんは……」
 ラグナには聞こえない、小さな声で呟いた。
 こんな弟を見ていて腸が煮え繰り返りそうなら、殴ればいい。不満だってぶつければいい。もう、目上の者から守られるだけの年齢ではなくなったのだ。
 もう、兄一人が悩みや苦労を背負い歯を食い縛って我慢を強いられなくていいのだ。
「本当に……バカだ……」
 変わっていないと小馬鹿にして言ってくるが、それはお互い様だとジンは薄ら笑む。
 無意識下で思った事を抑えるのも、弱っている弟を見捨てれなかったのも、『兄』という意識の刷り込みから成り立った優しさだ。
 殺伐とし、刃を走らせ殺し合いをして今更こんな関係の二人を兄弟と言えるだろうか。
 ――それでもラグナは言うのだろう。
 ジンが今もラグナを『兄さん』と呼んでいるように、ラグナの目にもジンを『弟』として映しているのだろう。
 変わらない、とジンは嗤う。
 いつかその優しさという『甘さ』が自分の首を絞めるだろうと。
 馬鹿で、愚かで、それ故にいとしい兄。
 そんな兄を今も慕っているのだから自分も大概だと自嘲した。
 何の言葉も交わさずラグナは立ち去り、ジンはそれを見送る。
 部屋を出、後ろ手で扉を閉めるとラグナは溜め息をついた。
 何も変わっていない弟。変われない弟。そして、そんな弟を変えてやれない兄貴。駄目だなと唇を噛みたくもなる。
「変わってねえ……。俺は、あいつに何もしてやれねえ……」
 ジンはラグナに何かを求めていたのかもしれない。そしてラグナはそれに応えれなかった。今も、昔も。
 けれどそれは仕方の無い事で、どちらも悪くなかった。
 ただ、『理不尽』なだけ。
「…………馬鹿野郎が」
 今でも刃を打ち合うだけの二人に、何が正解だなんて解りはしない。結果論ばかりでする後悔に意味は無い。互いに手探りで、妥協出来る結果を作らねばならない。
 だが、出来るなら。
 嬉々として歪な笑みを浮かべようと、物憂げに“今”ではないどこか遠くを見ようと、哀しくて泣いてしまわぬ事を、弟に望んだ。


  *****


 ラグナの看病があってか、ライチの用意した薬のお蔭か、ジンの風邪は長引かず一日もすれば熱は完全に引き、常人と同じになっていた。40度へ手が届きそうだったのが嘘のような回復だ。
 もう大丈夫ねとライチが手を合わせて喜ぶ前でジンはかけていた軍服を身につけていく。その傍ら、壁に凭れて眺めるラグナは複雑然にジンを見遣る。
 なんだかんだジンが回復に至るまでを見ていた。暴れたり逃げ出したりしないか監視する気でいたが、結局要らぬお節介が出ただけではないかと呆れもした。
 自分が見つけた、弱っていた弟を回復するまで看続けるなどどういう気だろう。互いに殺し合いをする仲であるのに。
 ライチとジンが交わす遣り取りは治療代についてああだこうだともめていたのでまともに聞かず視線を天井に流す。
 泊まらせてもらい食事まで用意してもらったのに薬代にしかならぬ料金に人から借りを作るのが嫌なのだろう、ジンが不服げに眉を顰め相応の金額に直せと要求している。そのついでの形でラグナも世話になっているからそのまま自分の存在は忘れられている方が都合がいい。
 ライチも人が良すぎる面があって気にするなと笑っているがふざけるなとジンが一喝する。
 相応の対価を得る施しをしたのだからしっかり報酬は受け取れ。その謙遜は互いへの侮辱に他ならない。もしそれを厚意のつもりなら、見返りを求めない施しをする相手を履き違えるな。
 他人に対し珍しく饒舌なジンの言い分は的を射ていてなるほどと頷けた。
 言われたライチもそれ以上は断れず、相応の金額に直し改めてジンに請求した。
 支払いを終えると椅子を鳴らす音もさせず立ち上がるジンは世話になったと本当にそう思っているか疑わしい声色で礼を言いそのまま玄関へ向かう。
 「身体、大事にね」と見送るライチはラグナに視線を遣る。
 追わなくてもいいのかと訴えられている気がして、思わずジンの背中を見る。
 足取りはしっかりしていて、見るだけでも伝わる凛とした佇まい。この後、すぐにでも殺し合おうよと刀を向けてきそうだ。
 けれどラグナ自身は患者でも助手でもない。いつまでもこの診療所にいるのはおかしい。遅らせてジンの向かう玄関にラグナも向かう。
 ライチはラグナにも「お大事に」と労りの言葉を贈ると、肩越しに振り返るラグナがああと短く返事をした。
 バタン、と玄関の戸が閉まり急に静かになる診療所。
 あの二人がやたらお喋りな訳ではない。騒がしくもあるが、寡黙な方だ。だが、いなくなるとやはり空気中のあたたかみが減るのだなと、ライチは笑う。
「あの二人、色々と事情がありそうね」
 居合わせて感じた、一緒にいて生じる剣呑とした空気。だが、互いが互いを意識している気遣わしげなもどかしさ。
 ――どこか、覚えがあるもどかしさ。
 二人の間に何があったのかなど知らない。因縁めいた隔絶を抱えてるだろう二人がどうしたいかは解らないけれど、良い方向へ向かえばと思う。
 ライチはどうにも出来なかった後悔を知っているからこそ、ラグナ達を案じた。
「難しそうな顔ばかりして……。あの二人、笑顔だともっと素敵なのにね」
 茶化すように笑い、髪飾りに乗っているラオチュウに話しかける。小さなパンダもラグナ達が出ていった玄関を見ていて、うんうんと一緒になって頷いた。


  ◇


 空は墨を滲ませたような薄暗いものだった。
 今にも泣き出しそうな空の下で、男が二人、睨み合って佇んでいる。手は腰の提げていた大剣を抜いて。手は空間から喚び出した薄群青の鞘を握り締めて。
 じん……と痺れる手の感覚が少しずつ戦意を揺り起こす。
やはりジンはラグナに殺意を向けた。それしか知らないように、それが当たり前のように。
 ラグナはそれを真っ向から受ける。一抹の苛立ちと、憎悪と、憐れみを抱いて。
 たくさんの飲食店があって、人通りもあって、舞をしていて、賑わっている場所で始めようとする殺し合い。
 一度鳴り響いた剣戟音に何だろうと通行人は目を向け、刃を噛み合わせる二人に見せ物かと好奇心だけで赤と青を見遣る。
 周囲との温度差など見えもしない様子で、ジンは熱を帯びた視線をラグナに向けた。愛おしげに、身を刺す殺意を抱いて。

――さあ、殺し合おう……。

 喧騒の中で一際静かにジンの薄い唇が三日月のように歪む。
 氷の刃が翻ようと鞘が僅かに動いたのを見逃さないラグナが大剣を斜に構えようとしたその時、両者を諫めるかのように頬を強く打つ塊が降った。


  *****


 ライチはお茶用に湯を沸かそうとしていた手を休めて小走りで玄関に向かう。
 外は突然の酷い雨だった。外気があっという間に冷えて気温が下がり肌寒さに温かい茶が恋しくなったので準備をしていた時の事だ。
 室内でも屋根や壁を叩く雨粒の音が響くほど大粒の滴が空から風と一緒に叩きつけられている。雨なので辺りに人の気配は全くない。皆、急いで建物の中に避難したのだろう。そんな無人である外から、診療所の戸が叩かれたのだ。
 こんな雨の中誰だろうと戸を開け、ひやりとした空気が入ってくる。
 外とを隔てていた戸一枚が払われて地面を揚々と叩く雨音が大きくなる。
 酷い土砂降りにライチはああと納得した。
 目の前に立つ影二つ。どちらも鮮やかであった赤と青の上着を深く濃い影のかかった色に変えて、きらりと光っていた銀と金の髪はぐっしょりと濡れて頬や額に貼りついている。
 申し訳なさそうな声で、背の高い赤い人物が言う。
「大変申し上げ難いですが、すみません助けてください」
 申し訳なさからか背が少々丸まっているのが印象的だった。
 やけに畏まった丁寧な言葉遣いにライチは帰れとも追い払えず、だが苦笑いを隠そうともせず困った様を満面にして先程出ていってずぶ濡れになって戻ってきた二人を中へ通してやるのだった。


《終》
 

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