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 強い殺意を帯びた目にジンは怯みそうになるが、己を奮わせてラグナの前に立ち塞ぐ。
 刀を向けてくるジンにラグナは低く言い放った。
「……どけ、ジン」
 滅多に聞かないラグナの怒りに満ちた地を這うような低音。だが、ジンを退かす効果としては足りなかった。
「……出来ない」
 退けば、ツバキを殺そうとするだろう。それだけの殺意と力が、ラグナにはある。だが、動機が今も理解出来ておらず、ラグナの怒りを鎮める方法が解らない。
 どうすればと考えていたら、ぐいっと後ろから肩を引かれた。地に伏せていたツバキが回復し、下がるよう腕を前に出しジンをまた背に隠そうとする。
「姉上お逃げください……。この者は私が…………」
「無理だツバキ! お前ではあの人に、兄さんに勝てない! 私が時間を稼ぐからお前は逃げろ!」
 逃げろと言われてツバキの目に険が走る。
 敵を前にして女に、しかも好意を寄せる女性に逃げろと言われて逃げ出せるほど、ツバキの矜持は低くなかった。そもそも、ツバキは敵を前にして逃げるという選択肢は用意をしていない。
 笑いそうになる膝を叱咤しツバキは眼前のラグナを睨む。互いに睨む形になると、ジンの制止も聞かずツバキが踏み込んでいった。
「はあああっ!!」
 ペンを模した剣の形状を変えながら巧みにラグナの虚を衝こうとするが、ラグナも右手を成す《蒼の魔道書》を使って術式に頼った攻撃や飛び道具は全てそれで弾く。
 近接は互いに得手ではあったが、身長差が僅かにあるのと力の強さでラグナの方が有利だった。ラグナの大剣が振り抜かれる度にそれを防ごうと剣を盾にするが、大剣が纏う重い風と共に加わる衝撃に身体ごと吹き弾き飛ばされそうになり、剣を離さないようにするので必死だ。
 足元を崩そうと兵装の力を借りて滑り込んで払おうとした。ブーツに光が纏い羽を象ると走るよりも早いスピードで地面を駆けるが、ラグナの目は動きをしっかり捉えていて足払いをかけようとする足を足で弾き、逆に反対の足で開いている脇腹につま先を打ち込んでやる。
「ぐっ……!!」
 横からきた衝撃に堪えれず白い身体は飛礫のように床の上を跳ねた。土煙を巻き上げながら、ツバキは瓦礫の山へと吹き飛ばされた。白い衣装はあっという間に崩れた瓦礫から生じた土や埃に汚れ、その清廉さを失う。
 げほっげほっと咳き込み、力の入らない手足を無理に使い起き上がろうとするがラグナは追い打ちをかけて腹に蹴りをみまった。
 丸太のような一撃は、胃の中のものを戻しそうになるが息が詰まる苦しさも襲い、訳が解らないままツバキは血を吐いた。
 苦しげに腹を押さえるツバキに、ラグナは無慈悲にもう一発蹴りを入れようとするのを見てジンが到頭飛び出した。
「やめて兄さんっ!!」
 ぶつかるようにしてラグナの身体を押さえようとしたが、ラグナは突然止めに入ったジンに驚いて咄嗟に腕を振るってジンを弾き飛ばした。
 振った腕はジンの顔に裏拳で当たり、痛みに喘ぎながら呆気なくジンはラグナから離された。
「――――!」
「姉上っ!!」
 自分の事も忘れてジンに気を遣るツバキと、不本意にも殴ってしまったラグナは驚いて目を見開いた。
 「つぅ……」と顔を押さえるジンを見てツバキは貴様と声を荒げたが、さっきまであれだけツバキを睨み据えていたラグナはツバキなど目に映っていないかの如く無視をして倒れているジンに歩み寄る。
 くらくらとする視界を直そうと頭を振っていたら目の前にラグナのブーツが見えてジンは息を呑む。咄嗟に身を引こうとしたらラグナに二の腕を掴まれて引き摺るようにして無理矢理立たされた。
 怖いと感じていたラグナに引かれて「きゃっ……」と思わず声を上げて目を瞑る。恐怖に身を固くしていたが、いつまでも殴られるような暴力はなかった。
 恐る恐る目を開けると、覗き込むようにしてラグナがジンの事を見つめていた。
「大丈夫か? 悪かったな、不注意で殴っちまった」
 殴られて赤くなったそこをラグナが痛みを取り除こうと優しい手つきで撫でた。
 手袋越しに伝わるあたたかさはいつもの兄のものだが、今は血の匂いが混じって異質なものになっていた。他人の血に、なぜ優しい兄が殺戮を始めたのか解らずじわりと涙が浮かぶ。
「なんで……こんな……」
 ジンは疑問に思っていた事をぶつけた。統制機構を襲った事も、ツバキに殺意を向けるのも、全く理由が解らない。
 嫌いだと避ける統制機構や、頼りなさげだと言いながらも全く気に障ったような様子もなく接していたのに、今は全くその逆の行動を取るラグナの行動が解らない。
「なんで……? なんでってお前……」
 問われたラグナはきょとん、と音にしそうな顔でびっくりしていた。解らないのか、という顔をしているが、ジンに解る筈もない。
 そうかと呟くとラグナは顔を伏せた。顔に髪や影がかかって表情が解らなくなる。それがなぜか泣いているように見えて、ちくりとジンの心が痛んだ。
 しかし、その痛みは寒さに変わる。
 ラグナの表情の情報は唯一見える口元からだけだったが、この場にそぐわない笑みを象った。
 ラグナの口元がゆるやかに、徐に、つり上がった瞬間ジンはうそ寒い不気味さを覚えた。
「馬鹿だな……そんなの……」
 くつくつと暗鬱な笑い声がこぼれてジンの鼓膜を震わせる。
 怯えるあまり身を引こうとしたが叶わず、逆にくんと腕を引かれラグナはジンの耳元に唇を寄せて、甘やかに囁いた。
「――お前の為だろ……」
 意味を理解出来ぬ言葉にジンが目を見開いた。
 何を言っているのか。この破壊に、殺戮に、どうして自分が関わるというのか。
 何が、と問い返そうとしたが、暗く翳るラグナの顔から見える緋翠の光が爛と光っていた。びくりと、何を感じたかも解らず肩が跳ねる。
 頬を撫でていた手でさらりと髪を梳くと、突如一房掴んでぐっと乱暴に引かれる。無理な力で毛根に負荷がかかって痛みを訴え、ジンも短い悲鳴を上げる。
「……何でお前が統制機構にいんだよ。此処がどんな場所かわかってんだろ」
 怒気を孕んだ口調は、だが淡々として言い聞かせるようにしてジンを圧する。
 何度も軍に身を置いている事に話をした事はあった。
 辞めてほしいとラグナははっきり口にはしなかったが言葉の節々にその意味合いは込められていた。けれど、ジンにはしたい事も夢もない。多才ではあったが、自分の才能は戦いの中でしか見い出せていない。“壊す”事が、己の特技であった。
 知も武も秀でて、何の不利も感じない場所で与えられる仕事をこなして生きる糧を得れるのは何よりも楽で、そして手っ取り早かった。
 権力を利用すれば、ラグナに会う事も出来た。だから、これでもいいと思っていた。軍において利用する深意は伝えていないが、今は辞める気がないと伝えて、ラグナも取り敢えずで納得してくれていると思っていた。
 “納得してくれていた”と思っていたのは、どうやら自分だけだったんだと今になって気付いてしまった。
「汚ない世界なんだよ……ココは……。『平等』を唱えながら『才能』を選んで、『統制』と言って『弾圧』をする……傲慢だぞ……全部。こんな所にいたら、お前が穢されるだろ……」
「それは…………」

――“僕も同じだよ”

 そんな矛盾も、そんな高圧も、解っていた。解っていて、それを利用した自分だって同じ穴の狢だ。誹るつもりは更々なかった。
 言葉を噤んだジンに苛立ってかラグナはまた髪を引っ張る。
「お前がいつまでも軍を辞めねえなら、その“軍”をぶっ壊すしかねえだろ。そうだろ!?」
 荒くなる語気と共に髪を引く力も強まり、ギシッと悲鳴を上げる金糸に顔を苦痛で歪ませていると倒れたままのツバキが声を荒げた。
「貴様……っ! 姉上から手を離せ!! このっ……狼藉者が!!」
 口の端から血を流し、端整な顔立ちは土埃で汚れてしまっている。再度剣を取って立て直そうとするが、そんなツバキを見てラグナは鼻で笑い、顎に目がけて蹴りを飛ばす。
 血が舞うのと、ぐりんと普通ではない勢いで反ったツバキの身体を見てジンが悲鳴を上げる。
「ツバキ!! やめ……っ、やめて兄さん!!」
 髪を掴まれていようが構わずジンはラグナの身体を制しようと抱きつくが、細い身体で止められる訳もなく引き摺るようにしてツバキの傍らに立つ。蹴られた顎は切れてしまい、次から次へと血を流して青い石床に赤い斑点を作る。
 それでも睨みつけるツバキを見てラグナは愉しげに目を細めた。
「お前、整った顔してるから顔に傷が残ったら辛いよなあ……」
 言うと、ジンが抱きつく反対の左の手で抱えていた大剣をツバキの脇腹に突き立てた。
「――――ッ!!」
 言葉に為らぬ苦悶に満ちたツバキの声と、白から朱に染まる衣装を見てジンの悲鳴が響き渡る。
 刃で裂かれた脇腹を押さえる手も赤くなる。
 ツバキが悶絶する度に、ラグナの口角がどんどんとつり上がる。痛がり、苦しみ、実力差を見せつける度にラグナの昂揚が増す。もっと絶望しろと、嘲る。
「やめて兄さんっ、ツバキを…傷つけないで……殺さないでっ……!」
 恐怖と混乱で感情が昂るあまりジンの目からぼろぼろと涙がこぼれだす。兄の凶行に揺るがぬと信じていた自身の理性は擦り切れ、考える力も失って水面下に沈ませていた感情が爆発する。
 唯一兄以外に心許せた人を、兄が嬲っていくのを見るに堪えれない。みっともなかろうと、ただ子供が親に泣き縋って許しを乞うようにしか出来なかった。そこに英雄と名を馳せたジン=キサラギの姿はなかった。
「あ…姉上……」
 初めて見るジンの泣き顔にツバキは言葉を失う。けれど自分の為に、己の所為で泣いているのだと解るとツバキはやはり黙っていられなかった。
「貴様っ……よくも姉上を……!!」
 眼力で射殺さんばかりに睨むが、ずっと気がかりだった言葉にラグナは顔を顰める。
「テメェ……さっきからジンを姉上姉上って、俺はテメェなんざ弟にした覚えはねえ、よ!」
 地に転がるツバキの頭を路上の石のように容赦なく踏み躙る。ミシミシッと頭蓋骨が軋む音がする程に体重がかけられ石の破片が顔に食い込み、痛みが上下から圧し迫ってくる。
 美しく紅かった髪は、血の黒みを帯びて汚れていた。


 

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