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 突如鳴り響く警報音で統制機構の内部は騒然と化した。
 ここ、ジン=キサラギが一時的に貸し与えられる執務室も例外ではない。扉の向こうでは何事かと走り回る衛士の落ち着きの見当たらない足音も聞こえてくる。
 遠くで爆発もあったのか、ズウゥン……、と低く重い沈んだ音が僅かだが鋭敏なジンの耳にも届いた。
「な…何があったんでしょうか……?」
 ここで口にしてもどうしようもない事を平然と口にする部下のノエル=ヴァーミリオンは音を聞き取ったジンに倣って同じ方向を見ながら不安を露に胸元で手を重ねていた。精神を摩耗するような甲高い警報音に、戦場に慣れていない少女は完全に怯えきってしまっている。
 そんなノエルを敢えて無視し、放送なり連絡なりをジンは待っていたが予想とは別に一切音沙汰がない。
 遅い動きに苛立たしく舌打ちをするとノエルに自分の軍服を用意するように命令し、自ら確認の連絡を取る。
 連絡を待って待機しているのも馬鹿馬鹿しい。異変は放置すると後腐れする。周囲が愚鈍であればある程に。ならば自分が動いた方が手っ取り早く事が収めれるであろうという判断だ。
 デスクに備えられた電話を取り短縮キーで警備に連絡を入れる。コール音は三、四と鳴ったが、五度目でようやく相手が出た。
「本部から遣わされたジン=キサラギだ。何があった?」
 出た瞬間緊張で上擦っていた相手の声はジンの名乗りを聞いて冷静さを取り戻せたのか、安堵の息を吐くような音がした。
 英雄で知られるジンの存在は希望にも思えたのだろう、電話口の向こうで何人もの人間が歓喜でざわつく気配がする。
 答える人間も自身が現状を確認するかのように、驚きを隠し切れない声色でジンに説明を始めた。
 侵入者が一人現れた。それは正門から躊躇なく踏み入って来て、こちらの警告を全て無視して、防御陣も無効化し、立ち塞がるもの全てを破壊しながら中へと侵入ってきた。侵入者の破壊活動は激しく、既に死者も十数名出ているそうだ。
 それを聞いたジンは気違いかとまた舌を打つ。
「シェルターを落とし進行を妨げろ。無視するか、破壊するかで判断して侵入者を私のいる方へ誘導しろ。東周りで正門に向かう。他の衛士は無駄死にしたくなければ近付くなと伝えておけ」
 以上だ、と言うと電話越しでも敬礼しているのではないかと思う声色で返事をし、通話は終了した。通話の間にノエルも軍服の用意を仕終えて、どうぞとジンに差し出した。
 ジンは受話器を置くと一息にスーツを脱ぎ出す。ノエルの目も構わず上着やシャツ、パンツも全てデスクに放り引ったくるように服を袖に通していく。全てを着終える頃にはノエルの方が顔を赤くしているような豪快な着替えだが、ジンは全く気にしていない。
 愛刀のユキアネサを召喚し、いよいよ侵入者に向けて進んで行こうとしたが、背後の少女に気付いて振り返った。
「……………………」
 無言で上司に見つめられ、ノエルは「えっ? えっ?」と動揺を隠せず挙動する。
 あまりに頼りない彼女を見て溜め息を一つつくと貴様は来るなと指示を出した。
「なぜですか少佐!? 私も少佐とご一緒に……っ」
「貴様は負傷した衛士の救助に行け。爆発があったから瓦礫に潰されている者がいるかもしれない。それに、敵が一人なら貴様は足手纏いだ。」
「で…ですが……」
 まだ言葉を続けようとするノエルを睨みつけて黙らせる。
 たとえノエルが自分の思惑とは知らぬ所で側に就いていようが、戦場は自分の“世界”だ。重荷になるものは離しておくに限る。
 意見も許さぬ眼光に睨まれ委縮したノエルは不承不承に返事をすると、ジンの行く方向とは別の通路に走り出した。
 ジンは一人になった気楽さと、これからまみえる敵に備えて息を深く吸って、吐いた。
 風に乗ったのか血の臭いがする。同時によく知った香りが混じっているような、そんな感覚。
 だがユキアネサの鞘を握り柄にそっと手を乗せるとそんな余分な感傷は全て拭い去る。
 ジンほどの武人は一つの動作で思考を切り変える事が出来る。
 ジンの切れ長の目は日頃の気怠げなものから、猛禽類のような鋭い狩猟者の目付きに変わる。
「敵は斬り捨てる。それだけでいい……」
 誰にでもなく吐かれた科白は何だか滑稽に思えた。自嘲気味にくつくつと引き笑いに近い笑みを浮かべるが、それもほんの僅かな一瞬。こつ、とブーツが音を鳴らす頃にはジンの表情は冷たい刃のように慈悲も無い貌になっていた。


  *****


 空気に混じる土と埃と、血の香り。近いと自覚する頃には人の気配はほぼなかった。
 辺りに散乱する建物の一部であった瓦礫と、衛士の服を着た何か。赤いものがぶち撒けたペンキのように壁にべったりと貼りついているのが悪趣味に見えた。
 やれやれと呆れ、足元の悪い場所には入らず侵入者の姿が見えるのを待った。
 この支部にいる時に侵入者が来た己の不幸か、はたまたこの支部に己がいる時に来た侵入者の不幸か。どちらとも取れる状況を鼻で笑いそうになるが、戦場でそんな無駄は許されない。
 面倒だと思う気持ちが勝って、いっそ適当に氷の矢を射ちこんでもやろうかとも思ったが、冷静沈着なジンがそんな事をする筈もない。無駄撃ちと手の内を晒す真似は愚行だ。
ひたすらに、相手が動くのを待った。
 建物の残骸を踏む音がしてジンは刀を構えた。
 周りは動かない屍ばかり。ならば、ここにいるのは生きている己と、命を喰い散らかす獲物の二体だけ。
 姿を認めた瞬間、防御陣も無効出来る術式を使う隙もなく、氷剣を体に突き立ててやろう。
 ジンの足も床を躙り、いつでも飛び込める体勢にする。
 だが、その足が床を蹴る事はなかった。
 ジンの翡翠が捉えた姿は、鮮やかな赤を纏っていながら、全ての色を拒絶する白い髪の男だった。
「にい……さん……?」
 自分の名前よりも馴染んだ言葉を思わず口にしたが、語尾に疑問符がついたのはなぜか。自分にも理由が解らず、一歩後退る。
 呼ばれた兄はジンを見遣る。
 兄の目を見たジンの背中にぞわりと悪寒が走った。
 色をたがえる赤と緑の瞳。なんて、冷たく死の香りを纏った重さで人を見るのだろう。それとも、見ていないのだろうか、人を。
 人を“人”と見ていない、殺戮者の眼をしていた。
「……………………よう」
 沈黙を崩したラグナの呼びかけ。周りの凄惨な状況を作り出したとは思えぬ軽さで、ジンを見据える。
 会いに来た、というような軽快さだが、ラグナの手に握られている血を纏う大剣が不釣り合い過ぎてくらりと目眩を覚える。
「兄さん、何を……」
 なぜ、この組織に喧嘩を売る真似を。刃向かえばどんなものだろうと叩き潰そうとする狭量な組織に、面倒臭いと関わりたがらなかったラグナがと疑う。
「何をって、お前、そりゃ……」
 言おうとした時、暗い通路に光が閃光と疾ってラグナが咄嗟に大剣で身を庇う。
 頭上でバサッ、と大きく布が翻る音がしたと同時に、ジンの前に白く清楚なマントが降り立つ。
「姉上! ご無事ですか!?」
 凛とした好青年の声がジンを気遣う。ツバキだ。
 ラグナから隠すようにジンの前に立ちはだかり、武器をラグナへ向ける。ゆらりと、三編みにした赤い髪が白の対比に映えて揺れる。
「ツバキ!? なぜここに……」
「先程私も任でこちらへ参じたのですが、支部の正門も破壊されただならぬ様子に崩壊している方を追跡したらここへ着きました。お怪我は?」
「ああ、無傷だ。だが……」
 状況がまるで飲み込めていない。ジンは頭を抱えたい気分だ。
 なぜ、ラグナが統制機構の支部を襲ってきたのか。この行動に何の意味も価値も見い出せなくて、ジンには理解が苦しい。
 ラグナはというと、突如湧いて出てきたツバキを敵意露に睨み据え、苛立たしそうに大剣を地面に突き立てる。
「邪魔すんじゃねえよ、部外者が……」
 部外者、という言葉にツバキは目を鋭くしてラグナを睨み返す。
「無礼者が! 貴殿こそこの地に踏み入る資格がない者だ! これだけの暴虐、許されるものではないぞ! これ以上統制機構を仇なす者をのさばらす訳にはいかぬ!」
 剣の切っ先をラグナに突きつけ高らかに牽制をするが、興味もない口上に付き合う訳もなく、ツバキをただ睨むラグナ。
 身を呈して庇うツバキの背中越しにラグナを見ていたジンは、息が詰まる思いで二人の遣り取りを聞いていた。
 ラグナがツバキを見る目。
 ジンには記憶にある。
 あの目は――――。

「ツバキ!! 駄目だ逃げろ!!」

 身体が震えそうになるのを抑えながら叫んだ所為で、人には聞かれた事のない声になっていたのだろう。
 戦闘体勢だったツバキは思わずジンに振り返るが、それを見逃す筈もなくラグナの目がぎらりと光ると同時に斬り込んできた。
 武器の大きさには似合わぬ速さで斬り込んできて不意を衝かれたツバキは咄嗟にジンを横抱きにして跳ぶ。
 ジンも躱せる一撃を、ツバキは無意味にジンを庇って退いた所為で、ラグナの怒りは更に増した。
 壁に刺さっていた瓦礫を右の手で引き抜いて、重いそれをものともせず投げる。
 大人の丈もある瓦礫が飛んできて、空中にいたツバキは驚きながらも術式を用いて宙空を蹴り瓦礫を躱す。風圧を頬に感じたと同時に、ふっと顔に影がかかって気付く。軌道を変えた先にラグナが跳んできていた。しまった、と思っても既に遅く、ラグナは振りかぶった拳をツバキの頬に叩きつける。
 重力に引かれる感覚の中、腕の中のジンを守ろうと抱き抱えて自分の背を下にツバキは地面に叩きつけられる。
 大理石の壁が崩れる程の威力で身体を打ちつけたが、装備と術式のお蔭で死には至らない。だが、背中から広がる激痛の所為ですぐには起き上がれずくぐもった声で唸るツバキ。
「ツバキ! 大丈夫かツバキ!?」
 ジンは囲われた腕を解き、ツバキに呼びかける。崩れた瓦礫がなかったのは幸いで大きな怪我にはならなかったが、衝撃で動けずに唸っているツバキの姿に焦りが助長される。
「ツバキ! ツバキ!!」
 ツバキの実力は解かっている。決して彼を弱いというつもりはない。それでも、ラグナを相手に戦ってはいけないと本能がジンに訴えかける。
 何としてでもツバキをここから逃がさねばと必死に声をかけるが、背後で石を踏む音を聞いてジンはユキアネサを抜き、近付いてくるラグナに切っ先を向けた。
 ラグナは大剣を片手にジンを、正確にはその向こうのツバキを睨んでいた。
 ツバキを障害として見据えるラグナの目。
 これは、ラグナに近付こうとするものを睨みつけるジンの目と同じだった。
 理性を全力で注がねば、相手を殺しかねない程の強く醜い殺意の眼差しだった。


 

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