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しかしラグナは違う。
 赤と緑の目は怒りにぎらつき、鋭くて怖い。しかも今されているように軽い体罰を加えたりしてより明確に怒っている事を伝えてくるのだ。
「くどい程言ってるよな俺は。ちゃんと飯食わないと身体に悪いって」
「ご、ごめんにゃひゃい〜」
 食事に煩いラグナは偏食家のジンに会う度に口が酸っぱくなるまで注意しているというのにまだ改善しようとしていない。本人だってそれがいけないのは重々承知している。シスターにも同じ事で叱られた事もある。
 だが今になっても治らないのは、本人に治す気が無いかこのままで良いと思っているからだろう。
 だらしない部分があれば兄が構ってくれると思った事もあるジンにはどこまでそれを計算して実践しているか本人にも解らなくなる程自然な動作で思考であった。
 大人の女性らしい顔が子供みたいに泣きそうになる頃に、ラグナ自身はまだ腑に落ちてないがここらかと目処をつけて漸く指を離す。
 引っ張られて赤くなった箇所をうーうーと唸りながらさする。
「まったく……このバカが」
 一つ口の悪い言葉を吐くと無防備な額にでこぴんをする。
 地味に沁みてくる痛みに酷いよと抗議してくるジンにお前が悪いと切り捨てる。
 いつも同じ事で怒っているので今回は許さんぞという気持ちで構えたが、その決意をジンの涙声の一言があっさりと揺るがす。
「……だって、兄さんの手料理が好きなんだもん……」
 しゅん、と目に見えて落ち込んでいるのが解る。動物で例えるなら、耳が垂れて、尻尾も地に落ちてしまっているだろう。
 そんな状態のジンに、ラグナはやはり弱かった。
 何かで怒って、将来の為だと心を鬼にして厳しく接しようとしても、泣くのを我慢する顔や自分を慕う言葉にいつもぐうの音が出ない程息が詰まり、力んでいた肩から力が抜けていく。
 保護欲とでもいうのだろう。一人立ちしなければならないと思っても、いっそ手元に置いててもいいと思うのは。
 いやだがしかしとラグナは思わず頭をぶんと振る。一瞬浮かんだ不穏な感情はそっと水底に沈めて、ちらりとジンを見遣る。
「……今夜だけだぞ」
 一瞬だけ変な動きがあったので怪訝に見ていたが、そう言ったラグナの顔は仕方無いと諦めたようでジンの要求を呑んでくれたのが解った。
 泣きそうだった顔を幼い笑みで彩り、「大好き!」とまた飛びつかれラグナは繰り返し顔を真っ赤にしてくっつくなと叫ぶ。
「つうか、どうやってホテルに行くんだ?」
「パーティーが終わると迎えの車が来るからそれに乗ればいいよ。あ、兄さんが望むなら徒歩でもいいよ。多分、車で二十分だから徒歩で二時間位かな」
「いえ喜んでご同席させていただきます」
 歩いての流浪をしているラグナは乗り物はあまり好きではないが、二時間歩き通すのは流石に辛いし、明日のジンの移動も考えて是非楽をしたい。そもそも、二時間も歩いたらその空いた腹は背中とくっつくんじゃないかと疑問視してしまう。
 けどそんな事を訊いたってどうせジンの事だから「兄さんと一緒だから平気だよ」とまた嬉しくなるような事を言って、口角が上がるのを堪えねばならなくなるので訊かないのだが。
「でもツバキたちには顔見せないと心配されそうだしな〜……」
 ぶつくさと呟く名前には聞き覚えがあった。顔は流石に互いに見せた事はないが、故郷ともいえるあの家から引き取られた後のジンの幼馴染みだとは聞いた。
「会って話せばいいだろ」
 簡単そうに言うラグナに、じろりとジンが目付きを細めて睨みつける。
 睨まれて「何だよ……」と思わず怯むのは、この目付きに慣れていないからである。普段うっとりした眼で見つめてくるのだから仕方無いといえば、そうに違いない。
 そのギャップに戸惑っているとジンは大きく溜め息をついて「兄さんは甘い。女ってお喋りなんだから、捕まると小一時間は離してくれないんだよ」と説教をしてきた。
 女性とはほぼ無縁――あっても吸血鬼の姫で家畜を見るような目で人を見下し、対等に会話が成立した事もないような相手――のラグナにとって知らんがなと反論したくなる。
 しかし今まで接してきたジンを思い返せば、そんな気がしなくもない。ジンもよく好き放題喋っていた気がする。主に自分の事を。
 ジンの言い分に微妙な納得をしながらああそうかいと投げやりに話を流し噴水の縁に腰をかける。
 ジンも隣に座ろうとするとラグナは手を翳してジンを制止した。
「ダチん所行ってこいよ。ここで待っててやるから」
 他人に無関心なジンが気にかけれる程の相手なら、是非その交友を大事にしてほしいと思って勧めるが、ジンは人差し指を唇に当て「んー……」と呟いて考える仕草をする。
 要所に露出がある大人っぽい衣装を着ているのに、ふと幼い仕草をするというミスマッチさがやたら愛らしく映えていよいよしっかりしろとラグナは自分の頬をはたきそうになった。
 そんなラグナの苦悩を余所に、ジンはううんと金の髪を揺らした。
 前に突き出された手にそって体を滑らし、ラグナの隣に座ると胸にこつりと頭を預けてきた。
「兄さんと一緒がいい」
 そう甘える声にうっと喉が詰まらせてしまうが、さっき自分が思った事を忘れる訳にはいかないと再度促してみた。
「けどダチは……」
「もう少しでダンスが始まるんだ。僕、会場に着いた時から鬱陶しい程ダンスの相手を誘われててね、多分戻ると懲りずにまた無粋な輩が寄ってくるだろうから……」
「――なら仕方無いな」
 言葉の途中だがラグナは棒読みに近い音程でそれを肯定した。
 ジンと向かい合ってダンスをといって寄り添おうなんざ下心丸見えなんだよ変態共が闇に喰わすぞと苛立つ旨を言葉にせず口内で噛み砕いた。
 ああくそ今すぐ『蒼の魔道書』を起動させて視界の端に移る建物を全壊させてやりたいと無意識に右手の甲を撫でながら物騒な事を思っていたが、遠くから聴こえていた音楽がひたりと止まった事に二人共気付いて顔をそちらに向けた。
 ジンから聞いたダンスがそろそろかと思っていたら、想像通り短い空白を置いて演奏の曲が変わり、緩やかなペースの音楽が流れ始める。
 弦楽器独特の重低音が聴こえ、僅かながら周囲の花を震わせているようにも見えた。
 土臭い野良生活のラグナには音楽の良し悪しといった知識など無いが、それでも触れる事のなかった道具たちには少なからず興味はあった。
「ジンは何か演奏できんのか?」
 ラグナは至って普通の質問をしていた気だったが、ジンは目を丸く見開いて、口も心做しか半開きの状態で「えっ」と一言呟いていた。
 なぜそんなに驚く。何も場違いな事をしてない筈なのにあまりにまじまじと顔を見られるので気恥ずかしさがこみ上げてきて質問を取り消したくなってくる。
 ラグナの機嫌を損ねた事に気付いたジンはごめんと真っ先に謝罪をした。
「兄さんにそんな事訊かれるなんて思ってなかったから。その……あんまり興味無さそうだからさ……」
 控えめに揶揄の入ったそれにラグナはむっと唇を尖らせそうになるが、実際自分が耳にするのは街中で声と共に流れる“歌”の方が専らで、“音”のみを聴くのは皆無に等しい。芸術性に疎いと思われても無理はないし、まず間違っていない。
 胸の前で軽く手を重ね申し訳無さそうに眉を下げて謝るジンにいいよと非を受け流し、妹にそういう目で見られてた現実込みで柄にも無い事を訊いたとラグナはちょっぴり泣きたくなってきた。
「でも何でそんな事を?」
 何で、と訊かれても柄でもないと自分で思ってしまう程、ラグナにもはっきり理由は解っていない。
ただ、聴こえてくる音楽に演奏する姿を想像してみて好奇心が湧いただけだったのだ。
「いや、ジン、指細いし綺麗だからバイオリンとか似合うかなって、思って……」
 特に考えず思ったままに感想を述べてみたが、また後悔した。今度のジンは顔をほんのり赤くさせて硬直しているからだ。
 ジンからすればそんなつまらない所を見られてるとも思っていなかったし、刀を振り回してて太くなってしまっただろうと女らしさを諦めていただけあって、兄にそう言われると擽ったいものが湧き上がってきて落ち着かない気持ちになってくる。
「そう……かなあ……?」
 くしゃっと髪を指に絡め、忙しなく視線を游がせてしまうが、兄らしい、飾り気の無い褒め言葉として素直に喜ぼうとジンも微笑む。
「……じゃあ、今度バイオリンでも触ってみようかな」
趣味でもない楽器など触る機会など無かったが、兄がそう言ってくれるなら態々それに自分の時間を割くのもいいかもしれない。
 それでやっぱり似合うなと惚れ直してくれたなら万々歳なんだがと一人ほくそ笑んでいるとラグナが何だと気にかけてくる。
 妄想しているとは言えず別にとはぐらかすと、ひょいと立ち上がってラグナの両手首を掴むと引っ張って立つように促す。
 機嫌の良いジンに驚きながら今度は何だと混乱してるラグナにジンは「踊ろうよ兄さん」と、ラグナにとっては青褪める誘いをした。
「はあっ!? 俺ダンスなんざ知らねえぞ!!」
あからさまに嫌そうな顔をしているのに、ジンはぐいぐいと懸命に手を引き食い下がる。
「ワルツ位なら僕がリードしてあげるから。あ、勿論スローワルツの方だよ」
「いや、だから俺そんな事言われてもわからねえ……って、そうだ! だから“僕”はやめろって!」
 スローだろうが何だろうが、ダンスは街のディスプレイで古い映像を観たりする互いに向かい合ってくるくる回っているようなものしか知らない。しかも大抵は最後まで流れないから結局終わらせ方も解らないという切ないオチ付きだ。ダンスのダの字も解らない。
 それよりも勢いで忘れかけていたが、毎度のジンの一人称に細かくつっこむ。ラグナにとって、このまま話題が逸れてほしいという苦し紛れの抵抗でもあるが。
 聞き慣れた注意にまたそんな事をとジンは口答えしようとしたが、ふといい事を閃いたとイタズラっ子の笑みを作る。
 抵抗を続けるも、結局無理矢理立たされる迄に到ったがラグナはしぶとく勘弁してくれと頼むが、引き下がる気配の無いジンはラグナの左手を包むと縋るような、甘えるような眼差しでラグナのオッドアイを見つめる。
 じいっと見上げてくるジンに何か良からぬ気配を感じながら「何だよ……」と弱々しくと問うと、にこりと彼女は笑った。
「じゃあ、“私”と、踊ってくれませんか?」
 にぱっ、と音が聞こえてくるような笑みを向けられ、ラグナは一瞬息を呑んでしまい、熱くなる顔を隠す為に片手で顔を覆ってしまう。
 久しぶりにジンの口から本来の一人称である言葉を聞いたが、使われたタイミングが反則過ぎる。
 女性としての振る舞い、そして踊ってくれないなら一人称をまた戻す――という意地悪が見え隠れしている。
 先に自分が強要した分、その見返りをと求めるジンの行動には理合があるといえばそう。しかし一人称の件については本来の在り方を指摘しているだけで従う義理は無い。
 けれど、妹のお強請りに弱いラグナは散々躊躇った後、たどたどしくジンの手を取った。
「……笑うんじゃねえぞ」
 踊れない事で再度釘を打つと、ジンは首を横に振った。
「それ、無理だよ兄さん」
「オイッ!!」
 ひでぇ、と文句を言おうとしたがラグナを仰ぎ見るジンの顔は幸せそうに綻んでいた。
「だって私、もう笑ってるじゃない」
 くすくすと微笑っているジンにそう言われてきょとんと目を点にしたが、なるほどとラグナは呆れるように納得した。
 真面目で笑顔の少ない妹が、こんな興味も無い娯楽に、できもしない兄とするのがそんなに楽しいのかと変な意味で笑いが込み上げてくる。
 本当に変な妹だと、体を支える腕に軽く身を預けるジンにそう思わずにはいれない。

――こんなダメ兄貴の何がいいんだか……。

 そう思いつつ、ジンが目一杯甘え頼ってくれるのを邪険にできず、応えようと躍起になってしまう自分の甘さにも反吐が出そうになる。
 そんな自虐的な考え事に気を遣っていたらこっちを向いてと叱られ、そうしてジンの指導を受けながら遠くから聴こえてくる音楽を頼りに、足を踏まないよう拙いステップを踏み出した。


《終》
 

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